Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#841 なぜ大人に小説が必要かを最大限に体験できる一冊 ~「沼地のある森を抜けて」

『沼地のある森を抜けて』梨木香歩 著

哲学とか倫理とかを越えた生。

 

実はこの間のBlack Fridayの際、ついKindle Subscribeを購入してしまった。早々に手元に届いたのだがセットアップする時間がなくて先週末やっと開梱。保護シートを貼るのにえらい時間がかかったにも関わらず相変わらず気泡だらけなのだが、それでも文字は読めるので良しとした。

 

メモ機能に惹かれて購入したわけではなく、テーブルに置いた状態で本を読みたかったというのが一番の理由だ。例えば、ビジネス書などには表が付いて来る。これがPaperwhiteだと非常に見にくく、仕方がないのでPC版で読むという作業を繰り返していたのだが、それが結構めんどくさい。

 

加えて、スマホやパソコンでも読書が可能なKindleだがPaperwhiteは圧倒的に目への負荷が少なく、長時間読んでいても疲れを感じない。これが他の媒体だとそうはいかない。まだまだホームボタンが付いている年代もののiPhoneなんて10分で目がやられる。そもそも私は視力が良い方ではない上、頭痛持ちでもあるので、大きい画面+目に優しい読書生活を優先した結果のKindle Subscribeである。

 

とりあえずはセッティングなのだが、あれこれやっているうちに時間が無くなり、結局週末も軽いPaperwhite持参で外出し、外でも読書をしていたのだが、ふと気が付いたことがある。書籍の表示設定、なんだか変わりましたよね?今、私のKindleには3000冊近い書籍がある。そのうち半分は既読、半分は未読で、今までは未読のみがライブラリーに表示されるように設定していたのに、なぜか週末からマイライブラリーの絞り込みの中から「未読」「既読」の項目が消えているような気がするのだが、何か方法があったら知りたいものだ。

 

さて、それで未読の本を探すのが面倒になり、ひとまず目に付いた1冊から読むことにした。以前に文庫本で読んでいるはずなのだが、全く内容が思い出せない。表紙とタイトルのイメージでどこか北欧の旅行記かなにかだったかな?と思いながら読み始めたのだが、どんと異なった次元に突き落とされる重厚な小説だった。

 

久美の伯母が亡くなった。大人になるにつれ疎遠になってしまってはいたが、幼い頃はものすごくかわいがってくれた思い出がある。久美の両親は幼い頃に交通事故で共に他界しており、今や残された親族はもう一人の伯母のみだ。父方の親族も母方の親族も東京から離れた島の出身らしく、父方の親族についてはよくわからない。母方は三姉妹で、母は長女だった。今回亡くなった伯母が三女で母とは仲が良か!!!ったと聞いている。

 

三女の伯母は久美の両親が亡くなった時に「ぬか床」を受け継いだ。次女の伯母曰く、曾祖父母が島を出る時に持って来たもので、家宝に等しいとのことだ。どんなに歴史のある家族の味のつまったぬか床とは言え、一人暮らしの久美には負担が重すぎた。そもそもぬか床は毎日かき回して酸素を入れなくては傷んでしまう。腐敗と生存のぎりぎりの境目にいる存在だ。せっかく旅行の計画を立てても「ああ、ぬか床がー!!!」と諦めざるを得ない。

 

しかし次女の伯母は「代々長女が受け継ぐべきだ。」と、自分の家族のことを引き合いに出して頑として受け取らなかった。本来は両親が他界した時、大学生の久美が引き継ぐはずだったが、三女の伯母が久美を思い代わりに引き受けたのだそうだ。だから長女の久美が引き受けるのが筋だと伯母は主張し、挙句には自分はぬか床と相性が悪いという。ぬか床に相性もなにもないとは思うのだが、三女の伯母が住んでいたアパートも引き取れというので、久美はその家にもれなく付いて来るぬか床もセットでそこへ移り住むことにした。

 

そのぬか床がこの話の肝である。ご存知の通りぬか床は野菜を発酵させぬか漬けを作る。しかし手間がかかる。毎日手を入れて酸素を送るようにかき混ぜなくてはいけないし、季節によってその様子も変化するので目が離せない。要は菌なので生き物を育てることと同じと言えるかもしれない。

 

幸い久美は研究所に勤務しており、菌についての知識もあった。よって途方に暮れるということはないはずなのだが、それはぬか床が普通のものであれば、という条件が付く。この久美の家のぬか床は何か得たいの知れない、しかし久美にはどこか受け入れられる、人智を越えた活動があった。目に見えないミクロの世界に広がる生の営みにどんどんと人間が呑み込まれていくような感覚が広がる。それは進化か、または退化なのか。

 

ストーリーは久美の世界とパラレルにある謎の地のことも語られている。「僕」は他の「僕たち」にそっくりだけれど何かが違う。そこは学校で、寄宿舎生活を送っているが、みな規則に従った画一的な暮らしをしている。最初この世界の話が出て来た時は相当戸惑い、ストーリーを追うのが難しかった。導入部がとにかく異質で戸惑いがどんどん増えていく。しかし、それは当然のことであり、そうあるべきであることは今だから思うことで、読んでいる時はただただ不安だった。駆け足で読み切って早く久美のもとへ戻りたいような気分にさせられるのだ。

 

久美の世界では、久美はぬか床と奮闘していた。こんな時にどう扱うべきか、わかる人がいない。伯母に聞いてもわからないというし、亡くなった伯母の知人を通し、少しずつ取扱いの方法に迫る久美。しかし、それは久美の過去を掘り起こすことにもつながる。

 

本書はアニメ作品にもなってもいいのでは?と思うほどに描写が美しく、加えて根底にあるテーマが深い。「命」の起こり、終焉における未知の世界がただただ目の前に広がっているのだが、入り組んだ深さを持つだけに、一般の読書のように点と点をつなげて先を想像するような過程は無意味に等しく、点なんてどこにあるのかつなげる先すら見つからない。迷路とも違う、真っ青な空に雲が一つ、その上に乗って探せど探せど自分以外の存在が見えないような感覚。

 

著者の言わんとしている主題は読み終えて尚まだ遠くに漂っているような不思議な感覚で、しかしその筋は感覚的にわかっている。スポットライトを浴びているようにそこに「ある」のはわかる。だがそのアプローチは読み手それぞれの背景によって変わっていくのではないだろうか。

 

この本、深さのわからないプールに飛び込むところを想像すればよいのではないだろうか。自分の泳ぎのレベルがわかっていないと、泳ぎ切る自信がないと、なかなか勇気が出てこない。しかもそのプールが流れていたらどうだろう。海ではないのでどこを通るのかはわかっている。限られた空間というか水中の中で自分の経験値を最大限に生かして何かをつかみに行く感じ。ちょっとカズオ・イシグロの世界に近い大人の一冊。読んでよかった。