Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#926 全方向に謎が。得体の知れない世界観に好奇心が疼く~「三体」

『三体』劉慈欣 著

中華SF

 

いつの頃からだったかはっきり思い出せないが、地名や人名はできる限り現地の言葉で表記しようという動きが始まった。例えば、中国語の固有名詞を現地の読み方に合わせる。しゅう・きんぺいではなく、シー・ジンピンのように母語音に歩み寄った表記を選択することとなる。

 

普段中国語の音に慣れていれば、さっと変化に対応できたであろう。ところが私にとっては大混乱以外の何物でもなかった。まず、中国の音読みをアルファベットで表記する場合、香港がHong Kongとなるのはわかる。上海がShang Hai、これも想定内だ。だが山東はどうだろう。私はこの地名をサントウと読んでいた。しかし新表記ではこの地名はシャンドンとなり、英語表記ではShan Dongである。私の混乱のもとはこの英語表記で、既知の知識がまっさらになったも同然。

 

本格的に危機感を感じたキッカケはXianであった。まず、発音できない。中国語のアルファベット表記には子音が多くあり、日本では使わないXなども多用される。Xianも頭の中に音が浮かばなかった。かろうじて前後の文脈から地名であることはわかったが、話はどんどん進み、結局半分以上理解することが出来なかった。Xian、西安である。

 

もうずっとずっと前のこと、アメリカの書評サイトを読んでいて本書が大変面白いという記事があった。世界観が変わるというコメントに早速英語版を購入しようとAmazonでサンプルを読んで「ああ、忘れてた」と一気にトラウマの世界に引き戻された。中国独自の表現が英語になった途端、難易度が何倍にも膨れ上がり、最終的に日本語翻訳を待とうと決めたわけである。

 

翻訳版は思ったよりも早い段階で販売された。アメリカでもかなりの話題になっていたことや、中国語だけではなく英語版からも和訳作業に迫れることからか、作業ピッチも速かったと推測される。確かコロナ禍の頃、早速Kindleで購入したのだが同時にものすごい量の書籍を購入していて、本書もKindleの海のどこかにひっそりと沈むこと約3年。このほどNetflixでドラマ版が放送されたと知り、早速書籍を読むことにした次第である。

 

これは完全なる偏見だが、漢字で本確定なサイエンス・フィクションなんて無理に近いと勝手に想像していた。漢字は美そのものと考えているし、その表現力は唯一無二の豊かさがあると信じている。その信念がむしろ1文字の漢字が想像力を高めすぎて読者に深読みをさせるのでは?という懸念につながっていた。英語でrightと言われて、「右」や「権利」くらいの想像は可能だが、「陽」という一字に、漢字を使う人ならば次々と頭の中に言葉やイメージが浮かぶだろう。

 

加えて、最新の科学はカタカナ語が多い。つまりは外来語なわけで、西周が外来語を日本語に置き換えたように、令和の今も誰かが新たな和語を作る作業は行われない。秒単位で新しい知識が生み出される今では、その作業をしている余裕もないだろう。

 

しかし、本書はもうその漢字があるからこその深みが「謎」を圧倒的なwonderの世界に導いていた。そもそも三体とはなんだろう。英語タイトルはThree Body Problemで、この三体が問題であることまでは想像がついた。

 

時代は文革。圧制により弾圧された中国の知識人、葉文潔は幼い頃に物理学教授であった父が学内で弾圧により惨殺される場を目撃している。母親と妹は父親の側に立つのではなく、保身のために父を弾圧する側に加担していた。文潔の心は崩れ、すべての希望を失う。そしてその汚れた考え方を修正すべく、軍政府の北部開拓団へと送られた。

 

もともと文潔は天文学を専攻しており、すでにいくつかの論文で知られる存在であった。その知識が、彼女を過酷な労働から天文学の世界へと引き戻す。そう、宇宙開発である。北部の開発知識には一際大きな施設があった。なにか不気味な音を立て、その音が鳴り始めると鳥が一斉に森から離れて行く。文潔はこの施設に連行された。そして施設のプロジェクトの名を知る。ここは紅岸基地と言い、宇宙に他の文明や生物が存在するのかを探るために日夜研究に勤しんでいると言う。文潔はここのメンバーとして働き、一歩も外に出ることが許されずに一生を終えると思われていた。

 

しかし時の流れに従い、文革の力は和らぎ、この研究自体にも重きが置かれなくなる。そして今、40年後の文潔は老年となり父が務めた大学で教鞭をとっていた。

 

前半は文潔の歴史である。この人物がどのように学問を納め、研究を進め、今こうして北京に戻ってきているのか。数十年を経て、彼女は何を得、何を捨てたのか。

 

文潔が戻った街では、汪淼という学者がナノマテリアルの研究を行っていた。彼も若き日の文潔のように研究に人生を捧げていた。それがある日、唐突に謎の世界へと導かれる。自らとは関係のないはずの事件のはずが、どんどんと深みに引き込まれていく汪淼。

 

この文潔と汪淼が主人公となり、三体とは何者であるかが解かれていく。その過程がハリウッドなどの西洋を背景にしては決して描かれることなどないであろう壮大な世界観を与えている。光と闇ではなく、陰陽のようなもっとどっしり重くて謎めいたもの。

 

まだNetflix版を見ていないのだが、本書はシリーズ3までが書籍版として発売されているはずなので、映像より先に書籍を楽しむことにしたい。これは単なるワクワクではなく、不安と期待が共生するダイナミックな好奇心。