Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#160 本の表紙デザインは読了後のほうが心に染みる件

 『髪結い伊三次捕物余話 3 さんだらぼっち』宇江佐 真理著

火事で深川を出た文吉は伊三次の長屋へ。

さんだらぼっち (文春文庫)

さんだらぼっち (文春文庫)

 

 

普段Kindleで読書していると表紙のデザインなどに無頓着になってしまう。ここに記録を残すたびに「ああ、こんなデザインだったのか」と思うのだが、今回の表紙は読了後に改めてみると胸に迫るものがある。

 

2冊目で伊三次は同心の不破が伊三次に疑いがかけられたというのに手を差し伸べなかった。文吉ことお文は旦那の息子の援助を受け、二人はしばらく距離を置く。だから文吉が何か走り出す様なデザインなのだろうか。

 


3冊目では仲たがいが解消されるも、伊三次には別の苦しみが襲い掛かる。深川で辰巳芸者として暮らすお文の家が焼けてしまう。おそらくお文に恨みをもつ者による火付けであろう。家を失ったお文は伊三次の住む長屋へ越すこととなった。

 

逆にこの火事により二人には暮らしを固めるきっかけとなるわけだが、芸者が長屋で家事などできないであろうと言う周囲の声に反ししっかりと留守を守った。3冊目にはその様子が書かれているわけだが、4巻目はその長屋での生活の様子がより深く書かれている。

 


4冊目のキーワードは「子ども」だった。生まれる命と召される命。小さな命の尊さに心動かされるエピソードがいくつも並ぶ。タイトルの「さんだらぼっち」は桟俵法師(さんだわらぼうし)と書く。さんだらぼっちは米俵の両端に当てる藁の蓋のことで、先の桟俵法師が訛ったものだという。江戸時代、疱瘡や麻疹が流行するとさんだらぼっちとお供え物に祈祷するという習慣があったらしい。

 

江戸時代は大人が子供を守っていた。社会全体で子供を育てていた。そこには特別なものはなく、そういう風習だったのだろうと思う。江戸時代からたった数百年で日本はずいぶんと変わってしまって、他人の子供には下手に声をかけてはいけないような社会である。時代小説には義理人情が詰め込まれているせいか心振るえる瞬間が多々ある。

 

ところで、この本を読んでいる時にKindleの充電をしたのだが、今までどんなに乱暴に扱っても壊れたことがなかったので油断していた。ついうっかり画面の上に充電器を落としてしまい、小さな小さな傷ができた。よく見てみると針で刺したかのような穴があいている。ああ、これはダメだ。ついに3つ目となるKindleを購入した。Paperwhiteの32GBで広告のない物にしたのだが、以前のものとは少し外見も画面の感じも異なるのでこれから慣れていかなくてはと思う。