Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#686 磐音、二刀流なるか!?~「居眠り磐音 11」

『居眠り磐音 11』佐伯泰英 著

油断。

 

この頃読んでいるシリーズ。

 

ものすごく読み甲斐のある作品で、1冊読み終わるとすぐに続きが読みたくなってしまう。11冊まで読んでもまだ全体の1/5しか進んでいないので、「まだまだ読めるぞ」と気持ちに余裕を持ちながら読書を楽しめるのも良し。

 

さて、磐音が行くところには騒動がつきものなのだが、今回は磐音の持ち寄った話からとんでもない方向に話が飛んだ。

 

10巻で磐音の愛刀は火鉢の灰で目視を誤り、派手に鉄瓶を叩いて刃こぼれしてしまった。友、品川柳次郎のすすめで北割下水の研師に修理を依頼するも、その間、世話になっている両替商の今津屋が持ち主のいない物だとして一本用立ててくれた。恐らくどこかの大名が持っていたであろうかのような立派な刀だ。しかしやはり代々伝わる刀、包平をと、磐音は今津屋の用が済んだ後に研師、鵜飼百助のもとへ刀を取りに行く。

 

鵜飼研師は変わった人物で、変わったというよりは「こだわりを持つ漢」なイメージだ。とにかく己が良しと思う刀相手にしか仕事をしない。どんなに金銭を積まれようとも、どんなに相手の身分が高くても、俺ルールに則らないものには手を出さない。寿司屋やラーメン屋の頑固おやじ風を想像したのだが、独自の哲学というより何等かの第六感を持つ人物のような気がした。

 

磐音が刀を受け取りに行った際も客が鵜飼研師にこれでもかというほどこっぴどく断られていた。武士には身分を傘に驕り高ぶる者もいる。その日の客もその類だったようだ。直参旗本だというその男は、正宗だという刀を研げと騒いでいる。その高直の刀は、研師には正宗ではなくあの「村正」だとわかった。故に受けられないのだ。村正は将軍家に禍をもたらすとの伝説があり、そのようなものを御家人出身の研師には扱えない。だが、そんな武士なら誰もが知っていることを口に出すのも愚の骨頂と、相手には一言「できん」の一点張りだった。そもそも、その曰く付きの刀を質草にでもしようという魂胆がみえみえなのも気に入らない。

 

言い争いが激しくなり、武家が研師に手を出しそうな合間を見、その場をやんわり収めた磐音だが、やはり相手の怒りを誘ってしまう。後で面倒なことになってはならんと、早いうちに南町奉行所の耳に入れておいたのだが、逆にそれが仇となってしまう。

 

なんと、磐音にとって信頼できる与力、笹塚が何者かに背中を切られた。それもかなりの重症で命にかかわるという。急ぎ笹塚の元へ向かった磐音だが、その状況を見て友人の蘭医の診療を頼み、この事件を追う。話を聞くと、その怪しげな村正を持つ旗本のところに向かったようで、その帰りに襲われたらしい。

 

階級制度というのはどうしても貧富の差を産んでしまう。上に居るものには下の苦しみはわからないし、逆も然り。この度事件を起こした直参旗本は、大きな甘えの中に生きていた。位が高ければ、周囲が自分に従い、礼を尽くし、支えるものだと勘違いしたまま、己のわがままを貫き通す。同じレベルの者に囲まれ、自分の能力が低いことを知るのは辛いものがあるが、そこで切磋琢磨できるかで人は変わって来る。甘えの中にいた武士は、それができないタイプの人間だった。

 

時代小説を読んでいると「人の在り方とは」を考えさせられることが多く、やっぱ江戸だな。武士道だな、などと一人納得しているところ。

 

ところで、刀が2本になったのだから今話題の二刀流にはならんのかな?と期待しながら読み進めていたのだが、本巻では華麗なる変身は見られなかった。まあ、あと40巻ありますしね。