Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#831 挨拶、どう返していますか?~「ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語」

『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』田村明子 著

認められよう。

 

業務で英語を使うことをわかっていながらも準備が出来ていなかった。先回の出張でも相手の言っていることはわかるがこちらの伝えたいことがなかなか英語にならない。言い訳にすぎないが、その伝えるべきことを準備するのに精一杯で英語にまで気が回らなかった。付け焼刃でも勉強しておこうと機内で読み始めたのが本書である。

 

今や英語もスタンダードというものがなにかわからなくなってきた。アメリカ英語、イギリス英語の他にも確実にそれぞれの言語に影響を受けている英語があり、その話者は多い。例えば毎回シンガポールに行く度に戸惑ってしまうSinglish。中国語が英語に影響を与えており、現地の人に聞くとそれがちょっと丁寧な表現になったり、感情を込めた表現になったりとアクセントを加えてくれるらしい。同僚とタクシーに乗っていた時のこと。行き先近くになり止めて欲しいという意思を伝えるにあたり、同僚は「Could you stop here, 吗?」とドライバーさんに伝えた。こんな感じで中国語が影響を与えている。

 

感情を込めて話すというのは大切なことだ。うわべだけの言葉ではなく、心の入った、気持ちの込められた会話をしたい。タイトルには「軽く見られない」とあるが、それは対等の立場で会話をするというようなものではない。そこにはもっと深い意味があり、人として社会から除外されることがないように努めるためのマナーに近い。その場にいない人として扱われるのではなく、しっかりとそこに居るべき人として認められるにはマナーが必要。

 

序章を読んで納得した。文化の違いにより、知らず知らずのうちに身に付いた習慣により、それがどこかの国では大変失礼になるということがある。本書はニューヨークにお暮しの方が書いた本なのでアメリカでの話になるが、長くアメリカに滞在している日本人の老夫婦がいらした。著者の耳に何気なく彼らの会話が聞こえてくる。お二人は日本語メインで会話しておられるが、会話に英語が混ざっており発問もすっかり現地のものになっていた。恐らくアメリカ暮らしの長いご夫婦なのだろう。ご高齢でいらっしゃるので、いろいろな自由が利かなくなっており、カフェやレストランで席に座るにも一苦労だろう。お店の方に案内され、どうにか席に座ったようだ。

 

ここからが文化の違いである。著者は、彼らからお礼の言葉がなかったことに驚いたと言う。そして英語初心者であれば長い文章が作れずにぞんざいな口調になってしまうのはわかるが、長くこちらで暮らしておられると思われるのに丁寧な物言いとなる英語が出てこなかったことがこの話の肝である。ご高齢であることでサービスを受けるのは当然ではないし、親切に対応してくれた方にはお礼をすべきだし、お水一つを頼むのでも言い方というものがある。それが欠如していたようだ。

 

私もついわからない単語が出てきたり、どう説明すればよいのかわからない時、後で考えれば命令形だったり失礼な伝え方をしてしまったと反省することが多々ある。特にお礼の言い方、挨拶の仕方は毎回すんなり口から出来ない。他にも注意しなくてはならないことがあるかと夢中で読んだ。

 

長期滞在であればそのうちに人柄も理解してもらえて本意ではないことがわかってもらえるかもしれない。しかし互いの言語レベルを知る前の段階でいきなり命令口調で会話を進めているようでは、まとまる話もまとまらないだろう。相手に悪い心象を抱かせるようなことになれば、今後の関係にも影響を与えてしまうこともあるだろう。

 

挨拶は基本中の基本であるが、日本語での挨拶よりもオーバーと言っても良い程に会話を重ねる必要がある。「おはよう」「おはようございます」だけでは終わらない。天気だけではない。相手を褒めるような言葉で気分を高めてくれる人もいる。ただシンプルに朝の挨拶に加えてジェスチャーで感情表現してくる人もいる。そういった環境に居る人々にとっては日本式の挨拶は軽すぎるのだ。

 

実際に体験して「知らなかった」と相手に詫びることもできるが、面と向かって「Rude!」と返してくる人はいない。だからマナーについては学んでいくしかない。小さな配慮を学んだことで、大きな利を得ることができた。ビジネスの場で英語を使わなくてはならなくなった時、TOEICの問題集や単語本などで文法や単語を学んだが、マナーについて学んだ時の充実感のほうが大きかった気がする。

 

言葉の使い方一つで相手への印象が変わるということが学べる一冊。