Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#773 そうか。番地で十分なのね。~「紀尾井坂版元殺人事件」

『紀尾井坂版元殺人事件』風野真知雄 著

耳袋秘帖シリーズ。

山の日でございます。Googleがかわいいことになっている。

本日より夏休みという方も多いはず。都内も駅には沢山の人がいるが、街中はとても静かでオフィス街はほとんど人が見当たらない。休日出勤の人もいつもより少ないようで、平日は長蛇の列が並ぶカフェですんなりオーダーが出来たのでそこはちょっと嬉しかったかも。

 

さて、思ったよりも海外出張中に読んでいた本が多かったようで、このシリーズもあと数冊残っている。急いでメモを残さなくては。

 

 

本書で丁度20冊目になるのだが、この前の数冊あたりから盛り上がりに欠けるというか、平坦な流れというか、とにかく読んでいて気持ちの動く部分が少なくなってきたように感じていた。20冊目ともなれば仕方のないことかもしれないが、この1冊はまた南町奉行である根岸肥前守の魅力がぐんと前に押し出され、久々に楽しく読んだ。

 

本書の面白さは根岸肥前守という人物の魅力が85%くらいを占めていると個人的には思っているのだが、やっぱり人そのものが面白いと「一緒にいて楽しいなあ」と感じるように、根岸に会いたくて本書を読み続けているようなところがあった。実際に側に仕える南町奉行所の面々も根岸が奉行となった事で、きっと仕事に生き甲斐を感じていることだろう。

 

生き甲斐で思い出した。出張中のこと、とある現場で左腕に「生き甲斐」、右腕に「Blue」のタトゥーを入れている人に会った。「これ、”アイキガウィ”って読むんだろう?で、がんばる、とかそんな意味だって聞いたぜ!」と爽やかに語ってくれたのだが、その他にも日本語のタトゥーを見る機会が結構あって、皆さん本物の日本人の登場+思う存分タトゥー自慢ができるととても嬉しそうにしていたのが印象的だった。

 

本書の根岸肥前守も実は鬼の入れ墨を入れている。本人は「若気の至り」と言っているが、その若い頃の経験が今の根岸に深みを与えており、優秀な人物であるからこそ過去の経験が全て今に生きている。そして根岸の赤鬼の入れ墨を知るものは、敬意と恐れをもって根岸を「赤鬼」とこっそり呼んでいたりする。江戸のやんちゃな者にとって根岸というのは、一目置く存在であったことだろう。

 

さて、今回はそんな根岸が疑われる立場に回った。この頃は部下も宮尾と椀田が中心となって根岸の周辺に付いており、どうにかその疑いを晴らそうと活躍する姿が頼もしい。

 

今回はタイトルにもなっている紀尾井町について一つ学びを得た。良く知られることがだ、紀尾井町の名前の由来はそこに住んでいた武家屋敷の名前にある。紀州徳川、尾張徳川、彦根井伊の中屋敷があり、それぞれの一文字を取って名付けられている。江戸の頃はそれこそ街の中で人々が勝手に読んでいたものが正式名称となったようなイメージがあるが、ここはそれだけ大きなお屋敷があり土地に余裕があったせいか、今でも大きなビルの立ち並ぶエリアとなっている。

 

学んだことと言うのは、紀尾井町には番地しかないということ。何丁目にあたる区画がないらしい。言われてみると、あーそうかも!なのだが、そもそも紀尾井町の住所を持つエリアはそう大きくはなく、ホテル、大学、オフィスビル、公園しかないと言っても過言ではない。これを見て思ったのは、3つの中屋敷の跡地を再開発しているので土地の区画面積が相当広く、それぞれの跡地は大きな器の建物を建設するに丁度良かったであろうということだ。今の建物を見ても相当な広さの敷地に建てられているし、碑なんかもあって江戸時代が彷彿されるのだが、とりあえず徳川の財力恐るべし。中屋敷でこの広さであれば他はどうだったのだろう?とあれこれ検索してみた。例えば尾張徳川は上中下屋敷の他に蔵屋敷もあってこれだけで町屋が何個入るんだろうと思う様な広さだ。

 

やっぱり江戸地図が欲しいなあ、江戸について学ぶにはどうしたらいいのかなあ、など全く暗くならないヨーロッパの夜、毎日江戸について考えていた気がする。出張先は木造の建物も多かったのだが、大きな建造物はほぼ石を使ったものでそれはそれは荘厳である。教会なんかは見事なもので、これが江戸時代初期にはすでに存在していたのか!と歴史的建造物のプレートを読む度に日本の歴史に換算しながら建物のパワーに圧倒されていた。

 

帰国したら江戸三昧したいと思いつつも、なかなか時間の取れない悲しさよ。皆様、どうぞ心温まる夏休みをお過ごしください。