Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#587 一つの時代の終わりを見届けた気分です ~「あおのたつき 1,2」

『あおのたつき 1,2』安達智 著

常世で生計を立てる、遊女あお。

 

19日、お客様がお帰りとなりやっと自分の時間が持てた。昨日は帰宅してからずっとエリザベス2世の国葬を見ていた。国内でも同時通訳などをつけての放送があったそうだが、私はHuluのBBCで視聴する。

 

あとから日本の報道を見ていると、あれ?と思う表現があったりしてちょっぴり違和感が残る。というより、関心を持って見聞きしていないと気が付かないのかもしれないが、海外の爵位の表現なんかが微妙にずれている。もっと勉強して頂きたいとは思うが、訃報は突然のものであり配信側の準備が儘ならなかったのだろう。通訳さんに至っては王室関連の専門家などいないだろうから、より一層大変なお仕事だったと苦労を労わずにはいられない。

 

こうしてテレビや音楽として聴くだけでも十分に心に染み入るものがあるが、実際に生で聞くバグパイプの演奏は、響きそのものが体を突き抜けていくような独特な力がある。魂そのものを直接揺さぶるような、まるで浮世と常世の間をつなぐかのような神秘的な音。それが行進を導いていく。スコットランドアイルランドの音楽隊数十人が一斉に鳴らすバグパイプが圧巻だった。

 



そばで聞いていた人はユニオンジャックの旗の下、自分たちが英国人であること、その国に一生を捧げた女王があの世へ旅立ったことをあのバグパイプの音でより実感したのではないだろうか。そして最後にはバグパイプが去っていく音とともに、幕を閉じた。

 

個人的な意見と前置くし、反論派に対応するほどの熱意もないが、近代に入ってからの世界各国の王室や皇室にはそれぞれのお役目があると思うが、下々の立場として感謝したいのはその文化や伝統を今でも日常として守って下さっていることだと考える。どんなに長く続く名家でも100年以上も前の週間を行事として守り、再現するのは難しいことだ。一つの出来事を文書として残し、代々受け継ぐ有形・無形の伝統、それを何百年も守り続けておられる。英国は日本と共通する面が多いと思うが、彼らの存在が自分たちの文化や心根の軸になっている部分を担っていたことに、こういった変化があって初めて気付く人もいるだろう。日本も有史の文化を守り、それがあるからこその日本であること、私は海外に出て初めて気が付いた。

 

エリザベス2世のウィンザーでの様子をBBCで拝見しながら、イギリスの一時代が幕を閉じたと実感する。なんとなく興奮したまま眠れなくなり、ネットで英国の記事のいくつかを読んだ。かえって目が覚めてしまい、これは良くないぞとマンガを読むことに。

 

Kindle Unlimitedは時々おススメの書籍を紹介してくるのだが、立て続けに時代小説を購入した際にあがってきた本書を読んでみることにする。現在は2巻までがKindle Unlimitedの対象となっている。

 

吉原の一角にある九郎助稲荷、その奥に浮世と冥途の境に近いところがあるという。遊郭に居たものは、冥途にある遊郭へとやってくる。その奥にある鎮守の社はそんな遊女たちの迷った心を救う。

 


主人公のあおは、三浦屋で濃紫という名で店を支える花魁だった。それがなぜかこうして常世へやってきてしまう。鎮守の社に付き、宮司の楽丸に出会う。楽丸はあおを社へ置き、同じように常世へやってきた遊女の恨みを一つ一つ取り去って成仏させる任にある。

 

江戸の、しかも常世遊郭が舞台だなんて面白い設定だなーと読み始めた。小説にもよくあるが、吉原で働く人々には何かしら隠された悲しみがある。困窮して娘を売るなどはむしろ普通なのかもしれない。親兄弟を亡くし、だまされて連れてこられたものも少なくないはずだ。あおもおそらくそのような背景をもった花魁なのだろう。

 

楽丸が驚くほどに、常世に来てからでもあおの金に対する執着は強い。怨念を取り払う楽丸にすらまだ自分の過去は話していない。しかし、人の痛みに共感できるあおは、次第に鎮守の社の仕事を担う。なぜ、金なのか。なぜ貪欲なほどに金に執着するのか。あおに対するなぞは続く。

 

鎮守の社に現れる者たちは、亡くなってもまだ心の澱と決別ができず成仏ができない。一人ひとりの痛みに触れるあおも、ここに来たからには何かの澱があるはずだ。小さな子供の体になってまで遊女として金を稼ごうとする。

 

常世の世界はあるのだろうか。そんなことをぼんやり考えつつ、女王が懐かしい人々にお会い出来たことを想像する。