Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#290 思い入れのあるアニメと言えば・・・

 『夏目友人帳 1』緑川ゆき 著

人には見えないものを見てしまう夏目と妖たちのふれあい。

夏目友人帳 1 (花とゆめコミックス)

夏目友人帳 1 (花とゆめコミックス)

 

 

この頃家にいる時間はほぼ海外のニュースを見て過ごしていて、日本のテレビ関連はNetflixなどで映画やドラマを見る程度だ。個人差はあると思うけれど、私の場合はニュースなどは7割がた理解できれば良いと思っており、わからないところはそのまま聞き流している。どうしても知りたい内容ならばネットでチェックすれば良いし、わからない単語の一つや二つあったところで筋は追える。

 

一方で映画やドラマとなるとそのわからない一単語が何気にキーワードとなっていたりするので、ながらで見ることができない。しっかりと椅子に座って「観る」の態勢で挑む必要がある。そのせいか1本映画を見ただけで結構疲れてしまったりするのでこの頃はもっぱら海外のニュースを見る日々が続いている。

 

とはいえ、食事中に悲惨なニュースが延々と流れるもの嫌。かといって消すとなんとなく音が恋しくなったりする。そこで新たな習慣として取り入れたのが「日本の作品を見る」だ。これならば画面を見ていなくとも音だけでストーリーを把握できるし、明るい作品を見ていれば心なしか気分も盛り上がる。ということで、このところはずっと日本のアニメを見続けている。

 

好んで見ているアニメはいくつかあるのだけれど、その中でも最も印象深いのが「夏目友人帳」だ。

 



この作品を知った時、私は海外に住んでいた。必死に覚えた現地語でどうにか買い物くらいはできるようになったけれど、現地の情報となると全く持ってお手上げだった。あまり外出したいとも思わなかったし、積極的に現地の人と交わるような生活も送らず「ここにいる理由は仕事」と淡々と割り切って過ごしていた。

 

たまに日本語恋しさに映画やドラマをオンラインで見ていたある日、なんとも愛くるしいニャンコが登場するアニメに出会った。フォルムが丸い。言葉を話す。なんだか変な色合い。絵から切々と訴えてくるニャンコの愛らしさに「とりあえず1話見てみるか」と何気なく見始めたのがきっかけ。猫好きにはこのニャンコ作戦はとても効くと思う。

 

この愛くるしいニャンコは「ニャンコ先生」と言う。本名は斑(まだら)という高貴な妖なのだそうだ。主人公は夏目貴志という高校生で、幼い頃に両親を亡くし親戚の家を転々とする少年だ。夏目は小さい頃から妖が見えた。そのせいで人には見えないものに脅かされるなどとても苦労する。しかし夏目以外には妖の姿は見えないので、ただ奇異な行動を取ったり、おかしな嘘を言う子供だと疎外されてしまう。気味悪がられ親戚の間を転々とし、このほど遠縁の藤原家に住むこととなった。

 

藤原さんの家には子供はなく、親切なご夫婦の二人暮らしだ。この町に住むようになった夏目は新たな困難に出会う。出会う妖が夏目を「レイコ」と呼び、「名を返せ」と迫ってくる。その日も妖から逃げていた夏目は安全な場所へと神社を目指すのだが、必死に逃げるその時、何かに躓き転んでしまう。転んだ拍子になんと夏目は何かの結界を破ってしまった。そこで現れたのが我らがニャンコ先生だ。

 

ニャンコ先生は招き猫の形代に入っている。でも本当は白い龍のような、ネバーエンディングストーリーのファルコンのような、立派なお姿だ。「レイコ」とは夏目の祖母の名で、祖母も妖が見える人だったらしい。そして滅法強かったことから、妖と勝負をしては名を頂いていた。それが「友人帳」と呼ばれるもので、今は祖母の形見として夏目の手元にある。「友人帳」に名前のある妖は持ち主に呼ばれれば必ず参上せねばならない。要は妖を手中に収める力が強く極めて危ない代物だ。

 

夏目は祖母の代わりに妖へ名を返したいという意図を持っており、それならばとニャンコ先生は夏目の用心棒を買って出る。そして儚い人間の命、夏目の死後はニャンコ先生が「友人帳」をもらうという約束もした。そこから夏目とニャンコ先生の日々が続く。

 

1話を見終わり、気が付いたら泣いていた。ストーリーそのものの魅力ももちろんあるのだが、夏目の暮らす町の様子を見ているうちにたまらなく日本に帰りたくなったからだ。何気ない田舎町の様子なのだけれど、神社があり、田んぼがあり、山があり、川があり、「おはよう」「おやすみ」のような日常の言葉に溢れている様子にホームシックがどっと出た。オカリナの音、挿入歌、すべてがなんとも郷愁を誘う。ああ、そうだった。日本の夕方ってこんな風だったな。そして夏目が独りぼっちだというのも琴線に触れたのかもしれない。その時私は外国で一人だったから。

 

その懐かしい作品がNetflixにあると知り、暇があればずっと見ている。人間と妖のふれあいにも温かいものがあり、自然や見えないものへの敬意や畏怖など、私たち日本人が持つ風習や習慣からくる感情に触れているだけで癒される。

 

この作品はマンガが原作なのだが、あまりにもアニメが完璧すぎて長く本作を読んでみようという思いが湧かなかった。それがずっと作品を見ているうちにその完成度の高さから原作と見比べたいという思いが強くなった。そこで1巻だけ一先ず購入してみることに。

 

不思議なことにマンガを読んでいてもアニメの声優さんの声が頭に流れてくるような錯覚となり、効果音まで完全に脳内再生される。私が大好きなニャンコ先生との出会いのシーンはこうだ。

 

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これ、アニメだと本当に本当に笑えるところで、社の扉が開き招き猫が出てくる所はかなり面白い。マンガだとその迫力がちょっと落ちるかな、と思う。

 

やはりアニメ化することにより削除されたり変更されているところがあるのだが、一つだけ本作とアニメの相違にどちらがより「夏目友人帳」っぽいかな、と一人想像する場面があった。それがこちら。

 

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蜜柑。アニメでは「桃」になっている。個人的には桃のほうが込められる思いの中にほんのり互いを思い合う気持ちが込められているようにも思うのだが、桃が袋から転がり落ちたらきっと痛んでしまうだろうな、と現実的に考えてみたりも。その点蜜柑ならばその心配はなくコロコロ転がることもあるだろう。調べてみると舞台は恐らく九州とのことなので、本当ならば蜜柑のほうが土地に合っているんだろうなとは思うけれど。

 

1冊目を読み、アニメはかなりの精度で再現されていると知った。海外におられる方、ぜひ一度見て頂きたい。がんばっている心に陽が差す思いになれるはず。