Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#513 すっかり初夏のようなお天気ですが~「雷桜」

雷桜宇江佐真理 著

山に生きた娘と城に生きる殿の人生。

 

東京の桜は見ごろを終えたが、散る姿も美しかった。というより週末は夏のような陽気でそろそろ衣替えかなーと季節の移り変わりを楽しんでいる。

 

さて、桜の季節にAmazonで見つけた本書、表紙やタイトルに惹かれてつい購入してしまった。しばらく本は買わないぞ!と言いつつも月に2~3冊は購入してしまっている。とはいえ、本書は宇江佐先生の作品なので迷わず購入し、未だ感動の波にどっぷり浸かっている。

 

購入してから知ったことだが、この作品は映画化されていそうだ。



この見事な桜の木は、本作の象徴とも言える。

江戸からしばし離れた瀬田村。山の麓に位置しており、その山は瀬田山と呼ばれている。

 

庄屋一家の瀬田家には3人の子供がいた。末の娘、お遊は嵐の日に何者かにさらわれてしまう。何年たってもお遊を思う瀬田一家の耳に、お遊は山で生きているのではないか?という噂が届く。とはいえ、瀬田山は人が迷い命を落とすことから決して近づいてはならないと言われている。まさか幼子がそのような危険な山で生きているとは思えないという思いとは裏腹に、瀬田一家はどうか生きていて欲しいと心の底で願っていた。

 

瀬田家は子供たちを村から離れた都会で教育することにしていた。長男は京都へ、そして次男の助次郎は江戸へと旅立つ。助次郎はもともと剣の扱いにも長けており、江戸では学問と剣術を学んでいた。その学び先の紹介で江戸御三卿の清水家で中間として勤めることとなる。これが瀬田一家の運命を変える2つ目の出来事となる。

 

清水家の主は助次郎より2つ若い斉道だ。斉道は将軍の子として生まれ、何不自由なく育ってはきたのだが、心に病を抱えていた。突然に気性が激しくなったり、叫び、怒り、周りは手が付けられない。ある日、部下に手をかけようとするところに出くわした助次郎は憤る斉道の前に出てことを収める。

 

1年の約束であったが、藩は助次郎を手元に置きたいと考えた。特に御用人である榎戸角之進は助次郎が藩に必ずや役立つことと早い段階から見抜いている。そこで一度里帰りすることをすすめ、助次郎は江戸から瀬田村へと旅立つ。瀬田山が近づき、村の反対側に位置する町を歩いていた時、助次郎は奇妙な娘に出会った。娘は瀬田村へは山を通れば半分の刻で到着すると言い、自分の馬に助次郎を乗せ、山の中を案内しながら瀬田村へ向かった。助次郎はこの娘こそが妹の遊であると確信し、自分が兄であると名乗り、実家の場所を教え戻ることを説いた。

 

お遊は本当に山で生きていた。さらった主を親父と呼び、山で炭を焼いて隠れるように暮らしていた。江戸のおなごらしからぬたたずまいではあったし、離れた時が赤子であったにもかかわらず、助次郎は一瞬でお遊を見抜き、再び家族に会わせたいと願う。

 

村が雪に閉ざされ、江戸へ戻るまでの間、助次郎はお遊の帰りを待った。しかしお遊は現れない。春になり、助次郎は江戸へ戻るも清水家では中間以上の役割が待っていた。殿の傍に控える仕事は簡単ではなく、日々苦労が強いられる。ある日、夜伽として助次郎はお遊のことを殿に話した。それから斉道は瀬田村へと心を寄せる。

 

そんなある日、お遊が突然帰ってきた。親父が姿を消したことや、助次郎に両親が存命であることを聞いてから、実の家族へ思いを寄せるようになったという。もちろん瀬田家は大歓迎をした。11年の不在を埋めるがごとく愛を注いだ。お遊にとっては里の暮らしはなかなか慣れることはできなかったが、真っすぐで生きる力に漲る人柄は次第に村のものをも惹きつける。そして、その魅力はやがて瀬田村へやって来る清水家ご一行にも大きな存在となる。

 

タイトルの雷桜だが、お遊がされわれた嵐の日、雷が落ちた銀杏の木に桜が芽吹いて大樹となったものだ。これは瀬田山に暮らしたお遊の心であり、道しるべであり、山の息吹だ。この桜や登場人物の生きた道が過去に本当にあったかのような錯覚を覚える。

 

今まで読んできた宇江佐先生の作品は深川の捕物だったり、料理だったりと明るく力強い庶民の生活が主だった。お武家、それも将軍一族のストーリーは今までとは異なる読み応えや迫力があり、読了後の余韻がものすごい。普段は小説の映画化にそれほど関心はないのだが、この作品は是非とも見てみたい。この素晴らしさをどうにか記録しておきたいと思ったのだが、ひとまず簡単なあらすじの説明にとどめておく。スケールといい、言葉の一つ一つが心に染みる感動の一作。