Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#671 輝き方~「千両かざり 女細工師お凛」

『千両かざり 女細工師お凛』西條奈加 著

才能と努力。

 

1月も半ばを過ぎ、そろそろ海外からのお出ましが増えてきた。今年は1月22日が旧正月だそうで、中華圏のお国の方から「遊びにいくよー」と今週は入国予定が続いている。加えてなぜか欧米からのお客さんも多く、聞くと「スキーしたいから」という回答があった。個人的には外国からのお客様が日本の経済にプラスの影響を与えて下されば御の字だと考えるが、インフルエンザやコロナには注意しつつお客様を迎えねば自分も大変になってしまう。どこかで代休取れたら家にこもって読書三昧したいなあ。

 

さて、現在シリーズものをいくつか抱えて読み続けているので、合間合間にそうではない作品も読んでいきたいと思っている。昨年は時代小説にばかりに傾いていたので(面白い作品との出会いが多かったのです)、今年は現代をテーマにしたものや、小説ではないもの、洋書などもたくさん読んでいきたい。そして今までは気分的にアップしていなかったのだが、仕事のために読まざるを得なかった書籍なども記録しておきたいと思う。

 

さて、本書はタイトルに全てが詰め込まれているような作品で、飾りものを作る女細工師の物語で、その名をお凛という。もうこれで全ての説明が終わってしまうのだが、もう少し詳しく備忘録として残しておきたい。

 

お凛は椋屋の事情である。椋屋は飾りものを作る店で、簪など女性用の小物が中心だ。椋屋を立ち上げた初代は、兄は小間物屋を、弟は飾り屋をとのれんを分け、長く二つは強い絆で結ばれた商いをしている。現在は4代目を姉のお房の夫である宇一が継いでいるのだが、その宇一が病に侵された。跡目は先代が指名することとなっており、病床の宇一も5代目に誰を据えるか考えに考えた。

 

宇一は先見の明があり、今後の椋屋だけではなくまるで江戸に何が起こるかまでを知っていたかのように、全てを遺言として残していった。そして亡くなる前にはお凛を呼び寄せ、小さな頃から飾りに親しんできたお凛こそ、この店を守る柱であると告げる。

 

さらに現在5代目を継げるほど腕のある職人がいないこと、椋屋の職人が力をつけるにはある人物を連れてくる必要があることなども宇一はすべて指示を出していた。その人物とは、以前京都などでも修行の経験があるという時蔵というなの飾り師だ。50日の投獄の刑にあるが、その期日を終えたら必ず迎えに行くようにとの指示に従い、お凛は時蔵を椋屋に迎え入れる。

 

時蔵は我が道を行くかのように、なかなか椋屋の職人たちとは相容れない。さらに時蔵の技は卓越しており、他の職人たちに嫉妬を起こさせるほどのものであった。お凛は小さい頃から影で細工作りを学んでおり、何よりも細工が好きだった。お凛も一瞬にして時蔵の作品に魅了される。

 

宇一は5代目は3年後に決めるようにとの遺言を残した。その3年間の間におこった椋屋の成長の記録が記されているような作品。切磋琢磨することで技術は磨かれるものだろうが、感性というのは持って生まれた能力であろう。

 

与えられた能力を活かせることほど幸せなことはない。人はそれぞれ何等かの優れた面を持って生まれてくる(と思う)。それぞれの輝き方は異なれど、何か必ず持っているはずだ(と思う)。LED並みにずっと長い間ものすごい明るさで輝き続ける人もいれば、花火のようにドカンと一発盛大に輝く人もいる。同じ豆電球でも明るさや輝く長さが異なるし、その輝き方に正しいとか正しくない、なんてことはない(と思う。)

 

その輝き方を最大限にできるように、私たちは自分を磨いたり、工夫したりする必要があるのだろう。そうすることでより明るく、遠くまで、長く輝けるようになる。

 

この頃どうも「人」によるストレスにまいっていたのだが、本書を読み、才能や輝き方についてあれこれぼんやり考えているうちに、自分を輝かせることに集中していたら、外野の様子なんてあんまり気にならなくなることに気が付いた。仕事しない、社会的モラルに乏しい、個人の利益と保身ばかりに執着し、働くふりで上へのご機嫌取りだけが「仕事」。業務はすべて部下に振り、本人は会社ほど楽なところはない!な生活をしている上司をお持ちの方、時蔵やお凛のように生きてみるとストレスも少し軽減できるかもしれませんよ。