Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#154 なにもこれが初めてではないのだから

『損料屋喜八郎始末控え 3』山本一力 著

伊勢屋と喜八郎には在る種の信頼関係があるのかも。 

 

今ものすごく合羽橋に行きたい。すごく行きたい。なぜ合羽橋か。それはお菓子用の道具を購入したいからだ。余り自分で作ることのなかったタルトなどを自宅で焼こうという気になった。我が家のオーブンレンジ、レンジとしての活躍は多いのだがなかなかオーブンとして使うことがなかった。料理だとガスレンジについている魚焼き機で十分だったりもするのだが、お菓子作りとなるとやっぱりオーブン機能が必要となる。オーブンレンジを購入した時の料理集なる小冊子を見てパンやらタルトやらを焼きたくなった。

 

料理道具ならネットでも購入できる。ただ、お店で購入する場合、どのくらいの選択肢があるのかが一目瞭然。合羽橋ならお店の特色別で選択肢もどんどん増える。そして運が良ければ専門家のアドバイスなんかも聞けてしまうのでネットよりも俄然合羽橋なのである。

 

しかも合羽橋は浅草に近くて一気に心が弾む。最近読んでいるものは蔵前の札差が登場するので尚更行きたい。蔵前といえばバスクチーズケーキの美味しいカフェがあるのだった。ああ、行きたい!

 

その蔵前の札差が登場するのがこの小説。ちょうど3冊目までを読み終えた。4冊目をまだ購入していないのだが、今は他にも読みたい本があるので一旦このシリーズはこれを最後にお休みしたいと思っている。

 

2巻目の終わりでイケメン喜八郎にも恋の話が!と一気に華やかさが増したので3巻目でついに喜八郎にも春が来るかと楽しみにしていたのだが、やっぱり真面目な喜八郎。なかなか色恋は進まず仕事一辺倒である。

 

喜八郎がお世話になった米屋だが、2代目が札差の肝煎となったことで江戸一番の札差である伊勢屋との関わりが相変わらず続いている。喜八郎は伊勢屋の目利きの力や商売を読む力に一目置く所があり、互いの災いに力を貸すような面も出始めてきた。伊勢屋も喜八郎を信頼している面を隠さないようになり、3巻目にして喜八郎は応接の間で緑茶と茶菓子を供されるまでになっている。

 

今回はあまり大きなトラブルもなく、穏やかな日々にちょっとした出来事がある程度とスローな展開だった。見せ場といえば米屋と喜八郎が一緒に風呂屋に行くことぐらいだろうか。

 

こうして時代小説を読んでいるといつも歩いているあのあたりに武士が歩いていたのかとか、広小路の佇まいや日本橋の絢爛さなどを想像してしまうわけだけれど、江戸の義理人情を私達はちゃんと受け継いで、つなぎ渡すことができているだろうかと疑問に思う瞬間がある。義理人情こを日本人の美徳だと思っているし、和の心こそ日本人のあり方だと思っている。街をきれいにし、人を助け、奢らず、社会を支えるような大人になれているだろうか。このような時だからこそ美徳が必要であるのに、自分勝手な振る舞いをする人が後を絶たない。時代小説の舞台となるエリア(台東区あたり)に行けば、なんとなくだけれど心の財産が受け継がれているような気がしてしまうせいか、より一層合羽橋に行きたくなるのだ。

 

また感染者の数が増えているのでなかなか気軽にショッピングができなくなってしまった。この小説では棄損令や冬の寒さが原因で江戸は困難に喘いでいるのだが、今年の東京はコロナで静かな1年だった。3冊目では棄損令から数年がたち、少しずつ持ち直そうかというところへ灘の酒への課税の話が出てくる。江戸時代、なんども病や災害や不況を乗り越えてきたのだから、このコロナ禍も絶対に乗り越えられると信じている。読んでいてなぜか今の境遇を重ねてしまう瞬間があった。