Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#241 子供の頃の読書の思い出

 『小さな男の子の旅』エーリヒ・ケストナー 著

短編が2つ収められた小さな本。

 

この頃児童文学を読んでいなかったなと思い、先週いくつかまとめて関連書籍を購入した。ケストナーの作品は小さな頃から読んでいた。父が譲り受けたとかいう昭和時代の少年少女文学全集のドイツ版に作品が収められていたのを覚えている。

 

全集はすべて持っているのだけれど、この作品は知らなかったので早速購入してみた。届いてまず「あれ、薄い」と思った。訳者のあとがきを含めても63ページと本当に薄い。絵本くらいの厚さだろうか。

 

収められている物語は2つで、「小さな男の子の旅」と「おかあさんがふたり」で、本当に短いけれど心に残るストーリーが収められている。今回の作品はもしかすると挿絵のないものだったのかもしれない。絵が全集でおなじみのヴァルター・トリアーではなく、日本でオリジナルに挿入したものになっている。(絵は堀川里万子さん)いつもの絵と違うというだけで、何か違うものを読んでいるような気がするのだけれど、やはり読了感はやはり「ああ、やっぱりケストナーはいいなあ」である。

 

ケストナーは戦時中に活躍した作家であることから、現実味のあるストーリーが多い。魔法だの妖精だのの陽のムードに着目した場面よりも何かもっと深刻なシチュエーションが背景にある陰の部分も併せ持っている。この2編の作品も深刻さの淵に立たされている子供が主人公になっている。

 

今の令和生まれの子供たちにはケストナーの作品はどのように見えるのだろうかとふと気になった。日本だけではなく、本国ドイツでももう昔の作品として古典入りしているのだろうか。たしかに電話が家にないような設定もあるので小学生ですら携帯を持っている今の世の中ではなかなか理解しえないことが多いだろう。兄弟が何人もいることだってないだろうし、親が正月を祝えないほどに困窮しているということも考えにくい。

 

とはいえ、やっぱりケストナーの作品は読み継がれて欲しいなと思う。この小作品のような短めのものがもっともっと手の届きやすいところにあればなと思わずにはいられない。ケストナーの作品を読むと、いつも実家で本を読んでいた時のことを思い出す。しばらく何年もの時を一気にさかのぼって子供時代に帰っていけるのが児童文学の良いところだろう。

 

それにしても、私はなぜケストナーの作品をすっと理解できたのだろうか今でも不思議に思う。素晴らしい挿絵が理解を助けたことも否めないけれど、なんとなく懐かしいような「わかる」とはっきり理解できる瞬間があった。思えば初めてヨーロッパに行った時、「ここ知ってるわ」みたいなデジャブ感があったけれど、読書でもそんな体験をしていたことをふと思い出し懐かしくなった。