Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#679 上野と言えば?~「夢見る帝国図書館」

『夢見る帝国図書館中島京子 著

図書館について書こう。

 

2週間に渡る旧正月ラッシュは土曜日に終了。昨日は久々に家でゆっくり過ごそうと決めていたのだが、気が張っていたのが急に緩んだせいか半日ほど寝て過ごしてしまった。もったいない。きっと寒かったからだとは思うが、12月の暖冬から1月半ばに入り急に寒さが厳しく体が付いていかない。

 

さて、本書はタイトルに惹かれて購入した一冊だ。タイトルからかつての国会図書館について書かれているのかなと想像するも、表紙の美しさに何か別のファンタジー的な要素があるのかも!などなどあれこれ妄想を抱えて読み始めた。

 

語り手は著者を想像させるような女性作家だ。ある日上野の公園でベンチに座っていた時に偶然出会った喜和子さんとの物語。喜和子さんは一風変わった人だった。つぎはぎパッチワークのような手作りの出鱈目なコートを着、白い短髪で何とも言えないパワーがある。いきなり主人公が座るベンチに腰を掛け、ぷかぷかと煙草をふかした。喉が弱い著者は咳が止まらなくなり、喜和子さんに金太郎飴をもらったことから二人の行き来が始まった。

 

著者は当時、こども図書館についての記事を書いていた。小説家を目指してはいたものの、なかなか芽が出ず、コラムなどを書くことで生活を支えていたのだが、喜和子さんに職業を聞かれ「小説家」と答えてしまう。すると喜和子さんも自分も書いていると言った。

 

喜和子さんは樋口一葉が大好きで、家に全集を持っていた。図書館が出来た明治時代、樋口一葉の他、多くの作家が門をくぐる。今の永田町の国立図書館になるまで、帝国図書館には多くの変化が起こった。もとは外遊に出た者らが「諸国列強には図書館がある」とその事業の大切さを説き、わが国にも図書館を作るべきとプロジェクトはスタートする。しかし大きくは戦争を理由にするもので、帝国図書館には幾度も危機が訪れた。

 

喜和子さんが書こうとしていたのはそんな図書館の歴史ではない。まるで図書館に心があるかのように、図書館が主人公で作家や地元を愛するような、どこか風変わりなストーリーである。そして喜和子さん自身も風変わりで、喜和子さんの語る話もかなり的を得ない。そして終いに「あんたが書いてよ」と主人公に自分の案を渡した。

 

分かっていることは、図書館が主人公であり、なんだかよくわからないストーリーであり、それは喜和子さんの生い立ちに深く根付いているであろうことだ。喜和子さんはその時上野に住んでいた。路地の奥にある狭く古い家で、2階には藝大生が間借りしている。喜和子さんは電話を持っていないので、主人公は手紙を書くか、何の連絡もなく喜和子さんの家を訪れることで交友を保っている。古い家で聞いた話は、セピア色で映し出されるような戦後の上野の話が多く、それは喜和子さんが実際に体験した話でもあるのだが、何か重要な部分が抜け落ちている。

 

人との交友というのは、環境が変われば遠のくことも十分にある。そうして二人の関係にも時が流れ、久々に喜和子さんの家を訪れた主人公は驚愕する。そこに家が無かったからだ。震災の後、一体喜和子さんに何があったのか。

 

すべては喜和子さんという不思議なおばあさんの人生を主人公や周りの者が斟酌しながら物語を組み立てていくことにある。そして喜和子さんと同じくらいに図書館という存在が揺ぎ無く彼女の人生を支えている。明治、大正、昭和と帝国図書館は姿を変えていくのだが、喜和子さんが生まれる前の図書館の様子は樋口一葉を始めとした明治や大正の作家の作品が色を添える。

 

日本の文学史の豊かな時代の作家の名が現れる度に、「久々に読みたいな」という気持ちになる。登場人物の一人一人が愛情深く、愛らしく、ふと気が付くと自分も上野にいるような気分になる。帝国図書館の育みがあったからこそ、私たちは豊かな文学を愛することができるのは確かだが、喜和子さん世代にとってはその古き良き時代の図書館は未来であり、人生であり、命であり、喜びだった。

 

読み応えのある一冊。