#233 長崎弁の響きが心にしみる作品でした
『先生のお庭番』朝井まかて 著
ドイツ人でありながらオランダ医として出島に勤めていたシーボルト先生とお庭番のお話。
桜が咲いたとか咲きそうだというニュースを見た。3月も下旬となればそろそろ春の気配が色濃くなるとは思うのだが、手足が冷えてなかなか春めいた感がない。きっと家にこもってばかりで動いていないからなんだろうなと思う。
いつか庭を整えたいと思っている。植えたいと思う植物は多く、どう庭を整えようかと考えるだけでワクワクしてくる。とはいえ、やはり技術がいることなのでガーデニング関係の本をいくつか購入し、花の植え方や育て方を学んでいるところ。
よって庭がテーマの小説なんかを見つける度にチェックしている。この小説もたまたまセールの時に発見してすぐに購入した。
主人公はかの有名なシーボルト先生の薬草用の庭を育てていた熊吉青年だ。熊吉は「コマキ」と呼ばれていた。外国人には熊吉がコマキと聞こえたようだ。熊吉の母親はすでに他界しており、常々「お前の父親はオランダ語の通詞だ」と言っていたが熊吉は信じていなかったようだ。しかし、オランダとの縁はどこかで感じていたのだろう。
熊吉は幼いうちに植木屋で働いていた。下っ端だったので扱い方も悪い。そんなある日オランダ通詞の家の前で1冊の帳面を見つけ、つい家に持ち帰ってしまった。そこには蘭語の和訳などが記されており、熊吉はひとつひとつ覚え始める。
ある日、勤めていた植木屋に特別なオーダーが入った。出島にあるオランダ医の家の薬草園の管理という話だった。みな、恐ろしがって行きたがらずで主人一家にいじめられていた熊吉が出島へ向かうことになる。その家がシーボルト先生の家だった。
シーボルト先生は長崎弁を話すことができた。「おるそん」という下働きの人間も長崎弁ができた。そして熊吉は植物を通してシーボルト先生と心を通わせていく。
歴史に沿った話となるので、シーボルト先生が国外追放になったことは教科書にも書かれていること。(そういえば「大奥」にもあった)
熊吉はコマキとして先生に使えていた。日本の美しい植物をヨーロッパに届けることに専念し、先生の望みを叶えるべく庭に美しい花々を取りそろえ、薬草をしっかりと育て上げた。
シーボルトには妻がいた。名をお滝という。二人には一人娘がいたが、シーボルトは帰国せざるを得なかった。妻子を共に連れていくことを志願したがそれも叶わなかった。帰国したシーボルトは日本で見た植物の標本を整理し、一つ一つに名を付けた。そして愛していたあじさいの学名にOtakusaと名付けている。オタクサは妻の名である。おたきさんがオタクサとなったのだろう。
長崎の言葉やコマキのまっすぐな心に打たれながらあっという間に読み終えた。長崎に行きたくなる小説。