Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#456 明治の哀愁 ~ 「御坊日々」

『御坊日々』畠中 恵 著

江戸から明治へ、庶民の心。

 

寒い日が続いてたこともあり、甘酒がやたらと美味しく感じる今日この頃。甘酒は私はたいてい酒粕で作る。飲む時はおろししょうがを少し、オリゴ糖を少し入れることが多い。お腹がすいている時は豆乳で作って食事替わりにしたりもする。甘酒なんかを飲んでいるとなんとなくほっこりした内容の本が読みたくなり、Kindleの中から本書を選び早速読んだ。

 

表紙のオレンジ色がなんともキレイ。御坊というからにはお寺が関係するわけだから、妖関連かな?と淡い期待を持ちつつ読み始めるも、完全に人間しか出てこない。(「しゃばけシリーズ」ファンはつい期待しちゃってダメですね。)このシュッとした御坊は東春寺の冬伯という住職だ。時は明治の半ば、江戸を忘れることのできない者、明治しか知らない者が共に暮らす上野が舞台となっている。

 

時代小説が好きになってからというもの、心がすっかり江戸に傾いた。江戸の文化や江戸の風習は日本の伝統として私たちの心に刻まれているものが多いから、なおさら親近感が湧くのかもしれない。江戸が舞台の話を読むと日本の美しさの基に触れられるような気分になり、誠実でありたいなあと思えてくる。だから好きだ。ああ、私たちの文化ってこうだよね!こういうところがすごいよね。きれいだよね。楽しいよね!という気持ちは海外で暮らした経験があったからこを育ったものなのかもしれない。

 

江戸への想いが強すぎて、江戸と続いている時代のことにあまり気を向けることなくいたのだが、あんなに長く続いた江戸がたった一度の戦艦の来航からがらっと世界を替えたわけで、江戸の人はどうなったのかと改めて思うに至った。今まで信じていたものが全て覆される時代だったはずだし、たった半世紀の間に想像すらしなかったような世界になるって本当にすごいことだと思う。武士が居なくなった、皆が苗字を持った、洋服を着るようになった、産業技術がたくさん入ってきた、などなど教科書で読んだようなことはうっすら覚えてはいるが、いざその時代に生きた人はどんな風に「江戸」と「明治」の折り合いをつけていたのだろう。

 

本書は江戸が突然ぱたんと終わり、いきなり怒涛の如く世の中が変わっていった「明治」を生きる人たちの話だ。住職である冬伯は裏稼業を持っている。住職でありながら、相場師として活躍する凄腕だ。それもめっぽう強い。明治が始まった頃に幼少期を過ごした冬伯は、早いうちから東春寺に住んでいた。今は隣で神官となった敦久という兄弟子とともに、寺で育てられたからだ。その師僧が亡くなり廃寺となったことから、冬伯はどういう経緯か本人は全く覚えていないうちに相場師のもとへ預けられた。しかし亡き師僧が忘れられなかったため、身に着いた相場の知識を駆使し、作り上げたお金で東春寺を買い戻す。今では玄泉というかわいいお弟子もいる。が、寺は相変わらず貧乏だ。

 

弟子の玄泉は明治生まれだから、刀の扱い方も知らないし、汽車なんて普通に乗れる。明治になり、江戸は東京と呼ばれるようになった。それだけでもとんでもない変化だろう。その変化に対応する人々の想いが込められた小説だった。あまりに早い時代の変化に自分が取り残されてしまいそうになる焦り。懐かしい時代が遠ざかる寂しさ。改革がもたらす利益にありがたい気持ちを抱きながらも、どこか寂しさのあるシーンが多々ある。

 

東春寺は上野の寺町にあった。寺町というくらいだから、上野は寺だらけだった。寛永寺なんかとんでもない広さであったらしいし、それぞれの寺には檀家がいた。それが、廃仏毀釈で寺がどんどんと無くなっていく。寺を失くして公園を作ろうとか、インフラ敷こうという案を国が推し進める中で、行く先の無くなった人もいたらしい。ぶらりと登城してるだけでお給料のもらえた武士なんかは明治になって苦労したのではないだろうか。偉そうにもできないし、見た目では階級もよくわからない。こうして小説を読むことで、歴史や文化への興味が高まる。

 

今もスマホが普及したあたりから、世の中は変わったかもしれないけど、江戸ー明治の比ではないだろう。もう少し歴史について勉強したいなあ。

 

思えば今年の冬の「しゃばけシリーズ」も未読だし、冬を満喫するに最適な書籍がまだまだ控えているのでどんどん読み続けよう。