『マギンティ夫人は死んだ』アガサ・クリスティ著
ポアロシリーズ第29弾。
思えば昨年のこと。Amazonのセール時に早川書房から出ているアガサ・クリスティーの作品を全作購入し、「これからは推理小説だ!」と息巻いていた。ガイドブックとしての指南書も購入し、発売された順に読むことまでを決め、それでも100冊ほどもあると時間がかかる。
まずはポアロシリーズから入り、途中ショートストーリーなど日本では扱われていない作品などもあることから、読み順はこちらのWikipediaのものを参考にしている。
Hercule Poirot in literature - Wikipedia
さて、そんなアガサ作品を読み漁る計画、今年も腰を落ち着けて没頭できる夏休みに再開だ!と思っていたのに、その夏休みがなかなか取れず。そこでウォーミングアップを兼ねて次の作品を少しずつ読み始めることにした。
最後に読んだのが28弾目で結構な冊数を読んだわけだが、超有名作品以外は割と頭から消えていた。というのも、過去の作品に出てくる登場人物が29弾目にも顔を出してくれているのだが、それがはてどんな作品だったか思い出せないから情けない。つくづく記録残しておいてよかったーと思った次第。
さて、前作と本書の間には2つのショートストーリーが発刊されているのだが、早川書房版に従いこちらを29つ目とする。
Title: Mrs. McGinty's Dead
Taken at the Flood
Publication date: Feb 1952
Translator: 田村隆一
翻訳者の田村隆一さんはwikipediaによれば他にもアガサ作品を手掛けているのだが、早川書房では他の方の翻訳を採用していたようだ。今まで28冊を読みつつ、生意気にも「翻訳がいまいちだなあ」というものがいくつかあったが、本書に至っては非常に読みやすく、とても楽しい読書となった。
本作品も英語圏の人にとってはタイトルだけで想像が膨らむタイプのものらしい。というのも、タイトルはわらべ歌から来ており、子供たちが遊びながら口ずさむものらしい。ぱっと頭に浮かんだのは日本で言えば「かごめかごめ」だろうか。旋律がちょっぴり物悲しく、歌詞もうっすらおどろおどろしい。きっと英語圏の人であれば、タイトルから「これは殺人が起きるな。しかも類似のものだろうな。」という予見があるのだろう。私はそんなことは全く知らずで本書で学んだ。
「マギンティ夫人事件のことなのです。たぶん新聞でご存じでしょうが」
ポアロは頭を振った。
「そう、べつに気にもとめませんでしたが。マギンティ夫人――家だか店の中だかにいた老婦人。彼女は死んだ。どんなふうに死んだか?」
スペンスはじっとポアロの顔を見つめた。
「そうだ、思い出したぞ、こいつはおどろいた。どうしていままで気がつかなかったのだろう」
「なんですって?」
「いやなんでもない、ちょっとした遊戯ですよ。子供のゲームです。私たちが子供のときよくやったものです。一列に並んでね。質問したり答えたりして、その列を通るわけです。〝マギンティ夫人は死んだ!〟〝どんなふうに死んだ?〟〝あたしのようにひざついて〟すると次の質問があって、〝マギンティ夫人は死んだ〟〝どんなふうに死んだ?〟〝あたしのように手をのばして〟そこで私たちはひざをついて右手をこわばらせてぐっとのばすのです。ほら、これであなたもおわかりになったでしょ!〝マギンティ夫人は死んだ!〟〝どんなふうに死んだ?〟〝こんなふうに!〟ピシャッと手が鳴ると、列の先頭のものが、横むきに倒れます。すると、私たちはみんな、九柱戯のように、ばったりと倒れるのです!」スペンスはその回想に大きな笑い声をたてた。「昔に帰りましたよ、この歌の文句で!」
ポアロのもとを訪ねて来たのは以前の作品にも登場しているスペンス警視だ。自分が担当した殺人事件の結果に納得がいかず、本来は自分でどうにかすべきだが次の事件も担当せねばならない上にいろいろ調べても何も出てこない。困り果ててそこでポアロに手助けを求めることでストーリーは始まっている。
今回も戦後のイギリスの田舎町が舞台で、そこで家政婦をしていたマギンティ夫人が殺された。夫人は自宅を間借りさせていたことから、そこに住んでいた青年が犯人として捕らえられる。裁判の判決もこの青年が犯人だとし、数週間後には青年は犯罪者として命を終えることとなっていた。スペンス警視は、この青年が犯人という証拠がそろってはいるが、どうも青年の犯した事件ではないという気がしてならない。ポアロへ調査を引渡し、ポアロは早速現地に向かう。
町は小さく、すぐに噂が広がってしまうようなところだ。ポアロの登場もあっという間に町に知れ渡るのだが、人々はなぜ犯人が捕まった事件を再調査しているのかと不思議がる。そこへ旧知のオリヴァ夫人という探偵小説家も登場し、謎が一気に解けそうな気配を醸し出すが、ポアロは最後の最後まで悩み続ける。
ガイドブックによると、本作品はアガサらしくないという説明から始まっており、その「らしくなさ」はハードボイル風だからだとあった。私の個人の感想はこうだ。久々のアガサ作品だったせいもあり、むしろ「アガサ最高!」くらいの気持ちでいた。たしかにハードボイルとと言われればそうなのかなーとぼんやり思う程度で、読んでいる間は伝統的なイギリスの推理物という気持ちだったと思う。
まるでシャーロックのような鬼才っぷりを表すのではなく、じっとりと何かに覆われたような町で根気よく調査にあたるポアロ。それがハードボイルドだと言われればそうなのかもしれない。アグレッシブに活動する風でもなく、ひたすら考えている感があるのは、相棒がいなかったからではないだろうか。今回の調査ではスペンス警視はエジンバラでの事件にあたっているとかで、ポアロは単身で現場で調査にあたっている。相棒がいれば、それはいつものようにおちゃらけた口調で調査の合間合間に会話を楽しむこともあるだろう。でも一人となるとそうはいかない。一人で調査=ハードボイルドというわけではないだろうけれど、たしかに少し調査の様子が控えめなのかも。
じっとりと何かに覆われた感覚というのは、共同体の小ささから来る保守的なムードということではなく、戦後の世の中の重さによる閉塞感ではないかという思いもあった。というのも、この頃はエリザベス2世の逝去により女王の生い立ちを説明する番組を数多く目にしていたからだ。
本書は1952年にアメリカで初版が出ているが、ポアロ作品は戦時中にスタートした作品だし、映像で見た当時のイギリスの様子は(イギリスに限らず)人の心を石のように固くし、いろいろな判断基準自体が歪んでいたように考える。ものすごく自己的になったであろうし、誰もが尋常ではない時代に生きざるを得なかったはずだ。それが戦後となり、少しずつ心に明かりが灯るようになれども、また別の悩みも生まれる。どうやって食つなぐか、どうやって苦労のない生活ができるか、どうすればかつての苦しみから解放されるか。その重さが薄いベールのように小説の中にも見え隠れしているような印象が強かった。
さらには、登場人物や場所の説明で教会が出てこない。医者や旧家は出てくるが、全体的に戦争の傷を抱える時代というよりは前に進む力に突き動かされている時代に見えたということもある。
最終的にポアロはいつも通りにロンドンに戻り、お気に入りの食事に満足し、一件落着となる。が、その食事の中でも今回の事件の複雑性が見事に表現されていて、やっぱりアガサすごい!となるのである。
評価:☆☆☆☆
おもしろさ:☆☆☆☆☆
読みやすさ:☆☆☆☆