Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#780 命に向き合う~「ライオンのおやつ」

『ライオンのおやつ』小川糸 著

消えたあと。

 

この頃、街のにおいが変わってきたような気がする。特に雨の降る日は違いが顕著で、もう木を茂らせるような真夏のにおいではない。どちらかというとすでに盛夏の折り返し点を過ぎて、一雨ごとに寒さへ近づくような、少し落ち着いたにおいがする。

 

それにしても今年の夏は暑すぎて、密かに電気代がとても気がかりだ。今も夜中はエアコンを28℃設定(+おやすみモード)で寝ているほどだし、エアコンと扇風機の二刀流なので結構な額になるんじゃないかと今から怯えているところだが、でもこの暑さで電気代節約なんて無理すぎる。考えてみれば今年は突然にいろいろな値上げが一気に進み、本当ならばあれこれ節約の技を身に付けねばならないところなのだが、それは涼しくなってから考えることにしよう。

 

さて、8月末とはいえ、まだまだ暑さでぐったり。難しい本は読みたくないぞと小説を読むことにした。それも時代小説ではなく、現代がテーマのやつがいいなあと購入済みの書籍からこちらを選ぶ。本書はAmazonでもベストセラーのマークが付いている程なので今頃?感が否めないが、読めば多くの人の心を揺さぶった理由がわかるとてもとても魂までもが揺さぶられ、呼応するようなお話だった。

 

ちなみに、タイトルにある「ライオン」は出てきません。出てくる動物は白い犬の六花だけ。そして「おやつ」はたくさん出てきます。

 

この小説の舞台は、瀬戸内海に浮かぶレモン島。そこにひっそりと建つホスピスにやってきた一人の女性のお話である。海野雫は33歳だ。仕事を辞め、家族にも告げずにこのホスピスへとやってきた。瀬戸内海に浮かぶ島は陸路と海路でのアクセスが可能だが、ホスピスを運営するマドンナのすすめで雫は海路で島へやってきた。

 

一見ホテルのようなこの建物は、本当にホスピスだ。これからまもなく命の灯が消えるという患者が来るところである。私にはホスピスで最後の時を過ごした家族がいないため、どのようなところなのか想像がつかない。しかし、体を蝕む病の種類によっては、全ての人が穏やかにというわけにはいかないのでは?と思ったりもする。医療の現場というのは、このコロナ禍を通じて知った事にすぎないが、ものすごく過酷で負担の大きな仕事と言えるだろう。ただそこに従事する皆様の強い気持ちに支えられ、医療が成り立っている。命が係わるとみな自分勝手になり、鬱憤不満を全て医療現場のせいにしてみたり、辛いと当たってみたり。

 

このホスピスはマドンナという女性が運営しており、彼女の周りには多くのサポーターたちがいて、島とともに生きている。様々なケアを通じ、ホスピスの住人は最後の時まで生と向き合っている。中でも日曜日の午後3時に開かれるおやつの時間は特別だ。今まで食べたおやつの中でもう一度食べてみたいと思うものをリクエストのポストに入れる。するとそれはマドンナの厳正なる抽選のもと、選ばれた1名の食べたいお菓子を準備し、日曜日にはポストへ投函された手紙の朗読とともに集まったみんなに提供する。決して誰のリクエストであるかをマドンナは語らない。ただ手紙を読み、おやつを配るだけだ。

 

よく「人生最後の日に何を食べたい?」と聞く映画のシーンがあったりするが、ホスピスにいる人はもう食欲なんていうものがない。食べられないのだ。だから鮨だのステーキだの豪華なお食事よりも、おやつくらいのものが丁度良いのだろう。そして、おやつにはどこか子供の頃へと遡る心の旅にもつながる。

 

雫が食べたみんなの思い出のおやつは、食べることで人生へと向かい合うような、そのおやつをリクエストした人との距離がぐっと小さくなるような、そんな不思議な経験をもたらした。おやつのエピソードから、その人の過去が見えてくる。そこからまた自分の人生へとスポットライトが移り、最後の時を迎えるまでの間、どんどんと心は生かされていく。そう、食べるということはすなわち生なのだ、きっと。

 

私たちの魂はいったいどうなるのだろう。灯が消えるように、ふっと全てが無くなってしまうのだろうか。それとも消えても花火の余韻のように、見えなくなっても「ある」のだろうか。小さい頃はそんなことを考えるのがとても怖かったけれど、大人になるにつれて怖さは少し遠のいた。そして本書を読んで、恐怖は完全に遠ざかった気がする。心にずっと灯を与えてくれるお話。