Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#166 我が家につくもがみになれる物はあるかしら

『つくもがみ笑います』畠中恵 著

出雲屋のつくもがみたちに友ができる! 

 

Amazonを徘徊していたらつくもがみシリーズの新作が出ていたことを知った。本当は「しゃばけ」シリーズの新作が出ているのでそれを読みたいところなのだが、休みに入ってからゆっくり読みたいと敢えて買わずに我慢しているところ。

 

さっそく新しく届いたKindleを使って読書を始める。前のものと何が違うかというと①ボディー全体に縁がある、②前のものはKindleの文字がボディと同色で目に入ることはなかったが、今度のはグレーの文字なので画面の下に常にKindleという文字が見える、くらいだろうか。設定を自分好みにしてしまえば、それほど替わりなく使えているので満足。

 

さて、このシリーズに新たな登場人物が現れた。その名も出雲屋の息子、十夜と同じ 「夜」の文字を名前に持つ人物である。なんだか意味深な感じ。

 

なんとこの度つくもがみ達がいなくなるという事件が起きる。貸し出される予定のお店に着いていないことがわかり、はてどこに行ったのかと残されたつくもがみと出雲屋の主人一家は頭を悩ませる。幸い飛べるつくもがみが残っていたことから謎解きがされていくのだけれど、全く人間と話をしなかった1巻目に比べて今は店に出てくるな!と怒られるほどに人と喋る。もちろんつくもがみの存在を知っているものの前に限ってのことではあるが、どんどんとキャラクターがイキイキしてきて楽しくなってきた。

 

 

物には命が宿るという。人の手で作られ、100年壊されることなく大切にされると物に命が吹き込まれる。これは日本独特の文化背景だからこその物語だと思わずにはいられない。例えば、日本のスポーツ選手は自分が使う道具は大切に自ら手入れをし、乱雑な取り扱いをすることは決してない。以前にイチロー選手がメジャーリーグで活躍されていた頃、アメリカの選手がそれに驚いたと言う話をどこかで読んだことがある。イチは決してグローブをぞんざいに扱ったりはしない。投げつけることもないし、踏むなんてもちろんのこと絶対にしない。三振に悔しくてバットを投げつけたりなんて想像すらできない。こんな感じの内容だった。

 

そもそも着物はリサイクルの聞くもので、裕福な人は代々受け継がれたものを大切に着続け、最後には子供のおむつにしたり、出雲屋のような損料屋や古着屋に売ったりした。生活が儘ならないものは古着につぎあてをし長く長く大切に着回した。着物は消耗品なので100年持つとは思えないけれど、出雲屋の面々のように掛け軸や煙管や人形なんかは大切にされれば長く使える。物を大切な心を教えるために付喪神というものが文化の中に息づいたのだろうと思うと、ますます今の物余りの時代を憂いる気持ちが出てきてしまった。

 

江戸に心を向けると、どうしても豊かになったことから生まれた無駄について考えてしまうことが多い。出雲屋のつくもがみ達は昔の話をそれはよく覚えていて、誰の手に渡りどんな生活をしていたのかもちゃんと覚えている。なにか引き継げているものは無いものかと家の中を見回したけれど、仮住まいということもあり新たに揃えたものばかりが目に入ってきた。

 

そう言えばこのKindleも今や4代目。大切に使っていても機械というものは割と寿命が短かったりする。もしこれを紙の本で買っていればきっと100年後も保管状況さえ良ければ残っていたりするんだろうな。いや、電子でもアーカイブ化されてるから残ってますよ!という意見もあるのだろうけれど、「物」との付き合い方がフランクになりすぎた今だからこそ、このつくもがみシリーズはぐっと心に語りかけてくるものがあるのだと思う。

 

せめて気に入って購入した台所用品、鉄瓶とか鉄鍋は100年いけそうだけれど、どうだろう。