Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#587 一つの時代の終わりを見届けた気分です ~「あおのたつき 1,2」

『あおのたつき 1,2』安達智 著

常世で生計を立てる、遊女あお。

 

19日、お客様がお帰りとなりやっと自分の時間が持てた。昨日は帰宅してからずっとエリザベス2世の国葬を見ていた。国内でも同時通訳などをつけての放送があったそうだが、私はHuluのBBCで視聴する。

 

あとから日本の報道を見ていると、あれ?と思う表現があったりしてちょっぴり違和感が残る。というより、関心を持って見聞きしていないと気が付かないのかもしれないが、海外の爵位の表現なんかが微妙にずれている。もっと勉強して頂きたいとは思うが、訃報は突然のものであり配信側の準備が儘ならなかったのだろう。通訳さんに至っては王室関連の専門家などいないだろうから、より一層大変なお仕事だったと苦労を労わずにはいられない。

 

こうしてテレビや音楽として聴くだけでも十分に心に染み入るものがあるが、実際に生で聞くバグパイプの演奏は、響きそのものが体を突き抜けていくような独特な力がある。魂そのものを直接揺さぶるような、まるで浮世と常世の間をつなぐかのような神秘的な音。それが行進を導いていく。スコットランドアイルランドの音楽隊数十人が一斉に鳴らすバグパイプが圧巻だった。

 



そばで聞いていた人はユニオンジャックの旗の下、自分たちが英国人であること、その国に一生を捧げた女王があの世へ旅立ったことをあのバグパイプの音でより実感したのではないだろうか。そして最後にはバグパイプが去っていく音とともに、幕を閉じた。

 

個人的な意見と前置くし、反論派に対応するほどの熱意もないが、近代に入ってからの世界各国の王室や皇室にはそれぞれのお役目があると思うが、下々の立場として感謝したいのはその文化や伝統を今でも日常として守って下さっていることだと考える。どんなに長く続く名家でも100年以上も前の週間を行事として守り、再現するのは難しいことだ。一つの出来事を文書として残し、代々受け継ぐ有形・無形の伝統、それを何百年も守り続けておられる。英国は日本と共通する面が多いと思うが、彼らの存在が自分たちの文化や心根の軸になっている部分を担っていたことに、こういった変化があって初めて気付く人もいるだろう。日本も有史の文化を守り、それがあるからこその日本であること、私は海外に出て初めて気が付いた。

 

エリザベス2世のウィンザーでの様子をBBCで拝見しながら、イギリスの一時代が幕を閉じたと実感する。なんとなく興奮したまま眠れなくなり、ネットで英国の記事のいくつかを読んだ。かえって目が覚めてしまい、これは良くないぞとマンガを読むことに。

 

Kindle Unlimitedは時々おススメの書籍を紹介してくるのだが、立て続けに時代小説を購入した際にあがってきた本書を読んでみることにする。現在は2巻までがKindle Unlimitedの対象となっている。

 

吉原の一角にある九郎助稲荷、その奥に浮世と冥途の境に近いところがあるという。遊郭に居たものは、冥途にある遊郭へとやってくる。その奥にある鎮守の社はそんな遊女たちの迷った心を救う。

 


主人公のあおは、三浦屋で濃紫という名で店を支える花魁だった。それがなぜかこうして常世へやってきてしまう。鎮守の社に付き、宮司の楽丸に出会う。楽丸はあおを社へ置き、同じように常世へやってきた遊女の恨みを一つ一つ取り去って成仏させる任にある。

 

江戸の、しかも常世遊郭が舞台だなんて面白い設定だなーと読み始めた。小説にもよくあるが、吉原で働く人々には何かしら隠された悲しみがある。困窮して娘を売るなどはむしろ普通なのかもしれない。親兄弟を亡くし、だまされて連れてこられたものも少なくないはずだ。あおもおそらくそのような背景をもった花魁なのだろう。

 

楽丸が驚くほどに、常世に来てからでもあおの金に対する執着は強い。怨念を取り払う楽丸にすらまだ自分の過去は話していない。しかし、人の痛みに共感できるあおは、次第に鎮守の社の仕事を担う。なぜ、金なのか。なぜ貪欲なほどに金に執着するのか。あおに対するなぞは続く。

 

鎮守の社に現れる者たちは、亡くなってもまだ心の澱と決別ができず成仏ができない。一人ひとりの痛みに触れるあおも、ここに来たからには何かの澱があるはずだ。小さな子供の体になってまで遊女として金を稼ごうとする。

 

常世の世界はあるのだろうか。そんなことをぼんやり考えつつ、女王が懐かしい人々にお会い出来たことを想像する。

 

 

 

 

#586 小綺麗になりたければ、まずは髪 ~「大人のあか抜けひとつ結び」

『大人のあか抜けひとつ結び』主婦の友社

不器用さんにもできます。

 

お客様 in Japanの真っ只中、心は英国に向いている。本葬までの間の王室の動きなどは時差のおかげで帰宅後にBBCを見ては涙している。私は初めての海外が英国だったこともあり、何かと思い出や思い入れが強い。次に渡航する時にはEIIRのマークも、女王陛下の肖像もチャールズ3世に替わり、何よりも国歌はGod safe the Kingになっているのかと思うと極東の他国民ですら寂しさと共に一時代の終わりを感じる。

 

家族を失った王室の方々は、まずは国務、そして哀悼を示す国民に寄り添い、次の世代を作る準備をすでに始めておられる。不謹慎ではあるのだが、そんなRoyalの皆様、特に女性陣のファッションについつい目が行ってしまう。

 

こちらは昨年、王配が高いされた葬儀での現 the Princess of Walesのお姿。気品に溢れておられる。

 

 

エリザベス2世には4人のお子さんがおり、一番下の息子エドワード王子にはソフィー夫人という妻がいる。この方も一般からの王室入りなのだが、女王と王配から非常に気に入られていたという。私もソフィー伯爵夫人が好きで、特に彼女のヘアスタイルの自然なまとめ方がいつも素敵だなと注目している。

 

kate

 

右から2番目の方です。彼女が出てくると場が温かく和むような雰囲気があり、ブロンドを低めのシニヨンにしていたり、ハーフアップにしていたりととにかく美しい。

 

9月に入りしばらく暑さが続いたせいもあり、無造作に伸びている自分の髪をどうにかしようと思っていた矢先、お客様の日本入りで自分のことに構っている余裕がない。ということで、これはもうまとめるしかないな!と手持ちのいくつかの本をチェックすることにした。

 

女性はやはり少しでも美しく見られたいと思うものだが、効率というものを考えると化粧よりはまずは髪だと思う。髪が綺麗だと清潔感がぐっと上がる。綺麗に染めていても枝毛だらけ、毛先バラバラだとエラー部分に目が行って「汚い」と思わせてしまう。例え毎日洗髪していても、見た目が美しくなければそれは「汚い」なのだ。だから常にパサパサにならないように気を使っているのだが、夏はどんなにケアしていても見た目に暑いスタイルは清潔感に欠けるような気がしている。

 

本書はKindle版を購入しており、本書を読みつつYoutubeなどで似たようなスタイルをチェックしながら練習してみた。不器用な私でも一人でできて、ピンとかゴムとかあまり使わないやつがいい。加えてまとめるに当たっての所要時間の少ないものにしたい。

 

手先の器用な人はぱっと簡単に髪をまとめてしまうが、私程度の不器用さとなると動画では全くついていけない。スローにしても何がなんだかわからない。もちろん出来上がりも相当ひどくて一瞬で崩れてしまうので、不器用さんでもできるレベルとなると、下の写真の右側が精一杯だ。

 

そう、私にできる精一杯は「老け見え」とある。いや、いいんですけどね。とにかく清潔に見えれば老けて見えても良いのです。お客様に「うわ、あいつ汚ねーな!」と言われないぎりぎりを攻めたい。ということで、この左の「おしゃれ」を目指すことにした。

 

 

これは基本の一つ結びというもので、ここで学んだことは以下。

① スタイリング剤を用意すべし

② 手鏡必須

③ コームも準備すべし

④ いい感じで崩そうとは考えず、マニュアルに従うべし

 

耳を半分隠すとか、毛束はこのくらいとか、動画より本のほうが私は数倍楽に学習できた。まとめた髪を少しルーズに崩すスタイルは前々から憧れていたのだが、不器用な私がチャレンジしても、出来上がる姿は「生活苦」というタイトルが付きそうなほどにボサボサで見るに堪えない。そういえば上の王室4名の右側のお方のメッシーバンもロイヤルとして正式の場であれはどうだろうと言われていた。

 

とにかく本書は私のようなどうしようもない不器用でも理解はできる。20回くらい練習すれば自然と手が動くようになるかも、と思えてくる程に写真はわかりやすく親切だ。前髪の長さ、髪の長さ、結ぶ場所による違いもそれぞれ丁寧に説明されている。

 

が、後半になるにつれてどんどんレベルアップしてくる。是非やってみたいのだが100回練習すればできるようになるだろうか。ソフィー伯爵夫人がたまにハーフアップにされているのだけれど、とてもスッキリしていて憧れている。が、この説明通りにやってみるとやっぱり同じような形にはならず、乳幼児の世話に疲れ切った図のような姿になった。

 

結局、ゴム1本でさくっとまとまるお団子姿で空港に向かったのだが、暑い日はやっぱりまとめ髪に限るな、と思った次第。ところで、数年前に帰国してすぐに髪を切りに行った時のこと、簡単なまとめ方を尋ねたら「くるりんぱ」と言われて「は?」となった。英語でもファッション関係の単語に疎く、いつも「は?」となってはいたが母国語でも全くわからないとは情けない。思えば芸能人の違いも分からず、広瀬アリスさんを見て「水野美紀さん、全然変わらないですねー」と言ってスタイリストさんが絶句していたことを思い出した。

 

こんな感じで3連休が終わってしまったが、後半の3連休は充実させたい。

#585 歴代”最も片付けがしたくなる本”1位!~「ガラクタ捨てれば自分が見える」

『ガラクタ捨てれば自分が見える』カレン・キングストン 著

元祖片付け本。

 

9月半ばに入った途端、やたらと海外から人が来る。日本がコロナ禍による水際対策を緩和するというニュースがちらほら出始めたせい?お盆あたりの一時は日本の感染者数が世界でも最も多かったのだが、今は都内もぐっと陽性者の数が減少していることも来日増加の理由だろう。

 

ということで、空港までお迎えに上がり、出てくるのを何時間も待ち、3連休もアテンドで働かざるを得ない。羽田の第3ターミナルにはそんな私のような人たちが列をなしてお客様の到着を待っていた。幸い読書する時間には恵まれるが記録を残す暇がない。

 

観光産業が再び活発化し、海外マネーが日本に落ちていくことはありがたいとは思う。が、週末や公休日が潰れると思うとため息が出てしまう。コロナ禍前は「社畜なんてそんなものよねー」と慣れのおかげか不満も流せていたが、今は自分の時間が何より大切だと考えるようになったため、つい顔に「勘弁して欲しい」な表情が出てしまう。

 

本当はこのシルバーウィークを利用して家の中を片付けるつもりだった。部屋の片隅にあった積読の山は少し前に撤去され、どうにか本棚の中に納まった。が、その本棚もぎゅうぎゅう詰めで、未読本はいち早く読んで処分か保管かの判断を下すべきだ。洋服もどうにかしたいし、とにかく目に見える部分を少しでも片付けたい。

 

定期的に「片付け」が出来ない時のモチベーションアップのため、本書を手に取っている。最近は便利なので「断捨離」という言葉を使ってしまうが、身の回りの「物」を整理し必要なものだけで暮らす生活にしたい。「ミニマリスト」なんていう言葉も近いのだとは思うけれど、とにかく捨てる。とにかく物を持たない。ここまで来てしまうと、私が最初にイメージした「片付け」とは全く別物になってくる。

 

本書を最初に読んだのは今からもう15年くらい前のことだ。海外暮しでなんとなーく気持ちがぼんやりしていた頃だった。日本から友人が来ては「最近読んだ面白い本」について教えてもらうのだが、友人の一人が「この本すごいよ」と教えてくれたのが本書で、なぜかものすごく惹かれたのがきっかけだ。いつもは送料がもったいないので吟味に吟味を重ねて本を購入していたのだが、本書に限っては速攻で購入したことを覚えている。本の到着が待ちきれなくて、街の書店で原書も購入。読み始めてすぐに引き込まれ、片付けがしたくてうずうずが止まらないなんて初めてだった。日本語版が届いた時にはすでに「ガラクタ」の山が出来ていた。

 

著者はバリで風水を学んだ方で、空間をクリアにすることで運気をアップするという方法を唱えている。風水と聞くと日本でよく言われる「〇〇の方角に✖✖を置く」というような開運方法を連想するが、本書の場合は大雑把に言えば「空間を整えよ」という主張になるのだろう。

 

空間を整えるというのは、その空間に余計なものを置かず、良い気のみが満ちた状態を保つということだ。これもまたまた大雑把な説明なのだが、良い気を満たすには「気」が存在すべきスペースが必要となる。そこに妨げになるものがあれば、空間に余裕を作り出すことはできない。だから不要なもの、つまり「ガラクタ」を取り除こう!というわけだ。

 

例え西の方角に黄色のものを置いても、そこが数か月分の処分すべき新聞の山が置かれているとしたら?本書は繁栄を司る場所から繁栄を妨げている原因であるガラクタ=新聞の山をまずは処分、黄色は置いても置かなくてもいいけど、自分が本当に好きなものじゃないならそれもガラクタ、という主張。黄色のものなんて頭に浮かぶのはバナナくらいだけれど、確かにそんな置物は例え金運アップとは言え、私の部屋には不釣り合いだし置きたくないなあ。

 

本書には面白い例がたくさん出てくる。何かに固執していると、ガラクタの存在に気が付きにくいらしく、アヒルやカエルのグッズを集めすぎて、本人が気が付かないうちにインテリアがすべてその執着に占領されているというものだ。数えてみるとカエルが100匹以上いた!なんていう本人以外には笑い話そのものなエピソードがいくつも紹介されており、「ガラクタとは」の概念を把握しやすい。

 

この「ガラクタを捨てる」ことで心の中もクリアになり、多くのことが改善されるらしい。そういえば今や世界的なブームとなったコンマリさんの片付け本だが、私は本書を読んだ後での読書だったのでむしろ二番煎じな感を得た。コンマリさんは私にとっては収納の達人のイメージが強い。

 

さて、このガラクタがどう影響してくるのか。これがまたモチベをどんどん上げてくる。家にはそれぞれの運気を司る位置があるという。著者は居住空間や一軒家であれば土地全体を9つの区画に割り、必ず玄関が下となるようにしてそれぞれのスポットの意味を知ることを進めている。これがものすごく掃除をはかどらせるので是非一度試して欲しい。

 

私の積読は「繁栄」の場所に山積みとなっており、本の他にも紙類が大量に捨て置かれていた。それを片付けた後の爽快感たるや、肩の荷がいくつも落ちたような感覚である。まだ完全に片付いたわけではないので「繁栄」は訪れてはいないけれど、一先ず有休取れることになったので良し!というところだろうか。

 

断捨離やミニマリストの印象としては、「物を持たない」がメインの理由になっているようだが、本書は愛着があるものであれば問題ないと言っている。ただ、それには限度があり、古い雑誌を集めているとか、頂きもののキレイな空き缶を捨てられないというのは検討の必要があるだろう。「後で使うから」という人は多いが、その「後で」は絶対に来ないと著者は言う。愛着で集めたはずのものが、急にガラクタに見える不思議。私は本の他、家電等の取説を大量に処分した。ネットで検索できるし、よくよく見るともうすでに手元に本体がないものの取説があったり。それらを捨てるとものすごくスッキリして、他にもいろいろな物を片付けたくなる。

 

ああ、うずうずする。早く片付けしたいなあ。ガラクタがないと頭の中の問題ごとまですっと消えていく感じがするのが不思議でならない。仕事で悩んでいたこと、面倒くさくてずっと保留にしていた案件なども、片付けてしまいたくなるから効果については実体験をもって保証したい。思えば初めてガラクタを片付けた時、スーツケース2つで渡航したはずなのに、たった数年でものすごい量の「物」に囲まれていた。今はゴミを捨てるにもお金がかかるので、普段から物と自分の心との相性を考えて暮らしたい。

 

#584 昔々の敬老の日~「武士の流儀 6」

『武士の流儀 6』稲葉稔 著

流儀が見えてきた。

 

朝晩は秋らしい天気が続き、やっと暑さから解放された感がある。今となっては昔々の話だが、もともと9月15日は敬老の日で休日だった。それが海外から帰ってきたら9月の第3月曜日に移動していて、あれから何年も経っているのに未だに馴染めずにいる。

 

さて、今日はそんな平日を満喫しつつ、シリーズで読んでいる本書の手持ちの最後の1冊を読んだ。

 

夏に入って読み始めた本シリーズ、なんとなくだが秋に読むほうがしっくりくる気がしている。というのも派手な捕り物ではなく、庶民のあいだの小さな困りごとを解決するもので、穏やかな読了感があるからかもしれない。

 

庶民の困りごとを解決するといえば、このシリーズも面白い。

 


面白いという言葉にはinterestingやfunnyやhilariousなどがあると思うが、こちらはついつい笑いが出るような感じのfunnyさがある。解決の方法も軽くはずむような流れがあり、謎解きのような面もある。

 

一方で元凄腕与力の武士が解決となると、正攻法で取り組むせいかやはり固さが前に出る。口調も堅いし、町の人々の生活にいきなり武士がやってくるわけだから、問題を抱える側も何やら構えてしまうだろう。そこに高圧感なくやんわりと近寄っていく清兵衛に、人々も好意を抱かざるを得ない。

 

今回の4つのストーリーも全て清兵衛の人情に溢れており、6巻目は全てがかなりインパクトのあるお話でシリーズにどんどんと深みが増した感がある。1作目は清兵衛の親友で現役与力である勘之助の次男による騒動だ。これがまた切腹ものの手に汗握る展開で、話が前後左右にぐらぐらと揺れる。事件の筋とは別に、このストーリーで清兵衛の人柄や与力としていかに優秀であったのかまでもが垣間見える作品だ。

 

2作目は善人そのものの武士が浪人となってしまい、生活に困窮している。その原因を聞いて心を痛めた清兵衛夫婦が活躍する。今は清兵衛も引退した身なのでお役目にもつかずに自由な日々を送っているから浪人とそう差はないのかもしれない。しかし、引退と若い働き盛りに浪人となるのはわけが違う。人の痛みを自分事として受け取れる清兵衛の生き方がタイトルにもある「流儀」なのだろう。

 

最後の一つは一番読み応えがあり、清濁併せ持つとはまさにこれ!な内容だった。貧するが故に心が頑なになってしまうことはよくあるが、武士が矜持として持つ忍耐も辛い生活の中でぷつんと何かが切れてしまえば、後は下る一方ということだろうか。読んでいると寂しい気持ちがふと訪れつつも、これはどう収めるべきかという疑問も残る。

 

本シリーズ、手持ち分は完読してしまったので、7巻目も近々購入したいところだ。

#583 秋の味覚の予習です~「御松茸騒動」

『御松茸騒動』朝井まかて 著

尾張藩の大殿の味。

 

秋がぐっと身近になってきた今日この頃。秋の味覚といえば、芋、栗、南瓜、柿、銀杏、そしてきのこ。これが私のお気に入りだが、人によってはいやいや秋刀魚だろ!とか、そんな甘いものばかりじゃ酒が吞めん!と仰るかもしれない。特に栗には思い入れがあり、栗が出てくると和菓子業界が一層華やかとなるのが良い。ショーケースが黄金となり目にも美味しい。

 

さて、本書は以前なにかのキャンペーン時に購入したものなのだが、購入したことを長く忘れていた。久々に料理エッセイ読みたいなーとKindle内を散策し発掘。料理からはかけ離れるが、著者の作品はいつもほっこりな気持ちになれるので早速読み始める。

 

時代小説に松茸?というより江戸時代に松茸がすでに貴重なものとして捉えられてきたということを知る。そもそも松が育つ国の中でも松茸を愛するのは日本くらいだと聞いたことがある。最近は輸入のものが多いが、産地は日本人が好きだからという理由で茸採りしてるそうだ。きっと高く売れるからということだろう。

 

舞台は尾張、今の名古屋である。主人公の榊原小四郎は尾張藩の江戸詰めとして用人手代の見習いに就いている。昔から賢かったことから、今の藩の面々の生ぬるさが気に入らない。計算もまともにできず、文字すら間違う上役藩士を見る度に「藩を蘇えさせてやる」と心に誓う日々だ。生真面目なことに、毎度上役の間違いに赤で付箋をいれている。

 

そんな小四郎は今、江戸で母と二人で暮らしている。実母は幼い頃に他界、後妻として実母の妹が嫁入りし継母となった。実父は数年前に他界し母子だけの生活のはずだが。父の友人が毎日のように詰めかけてくる。飲んで騒ぐだけで、小四郎は心底鬱陶しいと思っている。父の友はいつも3人でセットのように動き、みな名前に兵衛が付くことから三べえと呼ばれていた。

 

そんなある日、三べえが尾張へ戻る沙汰を受ける。これで解放されたと喜んだのもつかの間、小四郎も一緒に出掛けた先で三べえの一人が己の大小を無くしてしまった。刀は武士の命。もちろん藩からお裁きがあり、小四郎もなぜか同時に呼び出しを受けた。そして、なんと三べえと共に終わりに向かうようにとの沙汰が下る。さらには「御松茸同心」という得体のしれない職務となり、城下で3年暮らすこととなった。

 

話の中心は小四郎が尾張へ着いてからの奮闘記だ。調べてみると松茸は今でも人工に作ることができないようで、より一層その貴重さが伝わってくる。徳川の血筋である尾張藩は、この松茸を上納し時には政治のためにも使っていたようだ。ものすごい数の松茸を収穫しなくてはならないのだが、それが思うように進まない。自然のものなので豊作な年もあれば、全く採れない年もある。小四郎は何もわからないまま、松茸の味すら知らずに山へと向かい、ゼロから知識を蓄えていく。

 

尾張藩の大殿は城下の下々の心を捉えて離さず、蟄居を命じられた後でさえ、人々は大殿のことを忘れない。大殿時代の松茸の生産や、研究について知るにつれ、小四郎にも尾張藩士としても誇りが深く芽生えてくる、というお話だ。

 

ひとまず、本書では松茸の調理法が塩漬けと猪肉との鍋料理くらいなので、松茸が食べたくなってしまうような衝動は抑えられた。もし食べたくでたまらないなんてことになったら、散財を覚悟するところだった。とはいえ、松茸ってどこで買えるんだろう?買ってもどうやって食べるんだろう。網焼き?

 

秋は美味しいものが多いので、ずっと秋でいて欲しい。やっと涼しくなりつつあるし、このまま良き日が続くといいな。

#582 推しがアップしていたので読んでみた~「首のたるみが気になるの」

『首のたるみが気になるの』ノーラ・エフロン

ブコメ作者のエッセイ。

 

何度か書いてきたが、私の「推し」はGemma Chanというイギリスの女優さんである。

Wow! She oozed glamour in a fully-sequined gown - which was decorated with a nude flower design over the hem

こちらはついこの間、ヴェニスでの映画祭のお写真。ああ、お綺麗です!!!

Gemmaは読書がお好きで、たまに読んでいる本についてインスタあたりにUPしている。つい数週間前にはこの写真を揚げておられた。

推しが読む本は抑えておきたいというもの。早速探そうとチェックすると、とっても気になるタイトルのものが1冊ある。ちょうど真ん中の黄色いやつだ。I FEEL BAD ABOUT MY NECK とある。首の調子があんまり良くない?一体何だろうと早速Amazonを開く。見ると3000を超えるコメントで評価もものすごく高い。早速買ってみようかと著者のその他の作品もチェックすると、なんと本書の翻訳版があると出て来た。しかもKindleの英語版より翻訳された文庫本のほうが価格が安い。さらに翻訳者はあの阿川さんだ。一瞬で翻訳版に軍配があがる。

 

阿川さんも実はある意味私の推しのお一人である。阿川さんはロールモデル的な意味での推しだ。30代を過ぎた頃から上の世代の方から生き方について学ぶことが増えた。直接お話をお伺いすることもあれば、映像や写真を通して世で活躍する方に遠くから学ばせて頂くこともある。阿川さんが朝に番組を持たれていた頃、会話の運び方や佇まい、声のトーン、なによりもいつまでも可愛らしい女の子みたいな姿がとてもキュートで素敵な人だなあと思っていた。人生を楽しんでいる姿が画面からも伝わって来て、こんな大人になりたい!といつも姿を追っている。

 

さて、本書の内容だがbad about my meckを阿川さんは「首のたるみ」と訳しておられる。Gemmaの写真をアップで見てもらいたい。彼女の首はたるみなんてないし、この衣装は鎖骨が隠れているが、アジア人でもドレスが超絶似合う程にキレイな首回りを持つ美人さんである。より一層なぜ!?な気持ちが募り、すぐに読み始めた。我が家に届いたバージョンは表紙がピンクになっていたのでGemmaとまるっと同じというわけにはいかなかったが楽しい読書となった。さすが阿川さんの翻訳である。するすると頭に入って来てあっという間に読み終えた。

 

阿川さんの前書きを読むまで、私は一切著者について気にもかけていなかった。推しが選び、推しが翻訳している、というダブルメリット以外に目に入らなかったのである。この作品の著者は脚本家で、「めぐり逢えたら」「恋人たちの予感」など、昭和のトレンディードラマに影響を与えた風なラブコメ作品を生み出した方だった。

 

どうして邦題はいつも原語からかけ離れるのだろう。本作はその代表のようなもので、原題はSleepless in Seattleだ。どうして「めぐり逢えたら」になったのかちょっぴり考えるけど、シアトルにあまり馴染のない私としては「めぐり逢えたら」もアリかな。

 

本書はノーラが60歳を過ぎ、どんどんと老いを感じるようになって書かれた作品で、本国では2006年に書かれている。この映画が1993年だというから、10年以上後のことか。ノーラは71歳の時に白血病で他界している。それが2012年だというから、もしかするともう病状はあったのかもしれないし、まだご健在だったころかもわからない。

 

ブコメ書いちゃう人だからと決めつけてはいけないが、キャラが明るい。サバサバとしていて、元気いっぱい。NY生活を満喫している都会的な姿も見受けられる。タイトルにあるように老いが目立ち、美しさにも陰りが訪れることを嘆くような話では全くないので、一緒に嘆きたい人には期待はずれかもしれない。あと首のたるみを改善したい方にも何一つ改善のヒントにはなりません。

 

ノーラの作品の中にJulie & Juliaというものがある。本書を読んで、この作品がまるでノーラのことを書いているのかというようなメモリアル的作品であることを知った。60年代にアメリカで活躍したJulia Childという料理家がいる。詳しくは映画を見て欲しいのだが、恐らくアメリカで初めてわかりやすいフランス料理の本を書いた人ではないだろうか。

 

 

ノーラは本書の中で何度も料理の話を書いていた。3度の結婚の中で、相手によってつくる料理が変わって来る。読み進めるについてそれがノーラなりの愛情だったに違いないいう思いが強くなる。料理で人をもてなし、料理をこよなく愛したノーラのエッセイは、ラブコメの生みの親的なコミカルな部分に加え、意外なことに料理についても多くを学んだ。

 

そして阿川さんに戻る。なんとなく、だが阿川さんに翻訳を依頼した理由がよくわかるような作品だった。原書を読んでないのでなんとも言えないが、雰囲気がちょっと似ているのだ。阿川さんの方がちょっと可憐な感じもするが、泣いたり笑ったりでもポジティブオーラ全開で、まわりを惹きつけていくようなパワーがある。また著者はちょうど阿川さんの一回り上で、翻訳にこぎつけた頃は阿川さんがちょうど著者と同じような年齢だったかもしれない。

 

そうか。Gemmaは脚本家さんのエッセイを読もうと思ったんだろうな。もしかするとラブコメ出ちゃうのかしら。いつも知的な役柄多いし、ラブコメも見て見たい。週末またCrazy Rich!見Gemmaの美貌に鋭気を養いたい。

 

#581 人の心の温かさに癒される ~「武士の流儀 5」

『武士の流儀 5』稲葉稔 著

清兵衛、すっかり町の生活に馴染む。

 

この週末はずっとエリザベス女王崩御に関するニュースを見続けていた。一つの時代が終わってしまった感、手元にあるポンドはすべてエリザベス女王の姿がある。次に行く時にはチャールズ三世のお姿へと変わっているんだろうな。

 

BBCでは女王の功績をまとめた放送を続けて流している。その中で2020年コロナ禍での女王のメッセージを用い、We will meet again.のコメントの後にエディンバラ公とともに手を振りながら建物に入ろうと背を向ける姿で終わるものがあるのだけれど、これを見る度にうるっと来る。そしてニュースの合間にこの写真と共に女王の生涯を讃えている。なんと威厳のあるお姿だろう。

 

Queen Elizabeth II has died : We're in the same boat now.

 

心よりご冥福をお祈りするとともに、英国の皆様へ哀悼の意を表します。

それにしても、ハリー王子夫妻のなんとも言えない頼りなさを見ていると、この方々はすでに王室を支える立場としてそこに居るのではないのだな、というメッセージを出してしまっているように見える。こんな時こそ王室に生まれた使命を、偉大な家族を亡くしたことを自覚して欲しいと残念にな気持ちに。極東の庶民ですらそう思うんだから、英国の皆さんにしてみればもっと強い思いがあるんだろうなあ。

 

さて、この頃「テレビあんまり見ないんですよー」と答えることが何度かあった。大河ドラマを見ている人が多いようで、今のドラマの話題が何度か出てくる度に話についていけず申し訳なくなる。学校で習う内容もすでにうっすら。鎌倉のこととなると全くわからない。ドラマ的にも面白い作品とのことなのでいつか機会があれば見て見たい。ただ個人的には100%江戸贔屓を自負しているので、やっぱり侍だ!と本書を読んだ。

 

5巻目ともなると、もうすでに馴染み客のような気分で安心して作品を楽しめるのが良い。本書もいつもの通り、4つのストーリーが収められており、与力を引退した清兵衛が主人公だ。果たして今の軍や警察関連の人もそうなんだろうか。長年の勤務から身についた正義感が抜けず、困った人を見たらつい助けてしまうんだ!なんてことがあれば、世の中もっと平和になるよね。アメリカのニュースなど、元軍人の事件もたくさんあるし。

 

 我らが清兵衛は完全に「自分はお節介を焼いているのだ」と理解している。そしてかつての役職のような危険なものではなく、もっと身近な、町名主が登場するような厄介ごとに気が付いたらなぜか首を突っ込んでしまっている。今回はなんと、息子の初恋まで遠くから見守るというか、おぜん立てするというか、どうにか実りますように!と探ってみたりとあれこれ手を尽くす。そんなお父さん、しかも元与力の堅物だというのに、なんともチャーミングで面白かった。

 

4つ目の「板前」という作品はものすごく読み応えがあった。清兵衛は割と酒好きだ。でも深酒はやらない。ちょっと一杯と酔った店で出会った男が、誰とも親しくもせず、ただ一人でぶつぶつと独り言を言っている。一体何を?と近寄ってみると、世の中を非難するようなことをただつぶやいている。

 

「俺が何をしたってんだ」その男、梅三郎は正体を無くすまで酒を飲み、そして店を出た。清兵衛は気にはなれども自分の食事を楽しみ、そしてそろそろと腰を上げた。帰り道のこと、二人の男が倒れた男に暴力をふるっている。思わず止めに入った清兵衛に驚き、暴漢二人は逃げていく。残された男を見ると、なんと梅三郎だった。

 

もちろん清兵衛は梅三郎を助けた。家まで送るも酒で酩酊している状態だったので、改めて翌日に尋ねる。話を聞くと、梅三郎は有名料亭の板前だったと言う。そして襲われた理由もわからないという。ここから清兵衛のお節介が全開となり、梅三郎を自宅にまで迎え入れて助けの手を差し伸べる。

 

清兵衛は相手が武士であれ、町人であれ、貧富に関わらず親身に相手の心に寄り添っていく。なぜそのような状況にあるのか、どうすれば本人含めて廻りも幸せになれるのか、その解決法で長く長く幸せでいられるだろうか。表面の澱を取るのではなく、ずっとずっと良い状態が続くことを常に考えているからこそ、どんどん話が読みたくなる。そしてなぜか読み手の心もちょっぴり癒される。

 

エリザベス女王のニュースや、仕事のあれこれですっかり落ち込んだ気分でいたけれど、清兵衛の情の深さに元気を取り戻せた。