Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#911 遠くの世界~「聖☆おにいさん 21」

聖☆おにいさん 21』中村光 著

平和。

 

読書スピードと記録を残すスピードが全くリンクしない今日この頃。週末しっかりまとめようと思っているのに、その週末すら仕事に出ざるを得ないのでプライベートが荒んできています。

 

ということで、ちょっと癒されたい気分でマンガを読んだ。シリーズもののマンガ類は書き残さなくても良いかな?と思ったのだが、今日はちょっと思うところアリなので残して置きたい。

 

 

本シリーズを始めて読んだのは海外に在住していた頃だった。それほど宗教の規律の厳しい国ではなかったけれど、真摯に信仰に身を寄せている人が読めば大騒ぎとなるのでは?と思うくらいにギリギリのラインで宗教上の人物を登場させていたので「これは八百万の神がおわす日本ならではだわ」とちょっぴりハラハラしながらも新刊が出る度に読んできた。この頃は日本のマンガも外国語に翻訳され、海外でも販売される時代になった。加えて本シリーズはアニメや実写版の映像化された作品もあるので、海外でも知っている人が多い作品の一つだろう。

 

主人公のイエス・キリスト仏陀は、宗教の垣根を越えて現在日本でバカンスを楽しんでいる。畳に押し入れタイプの立川にあるワンルームアパートに暮らし、周囲の人々に溶け込んで楽しく暮らしている。見方によっては、外国人が日本で暮らし始めてからの「日本なにこれ」的な困ったエピソードを語る作品とも言えるが、登場人物が聖人なので現代の事情に付いていけないという点と海外生活という2重のギャップがある。

 

たまに天界から他の聖人も降りて来て、二人の生活をサポートしたりするところはとても微笑ましいし、聖人が聖人らしからぬ態度なのも面白い。

 

今回は実家のwifiの危機にて、父が天界からやってきた。イエスの父といえば神なわけだが、下界へ来る際には鳩の姿に扮してやって来る。

 

 

聖書にも表れる聖人もキャラクターにクセがあり、それぞれ聖書にある記載に基づいたトピックを誇張して表現されているので、オーバーではあるけれど納得できてしまう点もあるが、聖人だって元は人なのだ!と改めて思わされるところもポイント。

 

ところで、今回読みながら思ったことがいくつかあった。まず本書、登場人物がキリスト教と仏教が中心だが、それは日本による解釈が中心となっており、細かな流派などについては大まかに描かれている。そしてモスリムの登場がほぼ無い。これはどう考えても「触れられない」からだろう。

 

例え2つの宗教が中心であったとしても、その二つは天界においては宗教の垣根を越え、仲良く交流しているという設定がなんとも素敵。神話や偉人も含め、みなさんとても温和で和気藹々と楽しそうなのだ。天界がそうであるならば、地上もそうであって欲しいなあというのが今日書き残しておきたかったこと。

 

この頃、宗教が武器そのものになっているような事件もあり、そこに無力な人々が影響を受けざるを得ない環境にあるわけだが、それが今や普通に公の場に配信される時代となった。しかも見る側の痛覚が鈍ってきているのか、「ああ、やってるわ」と現実のこととして捉えてはいてもどこか冷めている人すらいる。世界がどんどんと身近になった一方で、あまりに簡単に残酷な様子が自分の意思に関わらず目に入る様にもなった。現実でありながらもやはり遠くで起きている事件は自分事ではないからこそ、見えてみても心が動かないのかもしれない。見える時代になったからこそ、それが目の前に置かれた理由を、見ている自分も関与していると思えるように心を動かせるようになりたい。

 

仕事のおかげで海外に知り合いが増え、実際に彼らの生活に触れる機会を持てるようになると、画面の向こうにある切り取られたシーンがぐっと身近に感じられるようになる。または実際に自分が海外に出てみると、自分のテリトリーが増えることを実感できる。コロナ禍もあり、余計に画面の向こうの世界に触れる機会が増えたわけだが、実際に接する機会を持ち、想像力を鍛えることは大切であると感じる今日この頃。