#489 直感と洞察力が研ぎ澄まされるようです~「木練柿」
『木練柿』あさのあつこ 著
弥勒の月シリーズ、第3弾。
3月に入り、外国人の入国緩和が実施されることになった。本当に本当に本当に!来日の必要がある方には一日も早く入国頂きたいところだが、どう考えても急を要さない&オンラインで事足りる「ビジネス」のために来日したいという物見遊山を目論む問い合わせも少なくない。世の中、早く平和になればとは思うが、隔離を要する国の方が入国後に大人しくしているとは思えない。そもそもまだ日本は大手を広げてウェルカムな雰囲気でもないので、「ビジネス」の一言で簡単に入国できるような状況だと受け入れ側としては不安が残る。コロナ禍のプラスの面としては、積極的にオンラインを使った働き方が進んだことで、よりグローバルに働く環境を持ち合わせたことにも等しい。すべての企業がうまくオンラインを取り入れているわけではないだろうが、まだしばらくは新しい働き方にて海外のお仕事も対応させて欲しいなあ、と切実に感じている。
なにかもやもやした気分の時は時代小説で心を落ち着けるのが一番!と最近読み進めているシリーズものの3冊目を読むことにした。
3冊目に入って、ぐっと「江戸」が増した。2巻目まで読んだ時、登場人物の心情のうつろいを中心に語るスタイルに今まで読んできた時代小説とは違う、外国の小説を読んでいるような気分になった。3冊目からは江戸の地名の他、江戸っ子らしさというのだろうか、義理人情が表に出てきている。心なしか親分の口調も江戸っ子風になっている。地名が出てくるとイメージが膨らみやすく、街の様子も生き生きとした印象を受ける。
このシリーズの中心人物は同心の木暮信次郎とその岡っ引きの伊佐治親分、そしてシリーズが始まった一番最初にお調べの対象となった遠野屋の主、清之介からなっている。信次郎の周りの人物はほぼ登場せず、奉行所内でのシーンは皆無だ。
伊佐治親分は梅屋という飯屋を営んでいる。妻と嫁が店を切り盛りし、板場は息子が一人で支えている。味の良さがウリの人気店だ。3冊目はいつもの遠野屋の他、親分の身内までもが事件に巻き込まれる。清之介の周りには相変わらず事件が多いが、2巻で引き取った養女のおこまが来てからというもの、遠野屋は少し明るくなったようだ。義母のおしのも元気が出て来た。信次郎の持つ影のある鋭さが遠野屋の面々と親分一家のおかげで緩和されているのがまた良い。
信次郎は今回も己の直感で事件を解決する。親分にはまだまだ先が見えずにいても、信次郎は大体のことを把握している。口も悪く、態度も悪い同心だが、親分はそんな研ぎ澄まされた信次郎の傍で働くことに喜びを感じているのだろう。
それにしても本書、出てくる言葉に品格があり知らない言葉が多くて別の意味で学びが多い。タイトルの「木練柿」は「こねりがき」と読み、木になったまま熟した柿のことを言うのだそうだ。この表紙の絵が表している通り。なんと美しい表現だろう。本シリーズは言葉が選び抜かれており、日常で頻繁に使う言葉ではなくとも、すっと頭に入ってくる。著者の語彙の多さには驚くばかりだが、それだけではなく一つ一つの描写の持つ重厚感が濃い。
こんな美しい日本語が書けるようになりたいと教本にしたくなる。特に心の機微を映す描写が秀逸で声に出して読みたくなるも、事件が絡んでいるので朗読する内容としては向いていないのが残念。ああ、早く4巻目が読みたい!