Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#192 「エレガンス」とは凛と咲く百合の花みたいな感じかな?と思うのです

 『どんな日もエレガンス』ドメストル美紀 著

フランスの元貴族に嫁がれた著者が見るエレガンスのある生活。

どんな日もエレガンス

どんな日もエレガンス

 

 

在宅勤務を利用して自分に投資する方が多いらしい。スキルアップのための勉強をしたり、今までやりたいと思ってきたことにチャレンジしたり。それ以外に外見への投資も多いと聞いた。例えば皮膚科の治療、歯の治療など治療中に化粧できないなどいつものオシャレ生活ができないものを在宅勤務の間にやってしまえ!と言うものだ。なるほど、その手があったか!と感心した。

 

確かに在宅勤務は特殊な状況を生んでいる。家に居る時間が増えるだけなのだが、何かチャンスを与えられた気持ちになる。私も語学や料理や映画鑑賞など「時間さえあれば!」と手を付けられずにいたものがあるのだが、土日家に居る事が増えたので早速あれこれやってみている。特にNetflixが偉大すぎて面白そうなものをマイリストに登録しては一つ一つ楽しんでいる。

 

多くの人が大好きな映画として挙げる作品にフランスの「アメリ」がある。

 

 

好きすぎて本当に何度見たかわからないほどのお気に入り作品の一つなのだが、この作品がキッカケでイギリス一辺倒だった私の興味範囲がフランスへも飛んだ。とくに美に関わることはフランスの真似事をし、メイク、ファッション、インテリアはもちろんのこと、音楽や絵画もフランスのものを好むようになった。ちなみに今Amazon Musicでこれを聴いている。

 



 憧れのフランスではあるが、実際に住んでいる人のお話を聞くと「そんなに良い面だけではないのだよ」と諭されること多々で、敷居の高さを覚悟の上でフランス入りせねばならんな、と心の準備だけは万全である。でもあの美しいパリの街並みを思うとそんなマイナスの面があることをすっかり忘れてしまうほどの魅力がある。『アメリ』を見た後ではなおさらのこと、パリに行きたくてたまらくなる。「映画の世界と現実は違うのだ!」と友は言う。実は私も一度痛い目にあっており、CDG空港でパソコンを盗まれた。カバンに入れていたのだが、いつ掏られたのか全く気付かず「お見事!」としか言いようがなかった。そんな時ですら「パリすげー」と浮かれていたので、あの街には抗えない何かがあるに違いない。

 

アメリ』のあと、片っ端からフランス映画を見た。やっぱり映像で見るフランスは美しく、ますますドラマ三昧に陥る週末である。

 

一度フランスに魅了されると、あれもこれもと吸収したくなる。フランスの美容関係の記事や書籍を片っ端から読み返したり、ドラマを見ながら「フランスの人はこうなのか」とその生きるための哲学的なものに触れて感動したり。やっぱり何か読みたくなり、前作が面白かったドメストル美紀さんの本を購入した。前の本も内容はしっかりしているのに、マダム口調で書かれているせいかちょっと軽い感じで読みやすい。

 


 「エレガンス」は女性なら誰でも憧れるというか、目標にする瞬間があるのではないだろうか。が、日本はその前に「かわいい」というカテゴリーが存在する。モテ要素の一つとして「かわいい」をアピールしておけば男性が寄ってくるはずという戦略なのだろうが、この概念が通用するのは日本やお隣の国くらいではないだろうか。なぜなら、少なくともヨーロッパでのモテる条件は内面から沸き立つような個性であり、個性を磨くにはそれなりの自分の考えがなくてはならないからだ。日本の「かわいい」に中身は求められず、むしろ主張のなさが魅力で、男性を否定することなくひたすら弱く「俺がいないとダメなんだ!」と思わせるようなふにゃりとした女でなくてはならないように見せることが大切で、「エレガンス」や「セクシー」はむしろ遠ざける戦略になってしまう感すらある。ちょっと言いすぎかもしれないが、実際にこんな風に言われたことがあったのだ。

 

この「かわいい」戦略が許されるであろう年齢の時、私はすでに日本の外に生活の基盤を置いていた。そしてもちろん日本の「かわいい」戦略は海外では全く通用せず、早く大人の女にならねばと感じていた。ちゃんと自分の言葉で話ができ、自分のスタイルというものがある女性にならねば。海外でKawaiiが許されるのはキティーちゃんやアニメくらいなもので、生身の女が「かわいい」戦略を取ると子供扱いされる。しかも精神年齢がガキなわけだから、仕事の相手や人生のパートナーを求めている人の前にガキが登場したところでなんのアピールにもならない。「女性」を求めている人に、年齢は大人だけれど服装や態度や精神年齢が「女の子」であっては相手にされないわけである。まあ、たまに奇特な趣味の人も出現してはいたが、やっぱりそういう人は特殊であって、日本で見かけてもきっと一緒にお茶することはないタイプだった。

 

まあ、日本から一歩も外にでることはありませんという人には「かわいい」戦略をおススメするが、ある程度の年齢となり恋愛云々より女性としての生き方を考えるには次の段階に進まなくてはならないと思う。最近はいろいろな所でアンチエイジングがもてはやされ、歳を取ることを「劣化」などという風潮がある。人間だれもが歳を取るし、それぞれの世代にあった生き方があってしかるべきだと思う。還暦でも生き生きと謳歌するには「エレガンス」を身に着ける必要があるのではないだろうか。真っすぐな背筋に「今」を楽しむ姿をこの本から学ぶことができた。「エレガンス」は見た目だけのことではなく、生き方にも通じる。加齢に抗うことはできたとしても、若作りが行き過ぎるとどこかイタい人に見えないだろうか。

 

そういう意味ではフランスの女性は楽しみ方がうまい。著者は元伯爵家に嫁がれ、フランス貴族のライフスタイルに苦戦しながらも「ああ、こんな意味があったのか!」と一つ一つ紐解いている。今回2冊目であったせいか、以前より深く理解できたように思う。

 

フランスの貴族階級に生きる女性たちは緩めるところと張るところのメリハリがうまい。日本は自己犠牲を尊ぶような面があるが、フランスでは自分も大切なわけだからすべて背負うこともない。例えば、自分を甘やかすと言えば日本ならばボーナスの時に「自分へのご褒美」と称して何か物を買ったりと年にたった数回のイベントだけれど、フランス女性は一日の中のどこかで自分のための時間を取り自分のために時間を使っているとのことだ。著者の義母で言えば、体のケアをする時間や趣味を楽しむ時間など、自分の時間をしっかり確保することで心の平静を保っている。

 

一方今や機能性を追求することで時短をアピールする製品がたくさんあるが、容易に手は出さないようだ。書籍の中では形状維持のシャツの話があったが、アイロンの必要のない服よりも、アイロンの手間はかかるけど肌触りの良いエジプト綿のシャツを好む。これはtime is moneyを凌駕する価値観があるからであり、着心地や品質や手触りや色合いなどなど、彼らは利便性とは別のところに価値を置いている。ただ、天秤にかけてどちらが良いかは個人の考え方の違いだと思う。前作だったと思うが、著者の義母は決してジップロックを使わないという話があった。なぜなら、美しくないから。ちゃんと陶器の入れ物に食材を移してマリネする。料理に関して言えば、確かに作る過程が美しいのも大切だけれど、私は効率を優先したいと思う。

 

この1冊を読み、なぜかハリー王子とその嫁のことを思っていた。なぜ彼らがアメリカに渡ったのか。日本も伝統を守る生活を営んでおられる方々がいらっしゃる。しかも「守らなくちゃ!」というのではなく「それが私たちの生活です」というスタンスだ。築100年を超えるお宅で昔の生活を維持し、季節の行事も怠ることなく過ごしていらっしゃる。そして私たちにも皇室が身近に存在しておられるため、「高貴である」ことがどういったものか想像できる。ハリー王子は伝統の中に暮らしてきた人だけれど、嫁は全くそれがないところから来た人で、合理性や効率を重要視する国の人なわけだから、思想や文化の基盤が違うためにすれ違うこともあっただろう。貴族=偉いの構図ばかりを考えていたならば尚更のこと。彼女が著者のように文化を探り取り入れようという考えがあれば良かったのに。そして兄嫁のエレガンスにも圧倒されただろうなと想像する。キャサリン妃の美しさにはいつも感嘆する。立ち振る舞いの端々にエレガンスを感じる。座り方、立ち方、どこを切り取っても美しい。一方でハリー王子の嫁は行き過ぎたラフさ丸出しで「自分はロイヤル」と仰るわけだが、40を目前にしてのカジュアルすぎる姿を見ていると、私はやはり凛とした「エレガンス」を身に着けたいと思えてくる。

 

この本は貴族の暮らしという内容になっているが、必ずしも貴族だけのお話ではないようにも思える。フランスのみならず、ヨーロッパの各地で通用する部分も多い。そして今すでに貴族階級が撤廃されているフランスでは、一般の人にも浸透しているライフスタイルの一部となっている面もあるだろう。

 

おばあさんになってもおしゃれを楽しみ、人生を謳歌したいからこそ「エレガンス」について引き続きフランスから学んでいきたい。