Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#760 経験値は知識を生むのですね~「耳袋秘帖 日本橋時の鐘殺人事件」

『耳袋秘帖 日本橋時の鐘殺人事件』風野真知雄 著

耳袋シリーズ第13弾。

 

どうも時間のやりくりが下手なようで、仕事の量とこなす速度がいつになっても一致しない。世の皆様はどのように時間のコントロールしているのだろう。仕事をこなす速度に問題があることはわかっているのだが、知識を補う時間すら取れない毎日。そろそろ大型出張も迫っているのでどうにかせねばと思いつつもストレス解消の読書は続いています。

 

この頃読んでいるシリーズもの。

 

他にも読みたい本はいくつかあるのだが、シリーズものなので次々と読みたくなってしまって、つい手が出る。

 

さて、第13弾は日本橋が舞台である。タイトルにある「時の鐘」とは、江戸時代には各個人が時計を持っていたわけではなく、時をお知らせするシステムがあった。いわば学校のチャイムのようなもので、チャイムではなく鐘がごーんと鳴る。時代小説でも単位の表示はいろいろで、十二支を使い、深夜12時を「子の刻」という時もあれば、「九つ」と数字で表すものもある。

 

さて、その鐘は鐘付き役のものが昼夜を交代して担当していた。鐘も江戸の中に数か所あり、ここ日本橋には「長崎屋」の隣に位置し時を知らせていたという。こうやって時代小説から知る江戸の様子、教科書であればすーっと通り過ぎていたかもしれないが、小説であれば深く関心を持つことができる。加えてさっと検索などすると頭の中にもインプットされるので大いに役立っている。

 

つい先日の話だが、海外からのお客様を案内していて「時代小説読んでて良かった」と思ったことが数度あった。通常は車で案内することが多く、通り過ぎる建物などはナビが教えてくれるし大きなものならばすぐにわかる。だが「なぜ」の質問が結構難関で、例えば「ドウシテ スモウハ コンナニ トオクデ ヤリマスカ?」みたいなことを聞かれたとしよう。これには相撲の歴史も知っていなくてはならないし、かつての繁華街が渋谷や新宿や銀座ではないことも伝えなくてはならない。回向院を横切る時に簡単な説明をすることで、ちょっとしたガイド気分を味わえた。そのほかにも時代小説から学んだ日本の歴史や風習は多く、自ずと考えも深くなるようなところがある。読書している時はそう「学びだ」などとは考えていないのだが、ふとした瞬間に読書から知識を得ていることの多さに気がつくので、改めて読書の楽しさに感謝する。

 

話しを戻そう。今回の事件は長崎屋で起こった。長崎屋はいろいろな所でも登場するのだが、「しゃばけ」シリーズがお好きな方は薬種問屋で妖たくさんの長崎屋を想像するかもしれない。実際にあった長崎屋は、長崎の平戸が鎖国下においても港を開放し、入国が許されていたオランダ船の往来があった事から、海外への窓口としての役割があった。たまにオランダ人の江戸来訪時などの宿として使われており、その館内はどこか異国情緒があったという。江戸の市民も利用は可能で、宿泊代は高額だが珍しいものが飾られていたりと満足していたようだ。今で言えば、外資の5スターあたりのホテルといったところだろうか。

 

そんな長崎屋での事件は見たことがないほどに残酷を極めていた。事件に呼び出された南町奉行所の面々でさえ目を覆うほどであった。なぜか窓は開け放たれ、そこからは時の鐘が見えた。時の鐘は町内に音が届くように高い所に設けられている。櫓に上ると、そこから長崎屋が見渡せた。

 

南町奉行根岸肥前守はここからまた多くの推測をする。根岸の推測はすべて若い頃の経験から来ているもので、かつては相当なやんちゃ者だったと言う。しかし、本書を読んでいると「経験とは大切なものだ」と思うに至った。あんなこと、こんなことをやったからこそ、それが自身の血となり肉となり知識となって世を見通すことができる。

 

「本にそう書いてありました」とか「人から聞きました」よりも「実際にやってみました」のほうが説得力がある。Youtubeでだれかがやっている途中経過や結果のみを知るだけでも「ほお」と感心するものが多いが、伝えられるのはそれに対する感想だけで、途中でどんなハプニングがあり、どう対応し、結末を導くまでも頭の中や環境や肌感覚などというのはやった本人でしかわからない。

 

この事件は根岸のいろいろなことが入り組んでおり、かなり読みごたえがある。この頃は亡くなった妻のおたかはなかなか姿を現さない。猫のお鈴も姿を現さない。そのくらい、今根岸奉行は大忙しなのだろう。私もがんばらねば。