Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#733 滋味のある料理で心温まる小説~「食堂かたつむり」

食堂かたつむり』小川糸 著

ざくろのカレー。

 

お休みにふさわしいほっこり系の小説が読みたくなり、著者のことを思い出した。文庫本でいくつか持っていたのだが、引越しの度に処分してはまた購入を繰り返し、今回はKindle版を購入したのでこれでいつでもどこでも読めるようになった。

 

自炊を基本とし、ミニマリスト的な生活で自分の好きなものだけに囲まれるライフスタイルが注目を浴びるようになってからどのくらい経つのだろう。「丁寧な生活」という言葉で一気に説明できてしまうようになった今日この頃だが、丁寧な生活というよりは昔帰りしているような気もしている。例えば明治や大正時代には存在しなかったようなキッチンツールは今の世の中山ほど溢れているが、便利なツールよりも長く使われてきた民藝道具を選ぶ理由は「環境にやさしい」とか「デザインが好き」とか「頻繁に使うものでもないし家電は増やしたくない」とか「自分の力でやっている満足感が好き」などなど、人の数だけ理由があるだろう。

 

料理も時間をかけて出汁からしっかり作る。決して化学調味料のようなものには手を出さず、しっかりじっくり作る。家電には手を出さずとも、食材の質にはこだわりがあってオーガニックだったり産地だったり、加えてその時の旬のものをおいしく頂く。そんな生活のお手本のようなストーリーが著者の作品の特徴だと思っている。

 

さて、主人公の倫子は料理を得意とし、トルコ料理店で働いていた。ある日家に帰ると、家の中がもぬけの殻だった。あるべきはずの物が全て消えていた。こつこつと貯めてきたお金だけではない。家具、料理道具、洗剤からカーテンまで、全てが無くなっていた。仕事を終え、疲れた体で家に帰った倫子が見たのは、部屋の中にぽつんと残されていた合鍵一つ。それはともに暮らしていたインド人の彼氏が残していったものだ。とっさに倫子は外に出てあるものを探す。祖母が残した、今となっては唯一の形見であり、家族の思い出でもあるぬか床だ。

 

倫子は祖母と暮らしていた。母とはそりが合わず、家を飛び出したからだ。父親は誰かわからない。母子家庭で育てられた倫子はスナックアムールを経営する母のことを良く思ってはいなかった。祖母のもとで料理に触れ、知らず知らずのうちに倫子は料理の道に進んだ。

 

母のもとを出てすでに10年の日々が過ぎ去っていたが、ぬか床以外のすべてを無くした倫子は夜行バスで久々の実家へと向かった。実家は秘境とも言えそうな田舎にある。夜通しバスは走り、到着地からまた乗り合いバスに揺られてどうにか実家へと到着した倫子。

 

久々の実家には豚がいた。畑の横に小屋があり、見るとなんとなく愛らしい。そして倫子は気が付いていた。声が出ない…。確かに恋人が去っていっただけでもショックなのに、すべてを持ち去られ、その上二人の夢であった「いつかお店を開こう」と貯めたお金は銀行に預けず現金でそのまま手元に置いていた。100万円になったら封筒に入れ、そうやって少しずつお金を貯めていたのだ。それもすべて無くなっていた。自分の身にそんなことが起きたら、きっと茫然として思考が止まってしまうだろう。しかし倫子は動いた。動いて地元へ戻ってきた。その勇気の代わりに声が消えていた。

 

倫子に出来ること、それは料理をすることだ。倫子は母の家の小屋を改造して小さなレストランを作る。それが「食堂かたつむり」だ。倫子を助けてくれたのは熊さんという元用務員さんで、地元の方言のせいか倫子のことを「りんごちゃん」と呼んでいた。声の出ない倫子の代わりに、熊さんが差し伸べてくれた手を頼りに食堂かたつむりは花開く。

 

レストランのメニューは読んでいるだけで味が心の中に広がるようで、ほくほくと体が温まってくる。気になったメニューはいくつかあるが、毎度読むたびに思うのが「ざくろのカレー」だ。これは熊さんへのお礼の一品としてレストランの開店に合わせて倫子が熊さんに作ったものだ。ざくろをカレーの具として?それとも飾りとして?すごくすごく気になるので、これも毎回検索してしまう。

 

母と娘、食べる、生きる、そんな言葉が頭に浮かんでくる。土から掘り出したばかりの滋味のある野菜を食べるような心持になる小説。