Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#624 花の色はうつりにけりな~「過去となつたアイルランド文学」

『過去となつたアイルランド文学』片山広子 著

大正の世に読んだアイルランド文学。

 

冬の窓対策について考えている。この間近所のスーパーに行ったら、こたつを始めとする冬物家電の他、簡単に対応できるグッズ類も売られていた。我が家は現在、窓から近い順にビニール製のカーテン→レースのカーテン→遮光カーテンを吊るしている。それでも窓辺が寒いので満を持しての「窓にぷちぷち」を検討中だ。

 

ところで、日本の家、特に雪の降らない地域の家は寒すぎる。夏に焦点を当てた作り何だろうと思うが、冬に弱すぎるのではないだろうか。東京と変わらず冬の最高気温がプラスの1桁になるヨーロッパでも集中暖房など住居に暖房設備が整えられていた。逆に夏はせいぜい30度くらいだったから冷房施設など無かったけれど。一番快適に過ごしたい家の中が寒いというのは以ての外なので、私は盛大にエアコンを使って暖を取っているが、環境問題が挙げられる中、節電のためにも寒さ対策を施したい。

 

ということで、寒さ対策をしつつある冬のことを思い出し、本書を読んだ。

 

著者の片山広子氏は日本へ海外文学を紹介した草分け的存在のお一人だろう。外交官の娘として海外文化に触れることが多かったことが想像できる。父親はイギリス総領事だったから、アイルランドの文学も身近に感じるところがあったのかもしれない。

 

アイルランド文学の中でも、John Millington Synge、W.B. Yeats、Isabella Gregoryの作品を松村みね子の名で翻訳した。当時、アイルランドについて知る人はどのくらいいたのだろう。アイルランドは多くの文学的才能を持つ天才を生み出した国だが、もし著者が紹介するようなことがなければ、例えノーベル文学賞を受賞していようとも、日本人の手に届く日は遠かったのではないかと想像する。

 

アイルランドの文学は妖精などの児童文学も素晴らしいが、風刺や時代を象徴する社会派的意味を込めた作品は何度も読んでやっと少しを理解できるほどの深みがある。というか、私には難しすぎる面が多い。学生時代に学んだ時、アイルランドの作品を読む前に基礎知識として知っておかなくてはならないことの多さに驚いた。歴史、政治、宗教、風習、気候、民俗性、衣食住、言葉、文化背景などなど、リストはもっと長くなるだろう。それを大正の時期に翻訳したという理解度に感服する。

 

本書は著者がまだ日本が平和だった時代に親しみ読んだアイルランド文学が、戦時中には書物を家の中に埋め、一部の書籍を持って疎開したこと。そして作品が書かれた時代、著者がそれらの作品を読んだ時代の素晴らしさに郷愁を感じていることを思い出しているというエッセイだ。

 

アイルランドに初めて一人で行った時、それは冬のことでものすごく暗く、雨が降り続いていた。ダブリン市内を流れるリフィー川はゆったりと黒く、クリスマスの直前で街の中は活気づいていたにも関わらず、魔法使いでも出てきそうなどんよりとした重みがあった。その時のことは不思議とはっきり覚えていて、それもステキな思い出として心に残っている。

 

アイルランド文学を好む理由は、環境の厳しさから生まれる辛さの中にも暗闇にシャムロックの芽を見つけるように、物語の中に小さな幸せがあるからかもしれない。一瞬柔らかい光に包まれるようなそんな気分になるところ、その感覚が好きだ。研ぎ澄ませていない限りその幸せは見つからないし、原語で読んだ時は特に、一つの知識を学ぶたびに急に本の中の文字が輝いて見えるような気持ちになれた。

 

著者は多くの小さな幸せをアイルランド文学の中に見たのだろう。だからこそ「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」と書いているのだろう。

 

文学を楽しめる今が幸せであるということを改めて噛み締める。