Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#870 自分の中に軸を持つために~「たすけ鍼 立夏の水菓子」

『たすけ鍼 立夏の水菓子』山本一力 著

治る。

新幹線が止まり一日戻りが伸びてしまったが、そのおかげで本を読む時間が出きた。1冊目に感銘を受け、すぐに続きの一冊を読むことに。

 

 

この小説は淡々とストーリーが流れて行くのだが、主人公の人柄がその出来事にぐっと深みを加えるところが読みどころである。読んでいる時はもちろんだが、読んだ後でも「こうありたい」とか「こう生きたい」など、日頃何も考えずに生きているせいか心に残るものが多い。

 

のほほんと生きていると、同世代の人が社会で活躍している姿を見る度「もっとちゃんと勉強しておけばよかった」とか「習い事しっかり続けておけば良かった」などあったかもしれないもう一つの人生を思って反省することがある。染谷の言動は一本筋の通った生き方であり、小説なのに染谷の表情や声や佇まいを感じることができる。そして還暦の染谷が人生をどう過ごしてきたのかを見るにあたり、還暦までならまだ間に合うと染谷のように己の哲学を持ちたいと思うに至った。染谷の言葉が妙に心地よく染みこむ。

 

お習字のお手本のように「こんな風に書いてみたい」という理想の形が目の前にある。お茶でも活花でも剣道でも空手でも良い。お手本に近づくには心構えや考え方、体の使い方から呼吸まで、全てを整えるための軸をしっかり持つ必要がある。染谷はそんなお手本に等しい。押しつけがましい所はなく、「染谷ならどうするだろう」と想像を膨らませることで私も一歩近づけるかと気に入った部分だけすでに何度か目を通した。

 

染谷は友人の昭年とともに長屋で医療を施している。還暦を過ぎてから、友の昭年が不調を訴えるようになった。鍼灸師の染谷が判断するに、昭年は体の芯を温める必要がある。そこで染谷が訪れた中でも効果の高い箱根の湯を強く進めた。しかし治療もありなかなか行く気配のない昭年だったが、重ねての染谷の説得により昭年夫妻は長男を連れて年末年始に箱根へと旅立った。

 

新年は毎年昭年と杯を交わしていた染谷。友の居ない正月がなんとなく淋しくてならない。年始の挨拶にと辰巳芸者となった娘がやってきて少し心は華やいだが、やはり友でなくてはならないのだ。昭年の健康について考えていた時、長屋へ駆けつけてきた者があった。湯屋で倒れたものがいると昭年に助けを求めにやって来たのだが、あいにく昭年は不在である。異常事態に昭年に代わり娘とともに現場に向かった染谷だが、食中毒と思われる症状を鍼で次々と治療する。

 

このように今回も鍼と灸で多くの人々を治療していく染谷だが、年始に友の不在に沈んでいる様子に妻で辰巳芸者だった太郎が「箱根に会いに行きましょう」と急遽二人で旅立つことになった。そして箱根でより一層の友情を深める。やはり友は良いですね。

 

妻の太郎も今回は大活躍している。芸者時代に太郎の助言で人気となった菓子屋があった。もう長い付き合いで、今や深川を代表する菓子屋となっている。しかしこのところ味が落ちたという。その味に異変を感じた太郎は染谷とともに菓子屋を支えようとする。

 

それにしても鍼灸というのはやったことが無い人にはあのすごさはわからないだろう。海外に居た頃の話だが、腰痛で歩けなくなったことがある。周りのすすめで鍼灸院に行き、鍼治療を受けたところ本当に痛みが消えて驚いた。肩こりも治してもらおうと思ったら「血の巡りがよくなりすぎるから」とマッサージを施されたのだが、それがまたすごかった。灸はこれは日本に来てからのことで、指が変に腫れ、ついには歪んで来てしまい治療を受けた。小さな灸を当てられ、家でもやってみるようにと言われて使ってはいるのだが、こちらはあまり効果を感じてはいない。

 

染谷は自分で灸を作り、それで眠気を覚ましたり、胃痛を治したり、ついには女性の多毛をも治療した。そうか。染谷は病を治しながら、生き方にも添え木を当てるかのようにして自分で立て直せる道筋をくれているのかもしれない。

 

ああ、やっぱり深い。良い本です。