Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#777 温もり程度の距離感が羨ましい~「江戸は浅草 5」

『江戸は浅草 5』知野みさき 著

お鈴の過去と未来。

 

もう先月の話となるが、1カ月ほどの海外出張を終え帰国した日本は猛暑だった。着陸してすぐのアナウンスで「只今の羽田空港の気温は摂氏34度...」と言われた瞬間、機内のあちらこちらから暑さを懸念する声が聞こえる。無事到着し機内から降りた途端、むわっとした熱気に包まれる。またもやあちらこちらから「うわああああ」なるうめき声。

 

東南アジアに行くと、エアコンの設定温度は22~24℃どほどで、むしろ寒い時すらある。一方東京は26~28℃で、大きな建物の中だとなかなか空間が冷えることがなく、「外よりはちょっとまし」な程度だろう。そして湿度が高いと暑さが堪える。今や日本も東南アジアと大差ない気候帯にいるように思えるが、駅の構内や公共の施設内など亜熱帯の国同様の冷房対策を取って頂きたい。旅行で来る方、きっとこの暑さに相当体力消耗しているのではないだろうか。都内の地下鉄駅も冷房があるのかないのか分からないところが結構あって、乗換のホームまで歩いているだけで汗だくになってしまう。

 

とにかく暑い日本の夏。どこかの出版社さんが毎年夏に読書キャンペーンをやっているが、今年は冷房の効いたところでゆっくり読書するのがベストだと思う。

 

さて、本書は年に1冊のペースで連載されているシリーズもの。今年で5冊目となる。

 

 

よし!と読み始めたのは良いのだが、ストーリーの細部が思い出せず結局1巻目から再読した。というより、今ものすごく長屋の人情ものが読みたい心境だったのです。

 

今の世の中、人とのふれあいなんてそう多くはない。加えてコロナ禍の約2年の間に人との距離感が変わった。というか、軸が動いた感がある。物理的に人に会えない時間が長くなり、烏合の衆の一匹であることが出来なくなった。すると人は自ら目の前のことを決定せねばならず、そこに自分の意思が反映できることになるが、「みんなと一緒」とは別の「これが私」な面が以前より出しやすくなってような気がしている。前より少し「No」が言いやすく、飲み会の誘いなんかも嫌々行くより「用事がありますので」とキッパリ拒絶できるのもありがたい。反面そのギャップとして、人との接し方がわからなくなってしまったという人もいるようだ。

 

長屋の話というのは、今の時代に置き換えることはできないが、こんな風に同じ集合住宅に住んでいるというだけの間柄で、温もりのある人間関係に癒される。家族ではない赤の他人ということが絶妙な距離感を保つ秘訣のようにも感じられる。

 

本書は浅草にある六軒長屋が舞台である。家が六軒しかないことからその名で呼ばれている。住人はそれぞれの背景を抱えているが、5巻目での中心人物は目の悪いお鈴という胡弓弾きだ。お鈴が六軒長屋に来た理由は、二親を亡くし、胡弓の師匠と暮らしていたお鈴がある日男に襲われたことにある。この男はお鈴の目が見えないことを知りつつ襲ったと思われたが、お鈴もお師匠も奉行所に届けるようなことはしなかった。しかし噂は広がり、外に出られなくなったお鈴はお師匠の知り合いの伝手でこの長屋へ越して来た。

 

今、お鈴は胡弓の腕を買われて茶屋などで演奏するほどとなった。密かにお鈴に想いを寄せる同じ長屋の笛師大介とも共に演奏するなど、今は平穏を取り戻した日々を送っていたのだが、ある日茶屋でお鈴が悲鳴を上げて倒れるという事件が起きる。意識を取り戻したお鈴は、「あの男が現れた」と言った。

 

お鈴は目が見えない分、その他の感性が優れている。よってこの時も臭いで「あの男だ」と分かったという。お鈴にまた平穏な日々が訪れるようにと一丸となって追跡する六軒長屋の面々が頼もしい。

 

今回は1巻から再読したので、まるで知り合った時が人とのつながりを深くするように、読めば読むほど物語の人物たちの絆が濃厚になっていく様子が見て取れる。人を信じる気持ちを起こさせてくれる小説。