Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#122 自分の持ち物を育てて付喪神にしてみようではないか!

 『つくもがみ、遊ぼうよ』畠中恵 著

深川出雲屋には3人の子どもたちが集い、日々小さな不思議に動くものと元気に遊んでいる。

つくもがみ、遊ぼうよ (角川文庫)

つくもがみ、遊ぼうよ (角川文庫)

  • 作者:畠中 恵
  • 発売日: 2016/04/23
  • メディア: 文庫
 

 

畠中恵さんの「つくもがみシリーズ」の 2冊目。1冊目が面白かったのですぐに続けて2冊目を読んだ。あっという間に読み終えてしまい「ああもう少し読みたい!」と思わせる1冊目に続き、2冊目はクスリと笑える部分も多く、ますます「もう少し!」となる。

 

100年生きて妖となった付喪神達なので、人間の成長なんてあっという間に違いない。それぞれの章は付喪神の語りから入るのだが、このシリーズの時間軸自体も付喪神寄りなのだろう。2巻目、あっという間に出雲屋に子供ができていた。さらには1巻で登場したすおう屋と鶴屋にも子があり、3人仲良くいつもくっついて育っている。

 

付喪神達はもともとは「物」なので、本体が破壊されれば付喪神としての命が尽きてしまう。だから赤子がぞんざいに自分たちを扱うたびにひーひーと騒いできた。が、ある日もう我慢ならぬ!とついに人間と口を聞き出した。「われらを丁寧に扱え!」というわけである。もともと出雲屋の損料屋の貸しぐさという大切な商売道具であろうに!と怒りをぶつける付喪神達。すでに付喪神に馴染んでしまった子どもたちは「相わかった」と無理強いすることはなくなった。

 

付喪神が積極的に人間と話をするようになったので、2巻目はどんどんと出雲屋の世界が広がっていく。かつては好き勝手に外に出るようなこともなかったくせに、大胆になった付喪神達は人の行李に入って移動してみたり、他の人の前に出てみたりと大胆さに磨きをかけていくのだが、同時にそれぞれのキャラクターがぐんと引き出されてより興味をそそる。

 

2巻の主役はこの3人の子どもたちで、親となった清次とお紅は控えめな登場だ。しかもなんの説明もなく、2巻目に突然子供が出てきて主人公になっているという不思議さは付喪神目線であるから仕方のないことと思わせてしまう。

 

2巻目まで読み、日頃モットーとしている「一生モノ」「好きなものに囲まれて暮らす」などの思いが浮かび上がってきた。江戸という時代は華やかで今では伝統となっている文化が生まれた時代である。日本の手仕事の美しさはこの江戸時代に栄えたとも言えるし、これを民芸として見出してくれた偉人たちにも感謝したい。東洋の歴史を読むと、どうも文化に価値を置いたり作られたものを「美しい」と認識する審美眼にかけていたように思われる。チャイナといって愛された中国の陶磁器もしかり、日本の民芸もしかり、外から来た人に褒められて「え?これそんなに価値があるんだ」と初めて知ったというようなエピソードを東洋の各国が持っているように思う。

 

今やFastが台頭し、衣食住に速さが求められるようになった。とにかく早くて手間がかからないようなものが日常に溢れ、安価であることもあって手に届きやすい。深く考えることなく購入し、気に入らない場合にも「安かったからいいや」と手放してしまう。簡単に捨ててしまうことに罪悪感を感じることもない。もしくは転売して次の持ち主に使って頂こうというアイデアもある。こちらは少し気持ちが軽くなるような手放し方ではあるが、その前にもっと考えるべきではなかったか?と思わずにはいられない。

 

平成生まれの方々は物欲が薄く、車も腕時計も欲しく無いという人が多いという。それなりのメゾンのブランドもへのこだわちもなく、自分が良いと思うものを買う傾向にあるという。聞いたところでは成長期が日本経済の下降期であったため、親世代も慎ましい生活を営んでおり将来を案じて贅沢をしないとのことだ。本当かな?と当の本人たちの意見も聞いてみたいところだが、なんとなく頷ける部分もある。贅沢が許されたバブル期世代の親は高度成長期の団塊世代でこちらも急に生活が豊かになるという現象を経験している。バブル期は1991年までらしく、2000年に入って生まれた平成生まれさん達のご両親は、おそらくバブルの恩恵を受けていたとしても幼い頃のことだろうから、慎ましい生活というのは納得できる。

 

物が無い世代ではなく、物を吟味できる世代の今の20代さん達。素敵な民芸品や食器やお料理などを見ていて20代の方がずいぶん活躍されていることに気がついた。100均が当たり前に駅前にある時代に生まれている人たち。物の寿命や経年を楽しむことを知っている人たちが思った以上に存在しているのかもしれない。とすると、近いうち伝統工芸の世界が再び華やぐ日も来るのかも!と淡い期待を抱いてしまう。若者の価値観を悪く言う人もいるけれど、豪奢なレストランで食事することにステイタスを感じるようなおっさんより、自宅でさっと料理を作ってしまう若者のほうが私には好感が持てる。

 

100均を上手に使い暮らしに工夫を加えるのは大変よいこと。確かに細々したものを片付けるのにプラスチックの容器などは大変便利ではあるけれど、これを一生モノとして使えるかというと疑問が残る。同じ容器でも竹の籠や木製の入れ物ならば手入れをして長く使える。身の回りのものは厳選して買うようになった途端にお金の使い方が変わり、むしろ残るお金が増えた。思えば昔は瓶の回収っていうのがあったけれど、プラスチックのペットボトルが主流となった今、ゴミの問題が世の中のテーマとなっている。これもFastの影響だろうな。

 

今、自分が購入したものが大切に引き継がれ付喪神になってくれたらいいなと思う。付喪神になれるほどの品質となるとそうやすやすと購入できないだろうけれど、付喪神の言葉を読んでいくと物にも命があるのだと思わせられた。

 

軽い気持ちで楽しく読んだ後、ふと「物とは」と思わせられる。