Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#486 「意識の流れ」の江戸版?~「夜叉桜」

『夜叉桜』あさのあつこ 著

遠野屋の周辺でまた事件が。

 

この間から読み始めた弥勒の月シリーズの2冊目。

 

2巻目も表紙のデザインがものすごく美しい。今回も同心の木暮信次郎は伊佐治親分と一緒に事件を解決しているのだが、2巻目にして今まで読んできた時代小説との違いに気が付いた。

 

まず、本小説は主人公である信次郎と伊佐治親分の心の動きが中心となっている。ある状況下において、事件についてあれこれ考えているとしよう。その場の状況を説明していたはずが、いつの間にか意識の方に話が飛ぶ。目の前の事件だけではなく、それぞれ個人の身に起きた過去の思い出、過去の反省点、こうであって欲しいという未来への望みなど、James Joyceユリシーズのように頭の中の考えが移ろっていく。よってぽんと話が飛ぶような気になるのだが、主人公は同じ部屋に座ったままで、現実に引き戻されてまた事件のことを考えるような感じだ。

 

そして内面を映すことがメインになると、町の様子があまり出てこない。例えば、信次郎の所属が北町なのか南町なのかも忘れてしまうくらいに全く具体的な職場のようすが出てこない。同僚の姿も見えないし、たまに上司がお小言を言うのに登場する程度だ。

 

伊佐治は調べのために町を歩く。他の小説ならばどの町をどの方向に歩いているのかがわかることが多い。神田から日本橋とか、八丁堀のどこにいるとか。思えば奉行所の話なのに八丁堀という地名もほぼ登場しない。よって、調査における臨場感というのだろうか、それが少ないように感じた。

 

とはいえ、1巻で登場した遠野屋も信次郎も非常に鋭く、心に闇を抱えているせいだろうか、脳裏に駆け巡る事柄が非常に深い。読み手は気が付いたらその深みにどんどんはまってしまっている。そこがこの小説の面白さだ。

 

2巻目は縁を切ったはずの故郷が遠野屋の前に近づいてくる。遠い江戸まで逃げて来たというのに、遠野屋を妻の父であった先代の言葉の通りに立派に運営しながら商人として生きているというのに、過去が目の前から消えてくれない。

 

タイトルの夜叉桜だが、夜叉に人の血肉を食するという意味があることを知った。恐ろしい鬼の顔というイメージだけだったが、そう考えるとストンと納得できる話になったかも。早いうちに続きも読みたい。