Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#626 闇に光を探す~「無暁の鈴」

『無暁の鈴』西條奈加 著

生きる力。

 

今年はずっと「温暖化」を実感しているような日々が続いている気がする。夏の暑さだけではなく、短かった春や長めの秋は温暖化によるものではなかろうか。個人で何ができるか?を考える週末を過ごす。

 

今年の冬は可能な限り電力による暖房に頼らないと決めている。室内の寒さは窓から来るらしいので、さっそく窓にぷちぷちを貼ろうと思ったら網入りの窓に貼ってはいけないということを知り、急遽窓枠に断熱テープを貼る作戦に切り替えた。効果が出るといいけれど、どうだろう。

 

さて、そんな週末、ちょっと重めの本を読んだ。今、すっかり本の中に取り込まれてしまったような気分になっている。本に喚起されて意識が突然目覚めるというか、本を読みながら並行して自分について深く深く意識のどこかが過去や未来について考えている感覚というか、とにかく心にぐいぐい入り込んでくるような作品だった。

 

主人公の無暁は武家庶子としてこの世に生まれた。産みの母が鬼籍に入り、武家の父の元で生活することになるが、正妻の息子である兄二人、継母ともうまく馴染めず、結局10歳で寺の小僧として暮らすこととなる。もともと聡い子で体も大きく文武の才も兄より早くに露見したことがきっかけだったのだろう。しかし寺に行っても、武士の子であるという背景など他の小僧からの嫉妬が無暁を苦しめた。

 

無暁と言う名は己で付けた名だ。生まれた時は行之助、寺では久斎と名付けられた。ある日のこと、寺の住職が本山から来た僧へと変わった。前の住職が他界し、新たに本山から送り込まれたわけだ。ところがその住職はとんだ食わせもので、久斎は後で知ることになるのだが、住職は本山で何か失敗を犯しての左遷だった。

 

久斎は日々多くの雑務を請け負っていた。その中で川での水汲みはむしろ楽しみであったと言えよう。村の娘、しのとの会話が辛い寺での生活での光となっていた。新しい住職となってから、村と寺のかかわりはどんどんと負担へと傾いていく。幕府の令だと何をするにも銭を要求する住職。葬儀を出すなど村人の生活を苦しめるにほかならず、特にしのの住む貧困地域では借金を背負わずに葬儀など出せないような状況だった。そしてそのことがしのの運命を大きく変えてしまう。

 

しのに起きたこと、それは久斎の仏門に対する信心を変える。もうこんな所へはいられないと寺を飛び出し、一晩駆け続けた。どのくらい走ったのだろう。躓き転んで、久斎はやっと歩みを止めた。そこで出会ったのが万吉だ。万吉と久斎は同い年だが、世間知らずの久斎とは違い、万吉は世の酸いも甘いも知っていた。機転を利かせてくるくると頭を動かし、久斎を驚かせる。

 

万吉に会った時、名を聞かれた久斎は、もう僧名など自分には意味がないと新たに「何もない。暁の無い己。」と、自ら無暁と名乗った。そして二人は江戸を目指して歩き出す。

 

万吉に出会ってからの無暁は、俗世に出たにも関わらずむしろ仏教とのつながりに導かれるような人生を送る。自らが意識しないところで仏の教えに助けられ、必ず次の道が開けていた。たった3年を小僧として過ごしただけにも関わらず、無暁の体には経がすでにその一部となって生きており、一生を仏門とともに歩む。

 

決して道は平たんではなく、無暁の前に数々の辛苦が立ちふさがるのだが、それを打破していく姿を読んでいるうちに、「果たして自分の生き方はどうだろう」と途端にパラレルワールドで同時に存在しているかのように、無暁の人生と自分を冷静に追うような気持ちが続く。

 

この頃悩んできたことや、失敗したと後悔していることなどが頭に浮かぶも、私の悩みなどは暁が無いなど本当の底に落ちたようなものではない、なんと甘いことであろうか!と自分を叱咤する気持ちになった。

 

そうこうしているうちに無暁の人生は終焉へと近づいていき、読み手の感覚もより一層研ぎ澄まされたものへと変わるかのような、更に「生とは何か」を強く意識せざるを得ないところまで連れていかれる。

 

読了後、自分に何が足りないのか、何をすべきで、何をすべきではないのかが見えたような気がした。また読み返したい、力を与えてくれる小説。暁は必ずや訪れる。