Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#684 刃こぼれ~「居眠り磐音 10」

『居眠り磐音 10』佐伯泰英 著

新しい刀も。

 

先週は風邪ですっかり体力が落ち、会社を休むほど不調が続いてしまった。週の初めに検査を受け、コロナでもインフルエンザでも無い事は確認したのだが、いつもなら市販の薬でも数日ですっきり治っていたのだが、今回は一週間まるまる寝たきり生活。この頃乾燥していたせいだとは思うのだが、喉からの風邪が長引き真剣に加湿器買おうかと悩んでいる。急場しのぎでエアコンの風が当たる場所にハンガーをかけ、そこに濡れたバスタオルを吊るしどうにか湿度を維持。たまに霧吹きで水をかけるといい感じなので、しばらくはこのままでいこうかな。

 

さて、そんな寝込んでいる間に本シリーズを読み続けていた。江戸のお話というか、実直な磐音の姿に元気が出てくる。

 

10巻目、磐音は一つ大失敗をしてしまった。なんと先祖代々の大切な刀が刃こぼれしてしまったのだ。

 

以前に仕事をもらった金的銀的の親分から、近くの大道芸人一家を助けて欲しいと頼まれた磐音は、早速話を聞いてみた。そこは一家で力自慢の芸を見せており、特に娘二人の技は非常に人気があり、稼ぎ頭だという。その娘の一人がある日急に芸に集中できなくなり、そしてついには家にあった有り金全てを持っていなくなったという。一家は店を閉めるしかなく、とにかく娘を探して欲しいとのことだった。

 

これは磐音一人では埒が明かないと地元の岡っ引きの親分に相談した。するとなんだか事件の匂いがするという。友人の御家人次男の柳次郎にも相談すると、あっさり居場所を掴んできた。同心や岡っ引きとともにアジトに乗り込んだ磐音だが、なんと拐しの張本人は甘いマスクで女性を誘い、ついには連れ込んでその後各地に女芸人として売りさばくと言う悪人だった。女たちはすっかり心奪われているので、悪人であるとは信じない。そこで男を助けようと乗り込んだ磐音達に攻撃してきた。力持ちが芸というその娘が、なんと火鉢を投げつけて来た。一瞬にして灰が舞い、目の前が見えなくなる。その際磐音は誤って鉄瓶に切りかかってしまったようだ。

 

手は痺れ、力が入らない。灰も収まり、捕物も終わり愛刀を見ると、その刃先が刃こぼれするという大失態であった。早速柳次郎に相談し、刀研ぎを紹介してもらう。そして磐音はこの後も仕事が詰まっている。お世話になっている両替商の今津屋から、熱海までの同道を依頼されていた。刀が無くては仕事が出来ぬと、今津屋は質として預けられたもう誰の手元にも戻ることのない刀から、好きなものを磐音に贈ると寛大な提案をする。

 

ところで、刀を研ぐというのはどんな作業なんだろう。家で包丁を研ぐとき、ものすごく神聖な気分になる。これで食材をより美味しく扱うことができるようになる、と丁寧に研いでいく。一日に何百もの鰻をさばく磐音は、毎日包丁を研いで準備する。定期的に包丁をケアしておくと、本当に料理が楽しくなるのでおススメ。

 

大き目の包丁ですら研ぐのに時間が掛かるものだが、日本刀ともなるとどのくらいの時間がかかるのだろう。刀はある意味神器のような面もあるので、取り扱うにも緊張や神秘性が伴ったであろう。しかも、磐音の刀は人を殺めたものでもある。平和の続いた江戸時代とはいえ、やはり刀に宿る不穏を感じていたかもしれない。

 

そんなことを考えながら、そろそろ包丁研がなくちゃと考える。ひとまず、もう少し体力回復してからですね。

#683 先生、奉公に出る~「居眠り磐音 9」

『居眠り磐音 9』佐伯泰英 著

深川の師匠、奉公に出る。

 

コロナ禍以降、ものすごく体調に気を付けていたので、ここ数年一切病気らしい病気をしていなかった。それがみるみるうちに喉が腫れ、鼻と咳の症状(つまり風邪です)に体がついていかずあまりの辛さに昨日は早退、今日は病院に行こうと思っているところだ。ああ、風邪ってこんなにしんどかったかしら。今日は節分らしいし、豆まきしたら風邪も去ってくれるだろうか。

 

さて、この頃読んでいるシリーズもの。

自分を鼓舞するために続きを読んだ。9巻目も安定の面白さである。

 

江戸時代は小学校を上がったくらいの年で、早い子なら小学校高学年のうちに商家に奉公に出た。丁稚として店の雑務を務め、徐々に経営や運営に関わる仕事を担う。

 

磐音が地元の豊後関前藩の政治に巻き込まれ、友を亡くし、江戸は深川に身を落ち着けた時、磐音には「深川での生活とは」を教えてくれる先生がいた。それが鰻採りの幸吉だ。幸吉は近くの長屋に住んでおり、幼馴染のおそめちゃんとともに、あれこれと磐音に江戸での生活について教えてくれるよい先生だ。

 

磐音は日々の暮らしのため、宮戸川という鰻屋で毎朝鰻をさばいている。磐音の地元でも鰻をよく食したし、魚をさばくのも得意な磐音はあっという間に宮戸川で一番のさばき手となった。その宮戸川に幸吉も鰻をおろしている。なかなかの腕で、大人に負けないほど質のよい鰻を採って来る。それを宮戸川に売り、家族を助けている。つまり幸吉の家では働き手が父と幸吉の二人ということになる。

 

その幸吉もそろそろ奉公に出る年ごろになったと二親は幸吉の未来について考え始めた。幸吉の父親は大工の下請けのような仕事をしており、息子にも同じ職を与えようと知り合いに奉公を打診した。ところが幸吉本人は「もっとでかい事がしてえ。」とばかりに、棟梁になるような仕事なら考えてやってもいいが、自身の性格には全く合わない気がすると言う。

 

ある日、いつになく深刻な顔をして磐音を訪ねた幸吉は、こんな話を磐音に相談した。すると磐音は丁寧に幸吉と話をし、何がしたいのか。どんなことが好きなのか。どこで働きたいのか、などを聞き出した。そして最終的に出た回答が宮戸川で働くことだった。磐音は幸吉の父親も説得し、宮戸川の親方にも話を通し、そして幸吉の願いを叶える。

 

幸吉は大人のような口を利くし、もともとがとても賢い。時代が違うので比較にはならないが、小学生のうちに将来進むべき道を選べる人はほんの一握りではないだろうか。何をしたい、何になりたいなんていうのは、世の中にどのような仕事があるのかを知っているから言えることで、子供は話題になっていることに注目するので大体が同じような夢を語る。しかし江戸の子供は親がどんな奉公先を探してくるかで未来が決まってしまうし、むしろ幸吉のように周りの大人が真剣に話を聞き、支え、その時のベストを尽くして未来を選べるのはラッキーなのだろう。

 

今こんな大人になってすら、「この仕事は私に合っているのだろうか」とか「本当はああいうことがやりたかった」など無いものねだりしつつ、今までの来し方に疑問を持ってしまうような私には、江戸時代のようにいつまでも子供でいさせてくれない、早く一人前になる必要のある社会で果たしてやって行けただろうかと一人妄想していた。

 

私が江戸に生きていて、やってみたいと思える仕事はやっぱり料理に関わる仕事で、小さな釜でごはん炊いたり、お味噌汁作ったり、季節を感じる小鉢なんかを作ったり、今の趣味に関連することになってしまう。ただ、それで稼げるのかというのはまた別の話で、とにかく「幸吉、がんばれ」な読書であった。

 

 

#682 実直そのものな姿に背筋が伸びます~「居眠り磐音 8」

『居眠り磐音 8』佐伯泰英 著

友の行方。

 

相変わらず喉の痛みが続いている。会社にもハチミツを一瓶持ち込み、あらゆるドリンクに入れて飲んでいる。一番痛みが収まるのはインスタントコーヒーにたっぷりのハチミツとミルクという組み合わせで、理由はわからないのだが不思議なほどに症状が緩和されるのでおすすめ。

 

さて、この頃シリーズで読んでいる本作も8作目となった。3~4冊で1年が過ぎていくような感じで、8冊目では江戸に来て2度目の年末を迎えている。


主人公の磐音は豊後関前藩を脱藩した浪人だ。お国の政治に巻き込まれ、友を亡くし、許嫁は廓に身を売った。しかし彼らを陥れた藩政を悪へと導いた敵を倒し、今、磐音の父は国を立て直すべく国家老として舵を取り、磐音自身も藩の作物を江戸に売るために尽力している。

 

今回は磐音の元へ妹の婚礼の報が届くところから始まった。藩の特産物を売ることで借金を返す政策を共に実行する中居からの便りに、妹の婚礼のことが綴られていた。殿自ら節制の日々を送っておられることもあり、婚礼は最小のものにするという。そして磐音の父からはその便りはなく、父が藩を出た磐音の立場、現在の藩の姿を第一に考えていることが偲ばれる。

 

さて、7巻目では磐音が世話になっている両替商の今津屋のおこんが消えたが、8巻目では友人の蘭医、淳庵が消えた。磐音と淳庵は、かつて日田で出会った。磐音が許嫁奈緒を探そうと長崎へ向かっている道中のことで、淳庵は何者かに襲われいた。たまたま出くわした磐音が淳庵を助け、長崎までともに進む。

 

淳庵は磐音には全く理解のできない理由で襲われていた。それは蘭医の治療法にあった。蘭医は人体の腑分けをする。そして体内について学びを得、病の根源を突き当てるという現在の医学に似たものがあった。江戸の時代はそれを良しとしない派がいたかもしれない。しかし、だからといって著名な蘭医を襲って良いというわけではない。助け助けられた二人は江戸に帰ってからも親交を深めていた。

 

今回、淳庵を襲ったのも日田での一党だった。淳庵が襲われるのはこれで3度目だ。それほど蘭医を敵視するとはどういうことか。南町奉行所からどうやら裏で郎党を率いる者はとある藩の人間であると告げられるも、なかなか動きが見えてこない。地道な探索で友を救いに向かう磐音の姿は、とにかく男気に溢れていて憧れる。

 

本シリーズ、とにかく磐音のまっすぐさに背筋が伸びる思い。それがまた大きくこの作品に惹かれる理由なんだろうなあ。

 

 

 

#681 悪意をそのまま受け止めない!~「メンタル強め美女 白川さん4」

『メンタル強め美女 白川さん4』獅子 著

助けられています。

先日喉の痛みにコロナ罹患を疑って受けたPCR検査、結果は陰性で恐らく気管支炎か何かなのだろうと思われる。自宅にある市販の風邪薬で急場をしのいでいるが、のどの痛みが引かないのが問題だ。とはいえ、コロナ罹患となると周囲にも迷惑をかけることとなり、その点では大いに安心した。

 

安心ついでに、届いたばかりの本を読むことにした。すっかり3巻の記録を書き忘れていたようなのだが、こちらはシリーズ4巻目で私にとっては読むクスリ的存在だ。


 

白川桃乃は25歳。誰もが認める美人だが、本人はこの美により過去はずっといじめられる日々を送っていた。家族の愛と、自分自身の内面と向き合うことで白川さんは強さを身に着けていったのだろう。どんなに嫌味を言われても、どんなにマウント取られても、白川さんは必ず打ち勝ってきた。相手がぶつけてくる悪意を素直に受け止める必要はない。その悪意からをも何か学びを得る。

 

例えば、女性も三十路を過ぎると人生の選択肢に違いが出てくる。ある者は結婚し子供に恵まれ、ある者は仕事に邁進して成功を納め、ある者はまだ自分の進むべき道が見えず苦悩の最中に居る。また女性のひがみは恐ろしい。自分より優れたものを持つ人に嫉妬し、その人にとって適格な「傷」となる言葉を投げかける。

 

辛辣そうではない言葉ほど刺さる。そんな毒を吐いてスッキリするかといえば、そうでもないはずだ。一度悪口を言い始めると、それが日常になってくる。そうすると心がすさんで来る。

 

白川さんは絶対にそんな生活は送らない。なぜなら自分にとっての幸せを第一に考えるからだ。白川さんのメンタルの強さはかつての経験から来るもので、己の価値観を信じている。他人の意見に呑まれず、相手の悪意もさらりとかわす。そのコツがこちら。

 

 

このマンガが読むクスリだと思う理由は、誰もがへこむような事柄を、白川さんが「違うよ」と新たな考え方を提示してくれるからだ。会社という空間は、同じ組織に所属している以外の共通点はない。学校とは異なり、年齢層も様々で、役職などの上下関係はは年齢とは異なる評価からなる。接する人も社外、社内と幅広い上に、「ビジネス」という利害があるのも面倒だ。だからこそ、言葉や態度の一つ一つが気になってしまう。

 

私の場合だが、上司が社内の調和を乱している。とにかく働かず上へのおべっか一つで社会人生活を送って来た人物で、仕事は全て部下に丸投げだ。仕事をしない上に、そもそもその能力がないのだが、本人の自己評価はものすごく高い。毎日遅刻と早退で、その上ものすごくおしゃべりなので一日中喋っては仕事の邪魔になっている。誰もがこの人を諸悪の根源と考えているので、上司が出社してからの社内の空気はものすごく重い。だからこそ、悪口が増える。すると、毎日何等かの理由で気分を害して悪い言葉を吐いていると、どんどんと自分の気持ちも低下し、作業効率も悪くなる。

 

そこで、自分にとって幸せであることを優先し、幸せとは思えないことを無視することにした。すると、その上司の存在も気にならなくなり、自然と会話にも出てこなくなった。白川さんのおかげである。何も自分の気分を害する人間のことを四六時中考えている必要はない。でも、嫌な気分というのは長々と続く場合もあり、ふと気が付くとずっと嫌いな人のことが頭から離れないことがある。これは健康にも本当に良くない。

 

というより、もったいないのだ。世の中には楽しい事がたくさんあるし、美しいもので溢れている。それなのに幸せとは真逆の気持ちで、しかも好きでもない人間のことで頭と心を真っ黒にするなんて、時間の無駄だし楽しい事に没頭していたらそんな暇すらないのだ。それを教えてくれたのは本書である。

 

何か悩みやコンプレックスの有る女性にはおススメしたい一冊。読み返せるように私は紙版で購入していつでも手に届く所に置いてある。

#680 神秘と侍~「居眠り磐音 7」

『居眠り磐音 7』佐伯泰英 著

王子へ。

 

この頃楽しんでいるシリーズもの。50巻を超える作品なのでまだまだ続く予定。楽しみが続くのは嬉しい限り。

 

気が付いたらもう1月も終わり。後半2週間はお客様ラッシュで大忙しだった。実はその間、人数が多い中での通訳をする際、どうしても声が通らず遠くの人に「聞こえない」と言われマスクを外すことがあった。食事の場でももちろんマスクは外すことになる。私の唯一の自慢が今までコロナに罹患していないことだったのだが、朝起きたらあまりの喉の痛さに「ついに来たかも」と病院でPCR検査を受けた。今結果を待っているところなのだが、市販の薬を飲んだせいか傷みはどんどん和らいでいるし、全く熱が出ないので、いつもの風邪で済めばなーと思う。

 

病院から戻り、ゆっくり読書を楽しんだ。というより、続きが気になってどうしても本シリーズに手が伸びてしまう。今回も磐音は藩の借金を返すため、労を尽くす。忘れようと努力しているところなのだろうか、幼馴染で許嫁の奈緒が同じ江戸に居ながらも、千両を超える花魁となった今は再び出会うことすら難しい。よって少しずつ奈緒のことは話題に上らない。その様子があまりにも切ない。

 

磐音がお世話になっている両替屋の今津屋では、お内儀のたっての希望から地元の大山参詣に向かうも、持病が悪化し生まれ育った土地でお内儀はひっそりと息を引き取った。主の吉右衛門もやっと江戸へ戻るが、お内儀がいなくなった今、彼女の不在が今津屋に寂しさを残している。

 

今津屋には小さな社がある。蔵と蔵の間にひっそりと供えられており、長く今津屋に出入りする磐音もその存在を知らずにいた。今津屋の社は稲荷より分社を受けたもので、年に一度、近くに数社ある稲荷から年毎に異なる社を訪れ、商い繁盛を祈願する。今年は王子の年であった。

 

主の吉右衛門は妻を失い喪中であることから、今年は遠慮するという。そこで老分の由蔵とおこん、店のものと磐音が付いていくこととなる。その年、王子では不思議なことが起きていた。狐火が見えるというのだ。狐火が現れる年は豊かな実りがあると言われているそうだが、その数が多いとやはり恐ろしい。それもかなりの頻度で現れるらしく、江戸では大きな話題となっていた。すでに見物客まで現れるほどで、王子に着いた今津屋の面々も早速狐火見学に出かけた。

 

狐火はひとつふたつとどんどんと増え、飛び跳ねるかのように移動する。最後には稲荷社に入っていくのだが、その時、閃光が走った。それを期に見学客は三々五々宿へ戻ろうとするのだが、気が付くと一緒にいたはずのおこんが居なくなっていた。町中探しても見当たらない。もしや立ち寄った茶屋での小競り合いの相手にさらわれたのではと偶然現れた南町奉行所の同心にも援助を頼み、町中を探す。

 

一晩探すもおこんの姿は見つからなかった。この狐火とおこんの話が面白い。このストーリーから江戸の風習について考えた。江戸の人々にとって、神社というのは今以上に日常に根付いたもので、信仰や願い事の場としてだけではなく、もっと公園みたいな気軽な場所のように思える。今は寺社を巡って御朱印を集めたり、パワースポットだなんだと訪れる人も多いが、多くの人にとってはそれほど馴染の無い場所になっているのではないだろうか。しかも町の神社を誇りに思い、祭りに熱くなり、地元神社との連帯感のある生活は、今ではなかなか見られない。せいぜい年始に訪れるくらいかも。

 

江戸の怪談には恐ろしいものがたくさんあり、江戸の人々はそういった奇異を楽しんでいたのではないだろうか。その一つが狐火であり、それを上手く表現している作品が本書だ。時代小説は、私たちが過去に戻ることが出来ないだけに、ファンタジーの要素を持つ。一種の神秘が物語をよりファンタジームードにするのだが、この作品では狐火が幻想的な様子を映し出していて、なぜかそれが江戸への郷愁を誘う。

 

結局、おこんは今回も磐音の手により助け出される。侍の気合。

#679 上野と言えば?~「夢見る帝国図書館」

『夢見る帝国図書館中島京子 著

図書館について書こう。

 

2週間に渡る旧正月ラッシュは土曜日に終了。昨日は久々に家でゆっくり過ごそうと決めていたのだが、気が張っていたのが急に緩んだせいか半日ほど寝て過ごしてしまった。もったいない。きっと寒かったからだとは思うが、12月の暖冬から1月半ばに入り急に寒さが厳しく体が付いていかない。

 

さて、本書はタイトルに惹かれて購入した一冊だ。タイトルからかつての国会図書館について書かれているのかなと想像するも、表紙の美しさに何か別のファンタジー的な要素があるのかも!などなどあれこれ妄想を抱えて読み始めた。

 

語り手は著者を想像させるような女性作家だ。ある日上野の公園でベンチに座っていた時に偶然出会った喜和子さんとの物語。喜和子さんは一風変わった人だった。つぎはぎパッチワークのような手作りの出鱈目なコートを着、白い短髪で何とも言えないパワーがある。いきなり主人公が座るベンチに腰を掛け、ぷかぷかと煙草をふかした。喉が弱い著者は咳が止まらなくなり、喜和子さんに金太郎飴をもらったことから二人の行き来が始まった。

 

著者は当時、こども図書館についての記事を書いていた。小説家を目指してはいたものの、なかなか芽が出ず、コラムなどを書くことで生活を支えていたのだが、喜和子さんに職業を聞かれ「小説家」と答えてしまう。すると喜和子さんも自分も書いていると言った。

 

喜和子さんは樋口一葉が大好きで、家に全集を持っていた。図書館が出来た明治時代、樋口一葉の他、多くの作家が門をくぐる。今の永田町の国立図書館になるまで、帝国図書館には多くの変化が起こった。もとは外遊に出た者らが「諸国列強には図書館がある」とその事業の大切さを説き、わが国にも図書館を作るべきとプロジェクトはスタートする。しかし大きくは戦争を理由にするもので、帝国図書館には幾度も危機が訪れた。

 

喜和子さんが書こうとしていたのはそんな図書館の歴史ではない。まるで図書館に心があるかのように、図書館が主人公で作家や地元を愛するような、どこか風変わりなストーリーである。そして喜和子さん自身も風変わりで、喜和子さんの語る話もかなり的を得ない。そして終いに「あんたが書いてよ」と主人公に自分の案を渡した。

 

分かっていることは、図書館が主人公であり、なんだかよくわからないストーリーであり、それは喜和子さんの生い立ちに深く根付いているであろうことだ。喜和子さんはその時上野に住んでいた。路地の奥にある狭く古い家で、2階には藝大生が間借りしている。喜和子さんは電話を持っていないので、主人公は手紙を書くか、何の連絡もなく喜和子さんの家を訪れることで交友を保っている。古い家で聞いた話は、セピア色で映し出されるような戦後の上野の話が多く、それは喜和子さんが実際に体験した話でもあるのだが、何か重要な部分が抜け落ちている。

 

人との交友というのは、環境が変われば遠のくことも十分にある。そうして二人の関係にも時が流れ、久々に喜和子さんの家を訪れた主人公は驚愕する。そこに家が無かったからだ。震災の後、一体喜和子さんに何があったのか。

 

すべては喜和子さんという不思議なおばあさんの人生を主人公や周りの者が斟酌しながら物語を組み立てていくことにある。そして喜和子さんと同じくらいに図書館という存在が揺ぎ無く彼女の人生を支えている。明治、大正、昭和と帝国図書館は姿を変えていくのだが、喜和子さんが生まれる前の図書館の様子は樋口一葉を始めとした明治や大正の作家の作品が色を添える。

 

日本の文学史の豊かな時代の作家の名が現れる度に、「久々に読みたいな」という気持ちになる。登場人物の一人一人が愛情深く、愛らしく、ふと気が付くと自分も上野にいるような気分になる。帝国図書館の育みがあったからこそ、私たちは豊かな文学を愛することができるのは確かだが、喜和子さん世代にとってはその古き良き時代の図書館は未来であり、人生であり、命であり、喜びだった。

 

読み応えのある一冊。

 

 

#678 江戸時代の祈願、大山参詣 ~「居眠り磐音 6」

『居眠り磐音 6』佐伯泰英 著

大山詣で。

この頃読んでいるシリーズもの。

 


シリーズものは時に飽きてくることがあるのだが、本シリーズにおいてはどんどん読みたい気持ちが高まっていく。大筋は主人公の磐音が幼馴染の死を苦に藩を出、地元豊後から遠い江戸に身を置くことで、陰ながら藩を支えて行く。そして、離れ離れとなった幼馴染で許嫁の奈緒を廓から救う。とてもとても壮大な本筋がある。そこへ、1巻1巻割とダイナミックな事件が起こり、本筋とともにスポットで起こる事件がかなり読み応えがあって止められない。

 

6巻目、磐音は旅に出た。と言っても以前のように地元への旅ではない。互いに信を置く両替商の今津屋のお内儀が地元の寺社でどうしてもお参りがしたいと言い出した。お内儀は体が弱く、今津屋吉右衛門との間に子はない。吉右衛門は妻の願いを聞き入れ、度に出ることを決めた。吉右衛門は、夫婦の他、お内儀の世話役としておこん、吉右衛門の世話役として店の者を、そして用心棒に磐音を連れ出すことにした。

 

お内儀は大山詣でを強く強く願っていた。地元でもあるが、ここは健康の願掛けでも有名であったからだ。地元に近づくにつれ、お内儀は少しずつ元気を取り戻していくのだが、磐音の向かうところ、何かとトラブルが起こる。大店の今津屋の主人の旅であれば、かなりの金を持って旅しているに違いないと脅してくるものもいる。

 

お内儀の願いを叶えるため、磐音は努力した。心の重みを寺や神社へ願をかけ、どうにか叶うようにと祈る気持ちは磐音にもよくわかる。江戸の生活も悪いものではないが、思い出の多い地元を想う心もよくわかる。だから磐音はお内儀の心へ寄り添ったのである。

 

ぼんやりテレビを見ていて、よく知らない国のイベントなんかが画面に映っている時、意図的に誰かにカメラの焦点が合っていないような状況で、なぜか目が行く人がいる。駅や空港で人が降りてくるのを待っている時、待ち合わせの相手以上になぜか目に付く人がいる。きっとそういう説明のできない輝きを俗にいう「オーラ」だと思っているのだが、きっと磐音もそんなタイプの人だったのであろう。目立つが故に善悪両方に目を付けられる。

 

お内儀の大山詣では磐音がお内儀を背中に背負うことでどうにか成就した。山の上部は女人禁制であったことから、磐音はお内儀の願が叶うようにとお内儀に代行して日参した。磐音の人柄がここでも読者を魅了する。

 

刀ではなく、人の命が去ることをテーマにした作品。