Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#357 アガサの本には旅行先を選ぶヒントがありますね ~「死との約束」

『死との約束』アガサ・クリスティー

ポアロシリーズ第19弾。

 

雨のせいか読書が捗る。仕事のための書類をパソコンで読んでいるのだけれど、どうも目が疲れてしまう。その点Kindleは素晴らしくて何時間でも読んでいられるし、文字の大きさや画面の明るさを調整できるのでより快適な読書環境を生み出せる。

 

さて、ポアロシリーズもずいぶん読み進んできた。15冊を超えたあたりから長編がどんどん面白くなり始め、最初は没頭できるまでに時間が掛かったけれど今は読み始めたらすぐに繰り広げられているシーンを柱の陰から覗いているような気分になる。本書の基本情報はこちら。

 

Title: Appointment with Death

Publication date: May 1938

Translator:  高橋豊

 

今回の舞台はまたもや英国国内ではなく中東で、今回はイスラエルエルサレムからスタートする。私は平均的な日本人的宗教感覚を持っていると自負している。八百万の神様を信じ、自然の恵みや畏怖を信じ、敬虔な気持ちで神社をお参りし、仏教の教えに耳を傾ける。高校時代はプロテスタントの教えをモットーとする所で、宗教の時間に聖書の勉強もした。ヨーロッパでは教会にも訪れるし、さらに言えばジャンルに関わらず宗教建築を訪れるのが大好きなので、旅に出れば必ずお参りに行く。雑多でOKなのが日本人の特徴で、他の宗教を信じる人々にしてみれば「なんだこのゆるっゆるな人たちは!?」と驚くのではないだろうか。平和でいいじゃんと思うのだけれど、実際諸外国の人は日本人の宗教観をどう見ているのだろう。アガサたちヨーロッパの人々にとっては信仰として多くの人がキリスト教とともに暮らし、旧約または新訳それぞれの違いはあれども共通した文化背景を持っているように思う。

 

聖書を紐解くと舞台は中東から始まる。キリスト教の聖地は今はイスラエルという国が統治しており、ご存じの通りイギリスとユダヤ教徒の間でのあれこれの結果、私たちが今見る世界となっている。イスラエルにはキリスト教ユダヤ教イスラム教の聖地が共存しており、考古学者や歴史学者、そしてもちろん宗教学者であれば必ずや訪れたい所だろう。アガサの夫は考古学者で、この作品が書かれた1930年代は現地調査に赴いていたことから、この頃の作品には中東が多く登場する。

 

さて、エルサレムが舞台のこの作品、登場人物はほぼ旅行者だ。まずアメリカからはボイントン一家とそのご友人、イギリスからは3人の女性でそれぞれ現地で顔見知りとなり、職業は議員、元保母、医学士と多彩。フランスからは心理学者のジェラール先生がエルサレムの同じホテルに滞在しており、それぞれが聖地の旅を楽しんでいた。そしてみな、キリスト教文化圏の人たちだ。

 

前半部はボイントン一家を中心に代わる代わる登場人物が背景を埋めていく。語り手は第三者でシーンは頻繁に動きがある。このボイントン一家が今回のキーと言っても過言ではなく、読み手の心をかき乱すのでぐいぐいと物語に引き込まれてしまった。ボイントン一家の構成は母親と4人の子供と長男の嫁で、この母親が不気味以上の何物でもない。恐慌管理で家族を家に縛り付けている。今でいう毒親そのもので、ここはやっぱりアガサの文才なのだけれど、気味の悪さが完璧。ちなみにボイントン家の父親はすでに他界しており、上から3人目までは前妻の子で末っ子だけがボイントン夫人の実の娘である。

 

ボイントン家の子供たちが毒母からひどい仕打ちを受けていることに心を痛める人が多く、これが問題の発端であり、決め手となる。事件はエルサレムから遠く離れたペトラという街で発生し、その町は今地図で見てみるとヨルダンにあるらしいことがわかった。小説の中で赤い岩の街とあり、ずっと気になったのでさっそくヨルダン旅行情報のサイト調べてみると、小説の通り赤い赤い岩に囲まれた美しい遺跡があった。

 

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きれいだなあ。これはいつか実際に見てみたい光景!小説の中の旅行者たちはここでテントを張って数日過ごしていたらしい。なんとも幻想的、なんとも雄大!しかし、事件は起こってしまい、旧友へ書簡を届けに行く予定でイスラエルに滞在していたポアロが協力することに。事件自体はこの美しいペトラで起きるのだが、調査はアンマンに滞在していたカーバリー大佐のもとで行われている。

 

読み進めながら見え隠れするのが、キリスト教を信じるであろう人々が、その聖地で悪や罪に苛まれるというシニカルさと、苦しみもがき虐げられ続けた日々との戦いや心の葛藤と救いを求める気持ちが入り乱れているところにある。そして今までの小説と異なる点は「悪」の種類にスパイスが加わっていることだろう。シェークスピアハムレットのシーンが引用されている所があるのだけれど、ハッと息を飲むような臨場感を与えているところも素晴らしかった。

 

しかもそれがヨーロッパやアメリカのような整然とした街並みではなく、血のように赤い、原始を思わせるペトラの街であったからこそこの事件は発生し、不思議な様相を秘めつつも解決に向かうという様がすごい。そして終わり方にもその影響が表れていて、最後までキリスト教文化的な流れがそこにあるように感じた。舞台が中東だからこそ人のオリジンを見せつけられたような気もする。

 

今回のポアロも短時間で事件をさくっと片付けた。24時間の猶予だったことから、すぐに人々にインタビューをし、そこから鋭利に関連性を見つけている。ヘイスティングズの登場もなく、通してずっと微妙な威圧感と緊張感が漂った作品だった。

 

今回の翻訳は順に読んでいるクリスティ文庫では初登場の高橋豊さんのもので、大変読みやすく、テンポよく終わりまで読むことができた。1924年生まれ、東京大学教育学部卒。Wikipediaによると、1949年に鱒書房に入社し、『夫婦生活』の編集に当たったが、セックス特集で無関係の人々の写真を掲載する問題を起こして解雇された。とあるんだけれど、いったい...

 

評価:☆☆☆☆

おもしろさ:☆☆☆☆

読みやすさ:☆☆☆☆