オーブリー・ビアズリーの生涯。
11月も最終週。この週末はサッカーの話題一色だった。今回はスポーツ以外の話題もあるようで、政治や思想を持ち込む国もあれば、純粋にゲームを楽しんでいる国もある。
そんな週末、ブラックフライデーの恩恵に与り、またいくつか書籍を購入した。この頃なかなか進んでいなかった勉強を再開したいと思っているので関連書籍をいくつか購入する。毎年年始や4月の年度初めに「よし、やるぞ!」と気合を入れるも続いたためしがない。それにはコロナでいろいろなプロジェクトが遅延になったことも影響しているのだが、本腰入れなくてはならない日が近づいてきているように思う。
さて、書籍をいくつか購入したのでKindle内も整理しなくてはと大急ぎで手持ちの本を読むことにした。こちらも随分前に購入したものだったので早速読んでみる。
ストーリーはロンドンにいる学芸員甲斐祐也がとある絵画についての問い合わせを受けるところから始まる。サヴォイホテルのティーサロンで待ち合わせた相手はロンドン大学文学部の研究員だった。送って来た手紙はこんな風に書き出されていた。
ユウヤ・カイさま
初めてメールを差し上げます。私はジェーン・マクノイア、ロンドン大大学院近代文学史のジョン・パーキンス研究所所属の研究員です。現在、十九世紀イギリス文学、主にオスカー・ワイルドの研究を手がけています。
本書はまず、ワイルドが書いたサロメが題材になってるのではない。その挿絵を描いたイラストレーターであるオーブリー・ビアズリーの生涯に焦点をあてた小説である。
そこで、だ。上の手紙の書き出し部に私は相当な違和感を持ってしまった。そして読み続けると確信的に「おっとこれは・・・」な表現が出てきてしまい、先を読むのを躊躇してしまった。
オスカー・ワイルドは、いわずと知れた十九世紀末のイギリスを代表する作家である。彼の登場は、イギリスの文学史上、最大のスキャンダルであった。
これは小説だし、いろいろな著者の思惑が込められているのかもしれないが、はっきり申し上げておかなくてはならないのは、オスカー・ワイルドはアイルランド人である。アイルランドの小説家であって、ロンドン大の研究員が彼を「イギリスを代表する作家」などと言ったら、あの結構リアルなダブリン市内にある銅像が「違う!」と動き出すのではないだろうかという程の大きなミスである。
ビアズリーもワイルドも多くの人が研究材料として取り上げているし、美術史や文学史でも必ず登場する人物なので、ワイルドがイギリス人として取り上げられていることがものすごくショックだった。もしワイルドがイギリス人であれば、なぜフランスか、なぜサロメか、信仰や交友など多くのことが不透明になる。そもそもワイルドも出自は決して悪くはないし、父親はSirの称号を使っている。ワイルドの育った環境や背景には一切触れられておらず、好色などうしようもない男としてのみ描かれたことが残念でならない。
本書の筋はビアズリーがサロメの挿絵を書き上げ、ワイルドへの思いを募らせたまま25歳という若さで亡くなってしまう、というものだ。ビアズリーには女優であった姉がおり、彼女がビアズリーの人生に裏で手を回すかのような書かれ方がしているのだが、今まで何度かビアズリーに関する書籍を読んだけれど、本書ほどアイルランド文学好き、ビアズリー好きを悲しくさせるストーリーはないような気がする。
読んでいけば「ああ、これは作り話だ」とわかるのだが、実在した人物の名が登場するだけに残念感が増すばかりで、その後「これ、伝記と勘違いするような人がいたらどうしよう!」と変に焦ってうろたえてしまったり。
アイルランド文学にはかなりの思い入れがあるので、小説の設定の中のフィクション部を強く「エラー」として感じてしまっただけなのかもしれないが、ビアズリーのライフワークに対する軽さ、彼が受けて来た影響などイギリスでよく語られるような美術史的な内容にも触れておられず、研究員二人が出てきてビアズリーの話を始めるも、この二人は最初と最後に数ページ登場するだけで全く役割がない。同じような表現がなんども出てくるし、著者はどうしてビアズリーを選んだのか。なぜタイトルがサロメなのか。ビアズリーの何に注目したのか。なぜこれを書いてしまったのか。謎が残った。
ワイルドがアイルランド人でありながらもOxfordに進んだ後はそれを隠すかのように生きたと考える説も確かにあるし、逆にアイルランドらしさを見出す研究も多くある。
しばらく悶々としそうなのでこのあたりで気分転換が必要かも。