Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#464 京都と言えば ~「美女と竹林」

『美女と竹林』森美登美彦 著

等価交換関係。

 

身の回りで不調を訴える人が増え、先週は会社が入居しているビルでも毎日感染者の報告があった。多い日には5人を超える感染者の情報が次々とメールで送られて来る。消毒作業があれば事務所は数日クローズになるらしく、ついに同じフロアで消毒作業があったらしいとの情報が流れて来た。より一層気を引き締めなくては!と思った途端、昨日の夜からうっすら喉が痛い…。頭痛は割と頻繁にあるけれど、喉が痛くて咳がでるというのはオミクロンの症状だというし、小心な私はちょっぴり心配。週末ちょっと寒かったしなあ。SNSを見ていると似たような症状の方が多くおられるようだけれど、この寒さの中で通勤通学せねばならず「リモートにならないんだよ!!!」な人たちは似たような状態にあるのかも。ああ、葛根湯飲んでおこう。

 

さて、週末あれこれ調べ、PCで作ったコンテンツをKindle本体に反映させるべく奮闘してみたのだが、なぜか上手くいかない。取り急ぎの対応策として、まず新しい本の購入をストップし、購入済みの本を読んでいくことにした。コンテンツ反映はまた時間に余裕のある時に試してみたい。

 

本書も深く深く眠っていた本の一つ。私の中で小説に笑いを求めたい時、必ずチェックするのが京都のお二人、森見さんと万城目さんだ。きっとそんなステレオタイプに当てはめられてご本人や周囲の方は思うところあるのかもしれないが、そのくらいお二人の初期作品の印象は強かった!JRのCMに出てくるような古都京都のイメージを面白い人の住む町というイメージに上書きされてしまった感すらある。

 

この間しっかり反省した「大阪の人はもれなくおもしろい」という固定概念には気を付けなくては、なんだけれど森見さんと万城目さんは別格。本当に面白いんだもの。


もちろん本書もやっぱり面白かった。タイトルがそもそも森見節だし。「美女と野獣」的な荒々しさじゃなく、それこを京都的な「竹林」が来るわけだから、読者もつい期待してしまうというものだ。

 

本書の主人公は登美彦氏で、登美彦氏は小説家としての今後を考え、多角化経営が必要と立ち上がった。小説を書いているだけではだめだ。社会人としてしっかり生計を支えるには何をすべきか。

 

登美彦氏、29歳。20代最後の年に今までの来し方を思い出す。気が付くと登美彦氏は「竹林」に支えられた人生を送っていることに気が付く。ただぼんやりと竹林が好きなだけだったのに、土壇場でなぜか「竹林が好き」と語るだけで事が進んでいく。例えば、休学中に進路に迷った時、進むべき研究室を決めるにあたっても竹林に助けられた。なぜか喜んで迎えてくれた文化人類学の教室で竹を研究し、大学院まで行ってしまうほどだ。

 

著者のファンであれば本書が実話のような感覚に陥るだろう。今や40代の著者だが、20代後半のお写真を拝見しても力仕事やDIYが得意でのこぎりがあれば竹なんてさっと切っちゃうよ!なタイプであるとの想像は難しい。そもそも肉体派が選びそうなネタを登美彦氏がトライする違和感を思えばフィクション色が強いというもの。ところが京都大学や、京都の町や、就職先の話や、編集者さんの登場など実話感が増していく。体験しました感があり、「これは実話。エッセイだな」と頭の中で分類しつつ読み続けた。きっと本当に登美彦氏はお友達の明石氏と共に桂の竹林でやぶ蚊に刺されつつ果敢に竹を切り倒していたに違いない!と読者はその姿を思い浮かべて読み続ける。

 

半ばに差し掛かりMBC(モリミ・バンブー・カンパニー)で竹林経営の具体的な話が出て来た当たりで「あれ、これフィクション?」と読者のスタンスにも迷いが出てくる。フィクション色が強くなるにつれ、「これはエッセイ?それとも小説?」と首を傾げる。そしてどんな風に終わるのかな?という疑問を抱えつつ後半を一息に読む。

 

私の感想としては本書は小説に区分したいと思った。著者の作品が好きな理由はストーリーの中に散りばめられている言葉遊びに惹かれ、夢現のような世界に揺られることが好きだからで、今回は構成でも揺らされてしまった。ああ、楽しかった!

 

なんとなく初期の作品を再読したくなりAmazon電子書籍版を買いそうになる。いけないいけない!まずはKindleの竹林状態を解消しなくては!