Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#514 Iターンもいいな~「海がみえる家 それから」

『海がみえる家 それから』はらだみずき 著

南房総での生活の続き。

 

4月に入り、外出というか出張が増え始めた。移動時間が増えると本を読む時間も増えるのでありがたく読書に没頭している。

 

早速こちらの続きを読んだ。

 


仕事を辞めた日、父が他界したという連絡を受けた文哉は父の残してくれた南房総の家で地域の別荘管理の仕事を引き継ぐことにした。父の葬儀に関し、文哉の姉の様子にあまり共感できずにいたが、案の定、姉は父の残した財産全てを男につぎ込み、挙句に別れ、そして文哉のもとに転がり込んできた。もう、「うわあ」という感想以外何も出てこない姉だが、一応仕事をしていたと思いきや、ある日突然文哉の全財産を持っていなくなる。ああ、もう…。

 

文哉たちの生活は自然から与えられるものや、物々交換で成り立っているので冬になると収穫できるものが無くなりかなりつらい。加えて唯一の実入りとも言える別荘の管理費は夏に一括で払われるもので、それも姉が持っていなくなったために年越しの時期はきつかった。

 

本書ではサーフィン用語に沿って「ワイプアウト」と言っているが、ちょっと人生の岐路からそれてしまったり、寄り道してしまうことにひどく不安を感じてしまうのが今の都会の暮らしだと思う。「忙しい」という言葉は面倒なことを上手く断る時にも使えるし、なんとなく忙しくてこそ社会に役立つ働く人間みたいなところもあるかもしれない。

 

一方文哉の周りは「暇だ」ということがかっこいいと言う。暇というより、自分の時間を自由に動かす能力があるという意味になり、人が助けを求めてきたら、それに合わせていつでも動ける態勢を整えている文哉はかなり「暇」と言えるだろう。しかし実際には10件の別荘管理の他、地域の仕事、食べるための活動などスケジュールにしてみるとずっと体を動かしているように思う。

 

文哉のような生活に憧れる人は多いだろう。とは言え、それは都市部に住む人たちだからこそ感じることであり、実際に地方に住む文哉くらい(20代前半)であれば同意どころか都会に出れば仕事があり、成長でき、将来も安定すると思っているであろう。地方に居れば職種は限定されてしまう。私も地方に住んでいたのでよくわからるのだが、第一次産業は本当にハードそのもので、時間の自由どころか土地に縛られる。特に農業や酪農業なんて人間が生き物に合わせて暮らさなくてはならず、例えば自分の体調が優れないとしても生き物は待ってくれない。作業が延々に続くわけで、土地に縛られるような気持ちだろう。収入が安定せず、収穫がなければお金が手に入ることはない。

 

会社で働くと程度の差はあれ、何等かの負荷がかかり、心がだんだん細くもろくなってしまう。ひどい人だと一日20時間以上会社にいるだろうし、何日も休みが取れない人もいるだろう。そんな人には文哉のように自由に生きられる生活が羨ましいはずだ。しかし、文哉はもう他に行くところが無いという思いの他に父が残してくれた生き方であることから、どうにか根付こうと努力している。もともとその土地にいる人にしてみれば、甘い気持ちで農業だの漁業だのに手を出しているのでは?と訝しがる気持ちがあってもおかしくないのだが、文哉の場合は別荘地という環境もあり外部の人間の登場に地元が慣れているという環境も大きく助けているように思う。

 

いろいろな人がいろいろな形で日本を支えているわけだが、コロナ禍でリモートワークが可能になり、文哉のような人が今後増えていくかもしれない。それはそれで楽しみで、そこから新たな発想や新たな知恵が地域を活性化してくれればなと思う。

 

ここ数年定期的に同じ地域に出張に出ているのだが、行けば行くほど愛着が湧き、今では「将来ここに住みたい」と考えるようになった。短い人生、いろいろなところに住んで、いろいろな経験をすることは大切なはず!と、密かに移住計画を立てている。それにしても文哉の暮らす南房総の自然の豊かさが素晴らしく、読んでいるうちに是非行きたくなってきた。南房総は1度しか訪れたことが無いのでいつかじっくり旅してみたい。