Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#191 リモートワークになったのに読書なんてする時間なんて全然取れない!(怒)

 『髪結い伊三次捕物余話 10』宇江佐真理 著

10巻目の『心に吹く風』。茜が奉公に出ることに。

心に吹く風 髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

心に吹く風 髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

 

 在宅勤務再開となり大人しく家で作業する予定だったのだが、どうしても自宅でできない作業のため週に1~2日は出勤することとなった。おそらく多くの企業が国の指標通りに70%を在宅勤務に切り替えていると思うが、緊急事態宣言前と電車の混雑も街中の人の数もそれほど大差ないような気がする。

 

とはいえ、私の周りでは確実に感染情報が増えてきている。ほぼ仕事絡みだけれど「感染者出ちゃいましたよー」な感じで友達の友達の友達の知り合いくらいの距離感と目の前まで迫ってきたような緊張感はなく、それでも予防には気を付けなくてはと思っていたところへオフィスビルの中で感染者情報が頻発し始めた。一気に距離を詰められ、より一層気を付けなくてはというところだ。

 

在宅勤務になると移動時間分の時間が浮く。その分を自分の時間としようと思っていたのだが、そう上手くいかないのが現実だ。まずデュアル画面からノートパソコンの小さな画面での作業となっただけで効率がぐんと落ちた。まあ私の作業のやり方が悪いというのもある。しかしそもそも自宅のパソコンは仕事することを念頭に置いて購入したわけではないので、もし私のパソコンが思いを伝える機能を持つならば、きっと「労働過多だ!」と叫んでいるに違いない。自宅の労働環境を整えるために会社が支援してくれるような親切な企業に勤めているわけではないのが悲しいところ。個人で環境作りするしかないわけなのだが、すでに去年の在宅勤務の間にパソコン1台ダメにしているのでここでもう一台購入すべきか非常に迷っているところ。パソコン1台が「投資」なのか「散財」なのか「浪費」なのか判断しにくいところだ。

 

そしてパソコンだけではなくSNSも大問題。以前以上にSNSでのやり取りが増え、時間外に対応せざるを得ないことが増えている。しかも上の役職からの指示だったりするとその都度対応しなくてはならないので、すっかり寝る支度の整った時間にパソコンを開く日々。在宅勤務のせいで仕事が増えた気がしているのは私だけではないはずだ。SNSでの業務指示、履歴として残せないのも気に入らない。メールならやり取りを残せるし、そもそも社用メールはオフィシャルなものだ。一方SNSは業務ツールではないし、履歴も残せない。都度スクショなんて面倒なことやってられない。「急ぎ」と称してSNSで連絡を取ってくる場合、大抵は前後関係をしっかり把握できている担当範疇内の事柄だったけれど、在宅勤務になってからは突発的な作業までやってくる。訳がわからず問い合わせしようにも他のメンバーとの共有にも悩ましい部分が残ったりと仕事と個人の境界線が曖昧になる点も非常に気に入らない。こんなイライラを抱えている人、きっとたくさんいるはずだと信じているのだが良識のある立派な企業にお勤めの方には「信じられない!」なことなんだろうなとも思う。いえ、本当なんです。こんなどうしようもない企業があるんですよーと声を大にして言っておこう。

 

まあ、そんな在宅勤務ではあるけれど、ランチに好きなものを作って温かいうちに食べられるという利点もあるし、むしろ「食べる」ということを考えるならば、在宅勤務続いてくれ!とすら思うほどだ。あとは気に入った飲み物を好きなタイミングで飲みながら作業できるのも嬉しい。コンビニのコーヒーも今はずいぶん美味しくなったけれど、自宅でゆったり挽いた豆で淹れるコーヒーはやっぱり美味しいと思う。ミルクティーも同様で鍋を出してきて好みの甘味、好みのハーブを入れて作るだけで贅沢した気分になれる。

 

まあ、プラスマイナス、メリットデメリットのある在宅勤務ではあるが、早く世界が落ち着くことを願わずにはいられないというのが共通の思いではないだろうか。コロナ禍によるストレスまで加わり不安がふくらむ日々ではあるが、そんな時こそ読書だと思う。できれば現実逃避できるような読書ならなお良い。映画やドラマも良いとは思うけれど、視覚から入る情報が多い映像よりも読書のほうが想像力がより働くので没頭感があるし、読了後の余韻に浸る感覚も長いのでエンドロールを見終わった途端に日常が現れるということはない。少しずつ少しずつ日常に馴染むような時間が好きだ。

 

ということで、やっぱり時代小説を読むことにした。時代小説は最大のファンタジーだと思う。歴史小説であったとしても、その当時を実際に目にすることはできないわけで、ルポタージュにもフィクションにもなりえない。ノンフィクションに想像の世界が加わり、悪を倒したりとハッピーエンド的な流れにファンタジー感を感じてしまう。十手も魔法も変わらない役割だ。

 

今まで9冊このシリーズを読んできた。10巻目は伊三次が小者として働く不破家の息子の龍之進の嫁きいと伊三次の息子の伊与太にスポットが当てられている。龍之進は30目前でようやく嫁を貰った。きいは町人から武家に養子に出された姉弟で、もとは「たけ」という名前だった。「きい」は不破家に嫁ぐことが決まり、不破から新たに与えられた名前だ。養子に出された先は跡継ぎがいない同心の家で、きいの弟は跡継ぎとなるべく北町奉行所で見習いをしている。ところが姉のきいは銭のない同心一家には負担であった。食い扶持だけではなく武家として嫁に出すとなると銭がかかる。ついに貧乏長屋に返されてしまうのだが、龍之進はきいに何か感じるところがあったのだろう。すぐに嫁にと不破家に連れ帰った。

 

恋愛結婚が普通と言えるのは今だからのことであろう。いや、世界のどこかに行けば今でも家のため、親のために婚姻が成立することもあるに違いない。江戸はまさに家の発展のための縁組が多かったようだ。もちろん恋愛感情が伴うものもあっただろうが、それには家の格が見合うような条件があったと思われる。武家と町人というパターンには金銭的なイメージも付きまとう。貧しい武家に町人が持ち込む金銭は大事な収入源でもあったはずだ。しかし、龍之進の嫁となった娘は親もなく親戚の間をたらいまわしにされた貧乏長屋育ち、財産なしの娘だった。器量よしというよりは愛嬌のあるタイプで、賢いというよりは体力自慢。天真爛漫なところが龍之進にはちょうど良いのだろうけれど、まあ異例中の異例なケースだろう。ところがストーリーとしては嫁のきいが登場してから急にテンポがよく面白い流れになってきた。予想できないからこその面白さが加わり、もう少し読みたい気分にさせられる。

 

とはいえ、やっぱり主人公の伊三次に活躍してもらいたいというのが10冊まで読んできた読者の気持ちだったりもする。この巻では伊三次の息子の伊与太が唐突に学んでいたお絵師の師匠のところから戻り、不破家の中間にまでなってしまった。戻った理由が喧嘩というなんとも伊与太らしくない行動に「おや?」とまたまた話に吸い込まれる。しかも伊三次のようにお調べにも同行したりと初期のころを思い出させるような楽しさがあった。しかも幼馴染の不破家の茜が奉公に出ると言い出す。

 

10巻目まで読んで残りはまたしばらくたってから購入しようと思っていたのにこれは続きを読まねば!という気持ちになる。巻末の著者のあとがきについに癌の記載が。読みとどけなければという思いがさらに強まった。