Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#668 神話が現在にリンクする ~「後宮の烏 4」

後宮の烏 4』白川紺子 著

過去が与える影響。

 

年末より読んでいるシリーズものの4巻目。

 

今更なのだがアニメ化されていることを知った。この頃Netflixの押しの強さというか、強引さというか、なりふり構わない必死さというかに辟易し、Huluとアマプラ中心の生活を送っていた。それがNerflixで見ていたドラマの続編が出たことを知り、数か月ぶりにNetflixを見たところ、「新着」の中に本作のアニメ版が。



アニメをBGMに家事をしたり、本書の続きを読んだ。書籍に比べアニメ版はものすごく駆け足で進んでいる所があるが、ひとまず想像したような衣装、建物、人物像で安心しながら続きを読んでいるところだ。

 

さて。4巻目でストーリーの枝葉が急にすくすくと伸び出したような、物語が歩き出したかのような、飛躍のイメージがあった。アニメがあることを知ったからか、いや、それだけではない。もし自分に演技の能力があるのなら「ああ、この人物を演じてみたい」と人物に入れ込んでしまう瞬間が増えていく。4巻目でも後宮に現れた幽鬼や、国の歴史の礎である烏漣娘娘という神の存在が物語の軸にあることは変わりはない。よりストーリーが複雑になったりダイナミックになったわけでもないのだが、なにかが共鳴している。

 

後宮の中、夜明宮に暮らす烏妃は烏漣娘娘という神を祀る特別な妃である。後宮には神官もいるが、烏妃は祀るとは言え、神と一心同体である。新月の夜、烏妃の体内で神が目覚める。空に羽ばたこうと飛来する神は、烏妃の体に耐えがたい痛みを与える。神と共に生きる烏妃ではあるが、この飛来も含め「一体なぜ?」という歴史に埋もれてしまった真実を皇帝である高峻とともに突き止めようとする。

 

高峻は烏妃に自分と似たものを見、どこか自分に重ねてしまうところがある。歴史を紐解きつつ、皇帝と烏妃にも役割があることを知る。夏の王と冬の王、互いが存在していることが国を維持するための条件であることを知り、高峻と寿雪は互いの存在と絆に縛られていく。一つ一つ、烏妃とは、烏漣娘娘とは、その存在意義が明るみに出始めた。

 

本書でも烏妃は後宮内の幽鬼を楽土へ導こうとする。幽鬼には、この世に未練があってどうしても楽土へ渡れない魂だ。何かを悔やみ、何かを憂い、何かを欲し、何かに執着している。まるで哀歌を奏でるがごとく幽鬼は己のかつての姿のままにこの世へ現れる。烏妃の目を通して映し出される幽鬼は、魂を解き放たれ楽土へと旅経つが、その度に烏妃の空になってしまった心をも満たしていく。

 

後宮に暮らす宮女や宦官にも人であり、心がある。今まで烏妃とは遠く、恐ろしく、得たいの知れない存在であったが、幽鬼を救うことで人をも救っていくことから、いつしか烏妃を崇める者が後宮内に増えて来た。それが知らぬ間に独り歩きし、度を過ぎたと感じられる頃には烏妃の耳にもその存在が聞こえて来た。黒い飾り紐を身に着け、「緇衣娘娘」つまり烏妃を崇める者たちがあると言う。烏妃もこの行き過ぎた状況に危うさを感じ、裏の気配を探ろうとする。

 

烏妃は本来一人で暮らすべきであった。宦官を置いてはならない。宮女も必要ない。一人で夜明宮に生きるべきであった。ところが夜明宮に寿雪が救った者たちが集い、いつしか宦官3名、宮女も3人へと増え、もはや一人で生きるには他人と接点を持つことで生まれる喜びを知った寿雪。人との縁を断つことがより難しくなりつつある。

 

同時に、烏漣娘娘の本来の姿が徐々に露わになる。烏漣娘娘は高峻にも烏妃にも神としての存在しか知れている部分はない。ところがかつて王宮にいた巫術師から、思いもよらぬ事実が知らされていく。これを力にできるか、それとも弱点として抱えていくのか、烏妃ではなく寿雪という人としての生き方を望めるのか。

 

物語の深みがいくつにも別れ、絡み、昇華していく。今まで一度しか見たことがないのだが、なぜか京劇のことを考えながら読んでいた。神話が実在した真の歴史として物語を支えている。香港あたりで映画化されないかしら。