Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#803 妖談終わり! ~「妖談うつろ舟」

『妖談うつろ舟』風野真知雄 著

最終話。

 

この頃読んでいる耳袋シリーズの妖談編もこれで最後。

 

ここに来て、少し西洋の要素が入ってきた。今、根岸肥前守が奉行を務める南町奉行所は、先回の作品で「さんじゅあん」という男を捉えた。さんじゅあんはかつて寿安という名の僧侶であったと言う。それが西洋の教えを取り入れ、さんじゅあんという名前になった。

 

このさんじゅあん、恐らくSan Juanだろうと検討をつけつつ読み進める。そしておそらく江戸の時代にもあった隠れキリシタンにかかわるであろうと推測が付く。調べてみると、日本へのキリスト教の布教は戦国時代の長崎から始まっているのだが、ここに中江ノ島というところがあるらしい。この島がさんじゅあん様という別名を持っているとあった。

時代小説を読んでいると、こういう小さな疑問から歴史を学ぶ糸口となることが素晴らしい。知識を得る楽しみの他、日常の小さな習慣の理由などを知ることが出来ることも大きな幸せである。

 

さて、このさんじゅあんが南町奉行所に捕らえられた理由は、長年北も南も追い続けていた闇の者につながる可能性があるからだった。しかし、このさんじゅあんがとかく魅力的な人物で、会う人会う人を引き付けていく。彼の教えは最終的には「パライソ」の存在を知らせ、幸せな生き方について問うというものだ。

 

一日一日を凌いで行くことすら大変な者も多い江戸の町民は、彼の教えにより「私の人生はこれで良いのか」と自らを問い、安房に村を建てた。その土地の費用なども信者からの寄付によるもので、本人は決して贅沢をすることはない。信者と同じものを食べ、質素な衣類を纏い、ただ祈りとともに暮らす。本当にこの者が闇の者を動かしているのだろうか。

 

信者たちは捕らえられたさんじゅあんの解放を求めるが、その解放には多数の意味があった。単に身を放つことを意味するが、ぱらいそへとの解放もある。最終巻にてその戦いにやっと決着がついた。

 

安房というのは今の千葉県の南部にあたる。これも併せて調べてみたが、安房隠れキリシタンの村があったという内容は見つからなかったが、しかし東北にも隠れキリシタンの存在が確認されていることから、安房で同様のことがあってもおかしくはない。

 

この間、お仕事でお会いした方でアメリカでの起業経験がおありの方から聞いた話だ。アメリカにおいて、互いの違いを意識するというのは重要なことと聞いた。特に人種と宗教というのは、相手の思考パターンを推測するに絶対に必要だという。日本は八百万の神を受け入れる文化にあるが、一方でイスラム教やキリスト教ユダヤ教は中東の砂漠で生まれた宗教だ。非常に過酷な環境での生活においての思考回路であるがためストイックなところがあると言う。その考え方がビジネスにも影響し、それがビジネス内容や方向性だけではなく顧客ターゲットに対する考え方にも違いが見えると教えてもらった。

 

本書を読みながら、頭の片隅にこの話が消えずできっとどこかでつながるところがあるのかな?と思いつつ読み進める。

 

耳袋シリーズ、妖談の次は眠れない凶四郎シリーズへと続く。新シリーズも楽しみ。