Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#039 日本語を堪能できる人でいたいから私は本を読み続けたい

 世界の<普遍語>が英語となりつつある今、私達の日本語はどうなるのだろうか。巻末には米国版に収録された内容が増補されている。

ゆっくりと時間をかけて読んだ。この本をいつどこで買ったのかも思い出せないくらい前、丸善で購入したことだけはわかっている。(ブックカバーをつけてもらっていてよかった)2015年4月発行の1版だからここ5年以内に購入したのだろうとは思う。

 

幼い頃から海外に暮らし現地語を日本語と同レベルで扱える人がいる。語学に興味のあった私は、その境遇をなんと羨ましいことだろうと思っていた。帰国子女が羨ましかった。外国語の中に身を置き、スポンジが水を吸い込むが如く言葉や文化背景をぐんぐん身につけられるなんて最高すぎる。好きではあったけれど私の英語はなかなか身につかず、毎年何かのきっかけの度に「ああ、英語ができたら」と相も変わらずに悩んでいるのだ。それに比べて帰国子女は環境の力で語学を身につける。

 

バイリンガルの作家の本をいくつか読み続けていた頃、「私小説―from left to right (ちくま文庫)」と「本格小説(上)(下) (新潮文庫)」を読んだ。著者は親の仕事の都合で12歳でアメリカに渡り、大学までの教育をアメリカで受けている。しかも専攻はフランス語だったというから驚きだ。著者がアメリカに渡ったのは1960年代であろう。その頃のアメリカといえば、すでにハリウッドは大盛況でスヌーピーやディズニーやトム&ジェリーが流れていたのだろう。オードリー・ヘップバーン主演の「マイ・フェア・レディ」の政策が1964年とのこと。華やかなアメリカがそこにはあったと想像できる。だが著者はアメリカで日本文学を読んできたらしい。そしていくつかの小説を書き、日本語についての本を書かれた。

 

文庫版のあとがきにこうある。

 

最初に一言、『日本語が亡びるとき』という題にかんしてである。これは本文が始まる前、序言で引用した、『三四郎』の広田先生の台詞から取ったものである−「かの男はすましたもので、(日本は)「亡びるね」と云った」。こんなことを登場人物に言わせる漱石が面白く、それで「亡びる」という表現をそのまま使った。この題で人を驚かせようというような意図はなかった。

 

漱石の『三四郎』は作品の中で何度も引用されこの本を理解するに読んでおくべきと思い、私も青空文庫の作品を読み、その後も青空文庫で発刊されている名作をいくつか読み進めた。

 

漱石の時代の大学は「翻訳」のエキスパートを育てる機関であったとある。その前の世代の福沢諭吉は元は蘭学学者だった。横浜に西洋人が住み始めたと聞いた諭吉は自身のオランダ語を試す目的で徒歩で東京から横浜へ向かった。苦労して着いた横浜で、なんと諭吉のオランダ語は全く通じなかった!通じなかったどころか、そこに書かれているものすら理解できなかった。なぜか。それはオランダ語ではなかったからだ。英語もしくはフランス語だと諭吉は想像する。そして世界では英語が普通に使われているということを知っていた。そこで諭吉は英語を学び始めるのである。

 

しかもあの頃の学生はよく勉強ができた。三四郎の中でも登場人物はヨーロッパ言語をそのまま原語で読んでいた。洋行に出たものが語学を教え、それを日本語に置き換える時期だったから、学生はまずは西洋の知識を得、それを日本語にするための施設であったと考えられる。西周は海外の概念を日本語に置き換えた。その時に作られた言葉を私達は今も使っているし、もっと言えば中国や韓国にも輸出されている。

 

中韓で思い出したが、日中韓はかつてはみな漢字文化を持っていた。今では韓国は漢字を排斥しハングルのみで表記される。表記法についてこの本の中では書かれていないのだが、日中とハングルには大きな違いがある。ハングルは英語のようにスペースを多様する。例えば、「マイ・フェア・レディ」の台詞にこんなのがある。

 

The rain in Spain stays mainly in the plain. 

 

これを日本語で訳すなら、

 

スペインの雨は主に平原に降る。

 

となる。これを中韓ではどういうのか。

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翻訳サイトを使ったので正しくない可能性もあるが、中国語は日本語同様スペースを要さない。ところが韓国語は英語のようにスペースが発生している。韓国語はイメージとしては、日本語をすべてカタカナで書き記すようなイメージなのだろう。同音異義語は文脈から判断するしかないだろうから読解に時間がかかるだろう。このスペースの有無、これも書き言葉としての伝達内容に違いを与えているように思える。「スペインノ アメハ オモニ ヘイゲンニ フル。」慣れれば情景が心に浮かぶのかもしれないが、「近代日本文学」が「キンダイ ニッポン ブンガク」のようにスペースを開けて一つ一つを分離して表現するならば3つの名詞のそれぞれの主張が弱まるような強まるような、表現が限定されてしまうような印象がある。名詞が4つ続いたら?5つ続いたら?まあ、これも慣れの問題かもしれない。

 

日本語もかつて漢字を排斥しようとしていた時期があったらしい。かなり詳しくその頃の流れについて説明している項目があり、著者同様私も漢字とひらがなとカタカナを使う今であって本当に良かったと安堵するものの一人である。日本は幸い識字率が高かったので、漢字が言語習得を悪化させているという証拠に至らなかったということが当時の調査で証明されていたらしい。言葉を「見る」「読む」ことに芸術を見出すことに長けていた昔の人達のおかげである。

 

ゆとり教育の中でも最も「ゆとり」を尊重した教育は2002年から2010年初期まで実施されていた。日本の学力の低下に結びつくという反対意見もあったと思う。その頃に書かれた作品であるがゆえに、今後数十年後には「三四郎」の原文を読める日本人がいなくなるかもしれないと著者が憂いる場面がある。世界に名だたる日本文学を日本人が読めなくなるとは、つまり日本語が亡ぶということ。なんと悲しい。

 

確かにインターネットが便利すぎてどんどん漢字を忘れてしまうし、小説も音読してくれるどころか解説の動画があったりする。読む力が弱まるということは、使われる言葉もどんどん弱体化するのではないだろうか。流行語がいけないというわけではないけれど、SNSなどで了解を「りょ」や「り」と大幅に略して表記するようなことがもっともっと進んでいけば、確かに漱石の文体を理解できない世代が出てきてもおかしくはない。

 

著者は最後にこう書いている。

 

この先、<叡智を求める人>で英語に吸収されてしまう人が増えていくのはどうにも止めることはできない。大きな歴史の流れを変えるのは、フランスの例を見てもわかるように、国を挙げてもできることはない。だが、日本語を読む度に、そのような人の魂が引き裂かれ、日本語に戻っていきたいという思いにかられる日本語であり続けること、かれらがついにこらえきれずに現に日本語へと戻っていく日本語であり続けること、さらには日本語を<母語>としない人でも読み書きしたくなる日本語であり続けること、つまり、英語の世紀の中で、日本語を読み書きすることの意味を根源から問い、その問いを問いつつも、日本語で読み書きすることの意味のそのままの証しとなるような日本語で有り具付けることー そのような日本語であり続ける運命を、今ならまた選び直すことができる。

 

海外で暮らすと日本語の響きや字体の美しさに打たれることがある。俳句や短歌がどんなに心を揺さぶるものか、外に出て初めてわかった。「ふるさと」の歌詞にある郷愁や、「上を向いて歩こう」や「さくら」に見る勇気。掛け軸の書に見る芸術。私達が守るべきものは、まず日本語から受ける我が文化。そしてそれを愛でる心。だから私はこれからも有り難く青空文庫を読んでいきたいと思う。そんな日本人を一人でも増やすために。