Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#594 かっこいい暮しのお手本に出会ってしまいました~「自由にたのしく年を重ねる 衣食住のつくりかた」

『自由にたのしく年を重ねる 衣食住のつくりかた』石原左知子 著

すっかりメンター。

 

あっという間に休みも終わり、ああ9月も終わりだなあとしみじみ思う。家の中を片付けるというのは思った以上に長丁場になりそうで、その時は「さあ、終わったぞ」と思うのだが、夜になって湯船につかりながら「そういえばあれも処分しようかな」とまだまだ延長線上にあることに気づかされる。環境作りとはその繰り返しなのかもしれない。

 

私が目指している所はミニマリストではなく、「ガラクタ」を処分して、頭の中も、心の中も、目に見える環境もクリアな生活だ。不便を我慢したいとは思わないし、日々満喫し、心身ともに楽しいと腹の底から感じられるような毎日を送ることだ。

 

昨日読んだ本が何か頭のどこかに引っ掛かりを残したようで、引き続き同じ著者の本を読みたくなった。Kindle Unlimitedで読める本があと1冊。早速ダウンロードして読んでみる。

 


本書は昨日読んだ本のちょうど1年後に発売されており、よりライフスタイル全般について書かれており、広く浅いようで実に深い。1冊目で触れられていない内容は「食べること」だ。仰っていることは本当に普通のことで、何も著者だけが語っているわけではないようなことが多い。むしろ既存の情報にすぎないのだが、著者の語り口調(というか文体)にものすごく納得させられてしまうのはなぜだろう。

 

例えば、蒸籠で蒸し野菜を作ってみよう!おいしいよ!な内容だったり、目でも愛しもう!と食器やデコレーションを工夫する。本当に本当に本当に、繰り返し言うが本当に!今まで多くのライフスタイルや料理関係の書籍で目にしてきた言葉たちだ。それが著者が語るとものすごくリアルに想像できるというか、著者のダイニングの様子を遠くから見ているような気持ちになるというか、説得力がすごすぎて「そうか。こうせねばならぬ。」と自分も軌道修正が必要だと強く感じさせるような力がある。一言一言に滋味があり、読み終わる頃には自然に背筋が伸びたような気分だった。

 

そしてこの写真ですっかり心を打ちぬかれ、今「メンター見つけた!」な気持ちになっている。

 

もしかしたら私が今まで知らなかっただけかもしれないが、このリンゴの並べ方や器の感じにふわあああああああああああああああああああああああああああ!となった。ライフスタイル関連の書籍を読むようになってまだ数年、きっと似たようなカット方法でフルーツを飾るようにサーブする情報は他にもあったかもしれない。初見のインパクトの強さたるや、ここ最近ではまれにみるほど。

 

著者はご主人が50歳になった時、やっておきたかった事を尋ねたそうだ。ご主人は「海外に住みたかった」と仰ったそうで、じゃあいってらっしゃいよ、と送り出す。よって今は数か月おきにご主人がお戻りになる以外はお一人で暮らしており、ご自宅は職場も兼ねている。

 

2冊を読んでの感想だが、きっと著者はサバサバ系でむしろ厳しいタイプなのかもしれない。大股で真っすぐ目的地を目指し、決断も早い。好き嫌いの基準を持っていて、自分をよく理解している。スポーツ選手のようなストイックさをお持ちの方ではないかしら?と勝手に妄想しているところだ。お写真を拝見してもなんともかっこいい。

 

ライフスタイルの項目でも、ご自身が好きだと思うものだけに囲まれており、無駄がない。ガラクタなんてきっとすぐに処分してしまうことだろう。もっと若い頃、できれば10代でファッションやインテリアや料理に興味を持った頃、シニア世代のライフスタイル本から学んでおきたかった。お金がないからこそ、ガラクタに頼らず、本物を1点買いして長く大切に「物を育てる」ことを学ぶべきだった。今だからこそ思えることなのかもしれないが、もっと早くに自分の軸作りを始めるべきだった。結局安いマグカップ10個の価格は、憧れのマグカップ1個の価格に相当し、それを自分の手元に置くことで物を愛でる心も芽生えていたに違いない。

 

かっこいいシニアと言えば、この方もそうだ。

 

 

自分を知ることで、好きと嫌い、似合うと似合わないを把握し、自分に対する甘えを残さないことがかっこいい大人である、と知った。

 

こういう方に一度お会いしてみたいなあ。Kindle Unlimitedではなく紙の本も購入しておこうと思う程にかっこいいライフスタイルだった。

#593 ライフスタイルのお手本もスッキリ生活派でした~「スタイルを持ち、身軽に暮らす いさぎよく、住む・着る・生きる」

『スタイルを持ち、身軽に暮らす いさぎよく、住む・着る・生きる』石原佐知子 著

66歳、スタイリストの生活。

 

夏休みも最終日。昨日は衣替えをし、来年も着たいとは思えない服を片っ端からゴミ袋に詰めた。反省したのはネットで購入した服のことだ。今年の夏に山に居た間に思わず買ってしまった服のあれこれ。数回しか着ていないけれど処分したものが多い。ネットは確かに便利だし、独自のディスカウントなんかもあって飛びついてしまいがちなのだが、手元に届いていざ着てみると「なんか違う」なことが7割。手持ちのものとのコーディネートを考えて生き残ったものもあるけれど、色や形など店頭で実際に同じものを見ていたなら、きっと買わなかっただろうなと今後は一切ネットで服を買うのをやめることにした。買ったばかりだけれど、それらを一息に処分。

 

そして細々としたものも少し処分。ペンとか、ちょっとした雑貨とか。おまけでついてきたかわいい物たちも使っていないものは処分。温もりがあるorなしでどんどんと捨ててはみたが本当に片付いているのだろうか。少しはすっきりしてきていると思いたいが、全体量としてはそんなに減っていないんだろうな。

 

そういえば一昨日、ガラクタ捨ての本を探していた時、以前に読んでみたいと思っていた書籍がKindle Unlimitedにあることを知った。絶望的にファッションセンスが欠けている上に、コロナ禍以降どんどんと体重が増え、今や何を着ても微妙さが漂っている。随分前だが占いで「赤を着ろ」と何度か言われたことがある。今、赤を着たら完全にだるま体系で似合いすぎること間違いないのだが、まずはinよりoutを優先したい。とにかく、何を着るべきかわからない時、SNSで情報を取ったり、雑誌を見たり、本を読んだりして自分の何がおかしいのかを探るのだが、その際に著者の書籍がちらほら出てきていたのでずっと気になっていた。

 

正直申し上げて、私はデザイナーさんやスタイリストさんなどのファッション業界の方のお名前に疎い。よっていつものように著者のことも存じ上げずに本書をダウンロード。読んで知ったのだが、代官山にショップをお持ちのスタイリストさんだそうだ。やっぱりなあ。最近はセンスのあるシニアの方の書籍をチェックすると、大抵ファッション業界に身を置いていた方が多い。キッチンの本にもスタイリストさんが登場することも多く、そしてお料理まで上手だったりするから脱帽ものだ

 

さて、その石原さんの何が気になっていたかというと、Amazonの評価が高かった以外にこの1冊ですべてがわかる!みたいな内容になっていたことだろう。インテリアからファッションまで、著者のこだわりが見えてくる。ちなみに著者はこんな方。

 

どう考えても66歳には見えない!

ファッションセンスのある方は「似合う」「似合わない」を判断できることが強みだろう。私は「なんか変」程度で、自分に似合う服がなんなのか、全く見当がつかない。イエベ・ブルべですらぴんと来ないし、「ブルべ冬の方にはこちらが」とか言って出されたので「ああ、これが似合うのか」程度のうっすい感想しか浮かばないから、こうしてはっきりと「似合うとはこういうことよ!」というお手本を見せられると、俄然やる気が出てくるというものだ。

 

本書は前半は暮らしのこと、後半はファッションのことが書かれている。特にインテリアは興味深かった。

 

白で統一された自宅は、なんと賃貸なんだそうだ。すぐに飽きてしまうので、賃貸で暮らしているのだが、オーナーがお知り合いの方らしく自由にリフォームできるという点が一般の賃貸とは異なるのかも。

 

それにしても、だ。これ日本ですよ?どう見ても海外のキッチンっぽいが、著者は見せ方の問題と言っている。パリの一角にありそうな絵だが、これもすべて著者が一人で作ったもので、よーく見るとエッフェル塔のおろし金っぽいものが見える。(著者はエッフェル塔のアイテムを集めているそう)

 

なんとも居心地良さそうで、それでいて個性に溢れている。ファッションもそうだが、自分の「好き」が基本になっているのでブレがない。そして著者も一切のガラクタは受け付けない。

 

⑩使うものしか持たないこと

「ただ持っているもの」はうちにはありません

 

「風通しのよい家」は、ものも人もいきいきと生きて、動いている家。

戸棚や引き出しの中に何年も着ていない、忘れ去られている服はありませんか?キッチンにずーっと置きっぱなしで、何年も触っていないようなスパイスが並んでいたりとかは?ものが使われずに停滞していると、そこに時間の垢みたいなものがたまって、どうしても風通しが悪くなる。

なんとなく「ただ持っているもの」は、必要ではないものなのです。

食器も洋服も、どんなものでもそうですが、持っているものは必ず使う。使ってはじめて、ものは生きるのですから。だから高かった服こそ、たくさん着て、元をとらなきゃいけません。もったいないから「ここぞというときに着る」なんて思っている「ここぞのとき」って、5年の間に2、3回しかないのでは?

ものがたくさんあることは、決して悪いことじゃない。でも、使わないものをたくさん持っているのは意味がない(趣味のコレクションは別として)。

 

まさにカレンにも通ずる概念。ガラクタは一切ない。本人が好きで、ちゃんと愛着を持って使用している物に限る。そこがやっぱり心地よさの原因だろう。

 

そろそろ安物買いはやめよう、と考えてからずいぶん経つ。ジーンズ1本で旅に出ていて、急に仕事が入って現場から駆け付けなくてはならない時、ついファストファッションで間に合わせの服を買ってしまい、とりあえず1シーズンは着てみるのだけれど、買う時に迷ったとはいえ真剣に吟味してそのショップに行ったわけではない。だから後々箪笥の肥やしが増えていく。実際にショップで試着して購入しても、肥やしになってしまうのだ。本当の「好き」を探す作業はライフワークと言えるだろう。

 

箪笥と言えば、著者は箱型の収納ものを使わない様だ。箪笥やボックスなど、ほぼ使っておられない。それでいてスッキリしているし、見せる収納ではないはずなのに吊るされたお洋服も風景にマッチしている。

 

私の場合、まずはガラクタ処分からだが、ガラクタを捨てたことで生じる空スペースにぽこんと「センス」が入ってくれればなあ。

#592 捨てまくりたい欲求が止まりません~「8割捨てればうまくいく!人生を変えるガラクタ整理法」

『8割捨てればうまくいく!人生を変えるガラクタ整理法』竹内清文 著

カレン女史の技をよりわかりやすく。

 

夏休み2日目、やっぱり片付け魂がうずき始める。私のバイブルはこの本。カレンの提唱する「ガラクタ」の話はいちいち深く納得できるので、サクッと片付けが進んで行く。

 


玄関を下に置き、家を9分割することでその位置が何を司っているかを知ることができる。私は現在賃貸生活だが、不動産関連のホームページから間取りをチェックすることができる。その間取り図をExcelに添付、9つに分けたそれぞれのスポットを表にして、さらに画像にコピーすることで大きさを伸縮させて間取り写真に重ねることができる。楽に各スポットを把握できて便利。

 

以前にも書いたと思うが、積読の山は解体され、処分or本棚に鎮座した。鎮座というかぎゅうぎゅう詰め状態なのでそこも早々にどうにか攻めねばならない。本棚は「旅行」の場所にあるので、しっかり片付けて温泉旅行にでも行きたいものです。

 

さて、そのカレンが実施している勉強会に参加し、ご自身もガラクタを捨てて人生を切り開かれたという経歴を持つ著者による1冊。内容としてはカレンの書籍からTipsとなる部分をピックアップし、ご自身の経験を加えることでより分かりやすくした内容となっている。

 

なぜ本書を読んだかというと、まずKindle Unlimitedの作品だったことと、どんなにカレンの本を手にしても、なんとなくモチベーションが上がらない時があるからだ。こと「ガラクタ」に至っては、捨てたい!片付けたい!という欲求が高まった方が作業が楽に進む。

 

例えば、ミニマリストや断捨離関連にも共通することだが、物を捨てる、物を減らす作業の中で油断していると作業がストップしてしまうことがある。そう、「なつかしさ」が目の前にぱーんと開けた時だ。CD片付けようと思い、棚から出して「ああ、これ懐かしいー。〇〇と一緒にライブ行ったんだよ。よし、聴いてみよう!」から始まり、懐かしモードに突入。次々とCDチェックしたり、ネットでライブの予定調べちゃったり、しまいには〇〇の近況が知りたくてSNS三昧と完全にガラクタ捨てから外れてくる。わかりやすいのは写真入りのもので、ついつい郷愁にひきずられていく。

 

私はあまり思い出深い物は今の家に持ち込んではいないのだが、基本的にぐうたらなので「ああ、疲れた。本読も。」と紅茶入れて完全にお休み態勢になってしまったり、ついながら作業でドラマを見ながら作業してしまうので、気が付いたら新しい作品なんかを探してしまう。そもそも集中力の無さが自分の欠点だとわかっていながら、なぜドラマや映画を見ながら作業をしているのだろう。

 

そこで思い立った。「よし、関連書類読んでモチベ上げよう!」さっそくカレンの名前から調べてみると、本書が上位にあり早速ダウンロードしてみる。読み始めて割と早い段階で著者の思いっきりのよい捨てっぷりに感動。

 

著者は大学院までは研究活動に従事し、その後はJICAへ就職されたそうだ。JICAさんと言えば思い出すことがある。以前出張で途上国に赴いた際、何人かのJICAスタッフさんにお会いしたことがある。みなさんものすごくエネルギッシュで魅力的な方ばかりだった。何がすごいって、私は基本マインドがダメ寄りなので、すぐに楽をしたがるし、痛いことは嫌い、辛いことも嫌いである。よって、危ない場所とか、ものすごく移動に時間のかかる僻地とかには例え仕事でも積極的に行こうとはしない。口に入れるものにも慎重になるし、できれば風呂にも毎日入りたい。ところがJICAのみなさんはものすごく楽しそうに、私が拒絶した地方のもっと奥へ奥へと出向いて行かれる。「車のスプリングがおかしくなってて6時間で尻が割れるかと思ったよ。わはははははははは。」みたいなノリで、現地がものすごく楽しかった!とプラス思考がすごい。とは言え、開発援助が目的なのでやはりシビアな目で物を見ておられるので話しがどんどんディープになる。とにかく、素晴らしくエネルギッシュな集団、というイメージだ。

 

著者もあのJICAにおられたのか!と勝手に親近感を持ちつつ読み始めた。文体から明るくエネルギッシュな方を想像させるが、やはり仕事にストレスはつきものです。ストレスにより体を壊し、ついに退職せざるを得なくなったそうだ。それまでの著者の人生は本当に普通の、悩みを抱える青年風。もちろんガラクタも大量に持っていたことだろう。

 

それがカレンに出会いガラクタを捨て、人生が一変したという。まず著者は仕事を辞めて沖縄に移られている。そこからはじまったガラクタ捨ては、広範囲に及んだ。そもそも東京で着るような真冬の服は沖縄では必要がないだろう。だから捨てる。会社辞めたしスーツなんて多分着ない。だから捨てる。

 

もっとすごいのは本やCDの処分だ。CDは棚一面だったというからものすごい量だったことだろう。推しのライブでゲットしたグッズや、雑誌なんかも大切に持っていたそうだ。それを「この先、これで何があるのか」と自分に問いをかけ、そして「受け身ではいけない!」と本当のお気に入り以外のすべてを捨てた。そしてこれがまた驚くのだが、「沖縄に来てください」とライブの計画をアーティスト側に提案し、CDを捨てた途端にOKの返事があったというからガラクタパワーのすごさをうかがわせる。

 

本の扱いについて困っている人には、カレン本よりこちらのほうが参考になるはずだ。本は「後で読みたくなるはず!」という理由を筆頭にあらゆる事情で捨てにくいアイテムだ。今はKindleをもっているので紙からデジタルへと移行して書籍を捨ててはいる。しかし、それでも捨てられないのが本。写真集とか、料理本とか、無理なんです!!!

 

著者はまず人生で大切だと思えるものを5つ選べと言う。それを紙に書きだし、優先順位をつける。その3番目までにあるものを基準にガラクタを捨てると良い、とあった。私が書いた優先順位は①安定した生活②健康③幸福感④趣味(海外旅行とか生活とか文化とか。特にヨーロッパ!)⑤自由、だった。もう物じゃないじゃん!と判断しにくい所ではあるが、抽象的な概念を書く人はそもそも物で幸せを感じないのだそうだ。なんだ、じゃあ益々物はいらないじゃん!ということになる。一般的にはリストには物を選ぶ人が多いらしく、本とか料理器具とかパソコンとか、この方が捨てる基準がわかりやすいだろう。

 

著者もベスト3にあんなに大切だった本が入っていなかったそうで、論文のために買い集めた本なのに!と愕然としたらしい。そしてあっけなく高価な学術書をガンガン捨てていったそうだ。これを読んでから私もものすごく捨てたいモードが高まっている。

 

そろそろ都内も秋の気配が高まり、衣替えのシーズンとなった。そう、こういう時こそ服を見直すチャンス。なんだろう。ガラクタ捨てるというだけでワクワクが止まらない。

#591 江戸と寺社とスピリチュアルと~「東京でひっそりスピリチュアル」

『東京でひっそりスピリチュアル』桜井識子 著

東京にある神社寺社。

 

この頃、生活のリズムが乱れている。まず、海外からやたらと人が来るのでアテンド業務が続いた。その間の業務も滞るので、身の回りが常にバタバタしている。そこへ英国のエリザベス2世逝去の報道があった。時差の関係で夜中の時間についついニュースを見る日々が10日ほど続き、睡眠不足。先週の連休も全く自由にならず、やっと本日より遅い夏休みでございます。

 

本来はもっと早い時期に1週間まるっと休む予定でいた。そしてその際には絶対に部屋を片付けると決めていた。が、アテンド業務しているうちに「ああ、癒されたい」な気持ちがムクムクと湧いてくる。身体的にマッサージを受けて癒されるのではなく、気持ち的に癒されたい。座禅とかマインドフルネスとかがしたい。昔はよく週末になると近くの神社にお参りに行っていたのだが、今年に入ってその習慣が途絶えている。そうだ!お参りに行こう!と思っていた矢先、本書が目に入った。

 

アテンド時に書店に行きたいという方が結構いて、そこで少しだけ自由時間があった時に見つけた1冊。見るとKindle版があったのでそちらを購入する。著者の作品は以前に京都版を読んでおり、これで数冊目になるだろう。

 

スピリチュアルというと眉唾なところもあるのだが、著者は神仏について紹介していることが多く、いわゆる「パワースポット」として有名な神社や寺社以外をも網羅しているのが興味深い。確かに「神仏と話せます!」な内容に辟易してしまう方もいるだろうが、全く聞いたことのない神社のお話などは一つのガイドブックとして私は接している。

 

本書は東京の東側、西側、多摩地区、そして皇居にスポットライトを当てている。江戸好きとしては、昔からの歴史のある寺社が出てくると、うは~!と嬉しくなり、御利益うんぬんより江戸を体感したくて行きたくなってくる。本書はなんと皇居についても触れており、驚くことに外苑から祝詞を唱えることで神に接することができたとある。それが真実かどうかはさておき、やっぱり江戸城には陰陽師の手が加えられているというのは、スピリチュアル業界でも話題になるような「あるある」なのか!ということにちょっと嬉しくなった。

 

江戸城、今はすでに本丸は姿を消し、皇居内に跡地を残すのみだ。江戸城だし、今は皇居だし、恐れ多くて「見に行きたい」などと考えたこともなかった。中に入れることは知っていたし、定期的に一般開放されていることも知ってはいたが、私の庶民魂は「お城は遠くから拝むもの」と長く考えていたが、本書を読んで「一度行ってみようかな」と考えを改める。だって結界の中に入れてしまうのかも!なんですよ?江戸の繁栄に本当に陰陽師のような力が介在していたのだろうか、と日々妄想を繰り広げている身としては、どうせなら一度行ってみれば?なわけである。

 

何よりも、あの徳川家が江戸にどんな夢を見ていたのかを実際に見てみたい。時代小説を読みながら江戸時代の埋め立て地の地図を見てみると、徳川政府の江戸を形作っていく力がすさまじい。多くの力が動員されたことから各藩は苦境を強いられたが、おかげで今の東京は大きく発展した。

 

時代小説を読んでいると、願掛けだけではなく日常のこととして寺や神社を訪ねるシーンがある。見えない力を受け入れるような生活が当時は普通だったのかもしれないが、出てくる寺社はたいてい一緒だ。鎮魂などの意味で徳川家は多くの寺社を建立しているが、庶民が訪れるシーンはそう多くはなかっただろう。偶然か、意図的か。江戸城の鬼門は上野に当たり、数々の寺社が建立されていた。そして裏鬼門は増上寺だと言う。探せばきっとこのあたりのことを詳しく研究している書籍などもあるかもしれないが、今はこれだけでも十分に満足。

 

今回紹介されている寺社神社の中で、東側は割と近い所同士が紹介されているので旅行の際にも行きやすいだろう。西側はばらばらと点在しているので、全部訪問するには時間がかかりそう。

 

個人的な意見にすぎないが、京都のほうが読み応えがあった。きっと知らないことばかりという驚きが強かったせいだと思うが、京都のほうがちょっぴり神仏に対する敬意が強いように思えるせいもあるだろう。

 

さて、この3日間はゆったりすごさせて頂きます。

#590 ストンと腑に落ちた ~「賢者の書」

『賢者の書』喜多川泰 著

イードの旅。

 

Kindle Unlimitedの年間契約をしてから、おすすめに上がってくる対象の書籍をなんとなくクリックしては読むようにしている。こちらは気持ちが英国に向いていた時、タイトルになんとなくハリーポッター的な(あちらは「賢者の石」です)ものを感じ、これまたなんとなくクリックした作品。結果として、今の段階で読めて良かった!と思える作品だった。

 

気が付かなかったのだが、著者の作品を読むのは2冊目だったようだ。

 


一時期、あれこれうまくまわらなかった頃の話だが、自己啓発系の本を読み漁っていた事がある。読めば慰められはするが、抜本的な解決には至らなかった。頭では理解できるけれど、なんとなくモチベに繋がっていなかったからだろう。その当時は頭の中に「どうすれば現状を打破できるのか」みたいな言葉だけが巡っており、実際に打破するターニングポイントは訪れなかった。きっとものすごく勘の良い方なら、書籍から大きなひらめきを得られるのだろう。まだまだ悟れてない!と自覚しつつ、あれこれ試すもやっぱり何か歯車が思ったように回ってはくれない。

 

今思えば、小さな行動を起こすにもとてつもないエネルギーが必要だったわけだが、それを繰り返し続けていかない限り突然変化するなんてことはないのだろう。例えば、新しいコミュニティーに属することになったが、どうもそこに馴染めない。さあ、ここでアクションだ!と積極的に輪に入るべき対応を考え、実行するハードルの低いものから試してみる。その小さな一歩を踏み出すことが一番ハードで、次にその小さな一歩を出し続けて前進することが大切なのだろう。私はこれができなかったから、悶々とする日々に舞い戻っては悩み、また自己啓発本を読んで試し、またまた挫折、を繰り返していた。

 

人にはそれぞれの悩みがあって、人の数だけ悩みがある。お金が必要だという人が自己啓発の本を読んで、一念発起するとしよう。そこで得たinsightをたった数度試しただけで手元に希望の金額が入ってくるなんてことは稀だろう。逆に、ビジネスで成功しておられる方は何度も何度も挑戦を繰り返したに違いない。継続こそが一番の種なのかもしれないが、種をまく作業がそう簡単ではないということだろう。だからこそ、いろいろな自己啓発本が書かれ、読まれている。

 

本書のストーリーはこうだ。アレックスというサラリーマンは、静かな所に身を置きたいと思わず飛行機に飛び乗ってしまう。アレックスは父親の仕事についてドイツに住んでいたことがあり、その時は言葉が通じないことからいつも独りぼっちだった。寂しさを紛らわすために訪れていた公園のことを思い出し、早速旧知の街へ向かう。その公園はただただ静かだった。アレックスはすっかり遮断されたような空間として、その公園に日参していた。久々に訪れたかつての公園でアレックスはすべての喧騒から逃れ、静寂を満喫する。

 

すると前から少年が歩いてきた。靴はぼろぼろで疲れ切っているようだ。少年はなぜかアレックスの座っていたベンチに腰を掛ける。話を聞くと、少年の名はサイードで最高の賢者になるため、最後の賢者に会いに来たという。サイードが最高の賢者になるには9人の賢者から教えを受ける必要があり、今まで会った8人の賢者からの知恵は本にすべて記録されていると、古ぼけた大きな本をアレックスに見せてくれた。

 

アレックスはサイードの許しを得て、その本を見せてもらうことにした。そこには8人の賢者がサイードに教えた内容が事細かに記されていた。これはサイード自らが書いたのではなく、教えを受けると賢者はパズルのピースを1枚、サイードに渡す。パズルのピースは鍵の役割で、本にセットするとそのビジョンが現れる。そしてビジョンが本に文章を残す。この本は最終的にはサイードのものではなく、9番目の賢者に手渡されるという。

 

アレックスは夢中で読んでいく。その一つ一つの教えが、どこかで聞いたことのある話ではあるのだが、「パズル」というキーワードのせいか、一つ一つが身に染みる。今までの自己啓発の本はなんとなく年齢制限みたいのがあった。例えば80歳の人が自己啓発本を読んでもなかなかLife Hackなことにはならない様な風があった。ところが本書は性別も年齢も関係なく、どんな人にも適応する話があった。ここ数年、あまりこの手の本を読んでいなかったせいか、ものすごく腑に落ちる上にその場で実行し始めたこともいくつかあったほどで、すっかり心酔してしまう。

 

実は登場人物の口調の違和感などで、さっと読めたわけではなく、少しずつ何日かかけて読んだ。かえってそれが良かったのかもしれない。時にふと思い出しては「ああ、そうだ!気を付けよう!」という思いになる。

 

主人公のアレックスは50歳を過ぎ、会社でトラブルを抱えていた。人との問題、業務内容の問題、本書ではそのいくつかを説明しているが、それ以外にも人は数々の問題を抱えている。それがなぜかどんなケースでもピッタリ合ったアドバイスに見えるのが不思議でならない。この頃、社内の人間関係にイライラが募りすぎて、つい周りに愚痴る日々が続いていたのだが、本書のおかげでそのモヤモヤもすっと心から消えてしまったようだ。すごい!

 

大人にも子供にも「人生」のイメージをしっかりと見せてくれる一冊。

#589 久々のアガサです~「マギンティ夫人は死んだ」

『マギンティ夫人は死んだ』アガサ・クリスティ

ポアロシリーズ第29弾。

 

思えば昨年のこと。Amazonのセール時に早川書房から出ているアガサ・クリスティーの作品を全作購入し、「これからは推理小説だ!」と息巻いていた。ガイドブックとしての指南書も購入し、発売された順に読むことまでを決め、それでも100冊ほどもあると時間がかかる。

 


まずはポアロシリーズから入り、途中ショートストーリーなど日本では扱われていない作品などもあることから、読み順はこちらのWikipediaのものを参考にしている。

 

Hercule Poirot in literature - Wikipedia

 

さて、そんなアガサ作品を読み漁る計画、今年も腰を落ち着けて没頭できる夏休みに再開だ!と思っていたのに、その夏休みがなかなか取れず。そこでウォーミングアップを兼ねて次の作品を少しずつ読み始めることにした。

 

 

最後に読んだのが28弾目で結構な冊数を読んだわけだが、超有名作品以外は割と頭から消えていた。というのも、過去の作品に出てくる登場人物が29弾目にも顔を出してくれているのだが、それがはてどんな作品だったか思い出せないから情けない。つくづく記録残しておいてよかったーと思った次第。

 

さて、前作と本書の間には2つのショートストーリーが発刊されているのだが、早川書房版に従いこちらを29つ目とする。

 

Title: Mrs. McGinty's Dead

Taken at the Flood

Publication date: Feb 1952

Translator: 田村隆一

 

翻訳者の田村隆一さんはwikipediaによれば他にもアガサ作品を手掛けているのだが、早川書房では他の方の翻訳を採用していたようだ。今まで28冊を読みつつ、生意気にも「翻訳がいまいちだなあ」というものがいくつかあったが、本書に至っては非常に読みやすく、とても楽しい読書となった。

 

本作品も英語圏の人にとってはタイトルだけで想像が膨らむタイプのものらしい。というのも、タイトルはわらべ歌から来ており、子供たちが遊びながら口ずさむものらしい。ぱっと頭に浮かんだのは日本で言えば「かごめかごめ」だろうか。旋律がちょっぴり物悲しく、歌詞もうっすらおどろおどろしい。きっと英語圏の人であれば、タイトルから「これは殺人が起きるな。しかも類似のものだろうな。」という予見があるのだろう。私はそんなことは全く知らずで本書で学んだ。

 

「マギンティ夫人事件のことなのです。たぶん新聞でご存じでしょうが」

ポアロは頭を振った。

「そう、べつに気にもとめませんでしたが。マギンティ夫人――家だか店の中だかにいた老婦人。彼女は死んだ。どんなふうに死んだか?」

スペンスはじっとポアロの顔を見つめた。

「そうだ、思い出したぞ、こいつはおどろいた。どうしていままで気がつかなかったのだろう」

「なんですって?」

「いやなんでもない、ちょっとした遊戯ですよ。子供のゲームです。私たちが子供のときよくやったものです。一列に並んでね。質問したり答えたりして、その列を通るわけです。〝マギンティ夫人は死んだ!〟〝どんなふうに死んだ?〟〝あたしのようにひざついて〟すると次の質問があって、〝マギンティ夫人は死んだ〟〝どんなふうに死んだ?〟〝あたしのように手をのばして〟そこで私たちはひざをついて右手をこわばらせてぐっとのばすのです。ほら、これであなたもおわかりになったでしょ!〝マギンティ夫人は死んだ!〟〝どんなふうに死んだ?〟〝こんなふうに!〟ピシャッと手が鳴ると、列の先頭のものが、横むきに倒れます。すると、私たちはみんな、九柱戯のように、ばったりと倒れるのです!」スペンスはその回想に大きな笑い声をたてた。「昔に帰りましたよ、この歌の文句で!」

 

ポアロのもとを訪ねて来たのは以前の作品にも登場しているスペンス警視だ。自分が担当した殺人事件の結果に納得がいかず、本来は自分でどうにかすべきだが次の事件も担当せねばならない上にいろいろ調べても何も出てこない。困り果ててそこでポアロに手助けを求めることでストーリーは始まっている。

 

今回も戦後のイギリスの田舎町が舞台で、そこで家政婦をしていたマギンティ夫人が殺された。夫人は自宅を間借りさせていたことから、そこに住んでいた青年が犯人として捕らえられる。裁判の判決もこの青年が犯人だとし、数週間後には青年は犯罪者として命を終えることとなっていた。スペンス警視は、この青年が犯人という証拠がそろってはいるが、どうも青年の犯した事件ではないという気がしてならない。ポアロへ調査を引渡し、ポアロは早速現地に向かう。

 

町は小さく、すぐに噂が広がってしまうようなところだ。ポアロの登場もあっという間に町に知れ渡るのだが、人々はなぜ犯人が捕まった事件を再調査しているのかと不思議がる。そこへ旧知のオリヴァ夫人という探偵小説家も登場し、謎が一気に解けそうな気配を醸し出すが、ポアロは最後の最後まで悩み続ける。

 

ガイドブックによると、本作品はアガサらしくないという説明から始まっており、その「らしくなさ」はハードボイル風だからだとあった。私の個人の感想はこうだ。久々のアガサ作品だったせいもあり、むしろ「アガサ最高!」くらいの気持ちでいた。たしかにハードボイルとと言われればそうなのかなーとぼんやり思う程度で、読んでいる間は伝統的なイギリスの推理物という気持ちだったと思う。

 

まるでシャーロックのような鬼才っぷりを表すのではなく、じっとりと何かに覆われたような町で根気よく調査にあたるポアロ。それがハードボイルドだと言われればそうなのかもしれない。アグレッシブに活動する風でもなく、ひたすら考えている感があるのは、相棒がいなかったからではないだろうか。今回の調査ではスペンス警視はエジンバラでの事件にあたっているとかで、ポアロは単身で現場で調査にあたっている。相棒がいれば、それはいつものようにおちゃらけた口調で調査の合間合間に会話を楽しむこともあるだろう。でも一人となるとそうはいかない。一人で調査=ハードボイルドというわけではないだろうけれど、たしかに少し調査の様子が控えめなのかも。

 

じっとりと何かに覆われた感覚というのは、共同体の小ささから来る保守的なムードということではなく、戦後の世の中の重さによる閉塞感ではないかという思いもあった。というのも、この頃はエリザベス2世の逝去により女王の生い立ちを説明する番組を数多く目にしていたからだ。

 

本書は1952年にアメリカで初版が出ているが、ポアロ作品は戦時中にスタートした作品だし、映像で見た当時のイギリスの様子は(イギリスに限らず)人の心を石のように固くし、いろいろな判断基準自体が歪んでいたように考える。ものすごく自己的になったであろうし、誰もが尋常ではない時代に生きざるを得なかったはずだ。それが戦後となり、少しずつ心に明かりが灯るようになれども、また別の悩みも生まれる。どうやって食つなぐか、どうやって苦労のない生活ができるか、どうすればかつての苦しみから解放されるか。その重さが薄いベールのように小説の中にも見え隠れしているような印象が強かった。

 

さらには、登場人物や場所の説明で教会が出てこない。医者や旧家は出てくるが、全体的に戦争の傷を抱える時代というよりは前に進む力に突き動かされている時代に見えたということもある。

 

最終的にポアロはいつも通りにロンドンに戻り、お気に入りの食事に満足し、一件落着となる。が、その食事の中でも今回の事件の複雑性が見事に表現されていて、やっぱりアガサすごい!となるのである。

 

評価:☆☆☆☆

おもしろさ:☆☆☆☆☆

読みやすさ:☆☆☆☆

#588 やっぱり私は現世派です~「剣聖の称号を持つ料理人 1」

『剣聖の称号を持つ料理人 1』天那光汰 著

異世界に転生した料理人のお話。

 

紙の本を読んでいかなくてはならないタイミングなのだが、なぜかKindleでの読書ばかりがサクサクと進んでいる。「読む→メモを残す」のルーティーンが「読む→読む→読む」とインプットに偏っている今日この頃。ストレス溜まってきたのかなーと自覚してもいたり、読書の秋のはずがなかなかペースがつかめないのは問題だ。取れるはずだった休みも結局ものすごく短縮バージョンとなってしまったことも読むことばかりに偏る理由になっているかもしれない。

 

この頃は加えて英王室のニュースというか、ゴシップからも目が離せず、ニュースを追い続けている。王室メンバーが新しい体制をなすべく一致団結している中、逆に走るチーム2名のエピソードに驚いてばかりだ。これからはきっと「かわいそうな私たち」なPRがたくさん流れてくると予想するが、もうあれだけ世界に王室側からの「現役じゃない人扱い」が発信された今、彼らを信じサポートしてくれる人はいるのだろうか。

 

さて、1年間限定でKindle Unlimitedを契約しているのだが、ストックできる書籍には限界があり(多分10冊くらい)、いっぱいになれば都度削除しなくてはならない。忘れないように読み終えた後にはAmazonのページに入り削除するようにしているのだが、そのたびにまた新しい本を見つけてはダウンロードしてしまう。本書もそんなうちの1冊で早々に読んでしまうことにした。

 

惹かれた理由は他でもない。タイトルにあった「料理人」という単語からだが、内容を読んでみると期待していたものとはちょっと違ったかも。というのも、舞台が異世界だったからだ。そして異世界の人物?はなぜ皆「猫耳」なんだろう。かわいいからいいけど。

 

ストーリーはこんな感じ。主人公のハルキはホテルでスーシェフを務めるほどの料理人で、いつか自分の店を持つことを夢見て腕を磨いている。料理コンテストに応募し、さあこれから!というはずだったのに、目覚めたら目の前に竜がいた。そして襲ってきたので対峙し、なんと自分の包丁で竜を倒してしまう。

 

タチの悪い竜を倒したと周りはあれこれハルキの面倒を見てくれることになるが、よくよくまわりを見回すと人間は一人もいない。そしてうっすらと記憶が蘇る。ハルキはこの世界に来る前にくじを引いて「剣聖」の称号を与えられた。あまりに説明不足で本人もなんだかよくわからい状態だったが、実際に竜の前に出てみるとどうナイフを扱うべきかが見えてくる。世話してもらった食堂の厨房に入れば、野菜の処理すべきベストな方法が見えてくる。

 

 

ハルキが転生した先はオワリ領で、海が近く日本の食材に似たようなものが食されている。もともとフレンチの知識があったので、地元の料理をよりおいしく、華やかに調理していくハルキの前に、領主からの誘いがかかる。そもそも、竜を倒したということが一大ニュースだ。剣士として迎えられそうになるも、剣聖の力を秘密にし、料理をする道をどうにか得る。

 

とりあえず1巻を読んでみたが、やっぱり現世の料理のお話の方が好みかなー。異世界での料理をテーマにした作品を他にも見かけたことがあるが、もしかすると1巻程度ではその魅力が伝わりにくいのかも。とはいえ、やっぱり実際に自分の料理に生かせるようなお話のほうが個人的好みです。