Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#183 時代小説を読み始めると江戸っ子が羨ましくなります

 『髪結い伊三次捕物余話 6宇江佐真理 著

不破の息子、龍之介も同心としての見習いを始める。

 

君を乗せる舟 (文春文庫)

君を乗せる舟 (文春文庫)

 

 

2020年最後に記録する一冊はやはり時代小説にしたいと思う。思えばしばらくこのシリーズを読んでいなかったことに気が付いた。5巻目を12月の頭に読み、そのまましばらく毛色の違った作品ばかりを読んでいたせいか、久々の伊三次の活躍に改めて時代小説の楽しさに魅了された。

 


昔よく「小説ばかり読んでいないで、血に骨になるような本を読め」と言われたのだが、個人的にはどのような本であれ読書に無駄はないと思っている。大人にはくだらないエンターテインメント的小説であったとしても、本を読むという行為で得られるものは多い。

 

まず確実に文字を読む力がつく。ひらがなカタカナはもちろん、漢字だって知らぬ間に読めるようになっていた。そして言葉の意味や使い方も学ぶことができる。意味のわからない表現が出てきた時は辞書で調べ、「ああ、そういう意味だったのか!」と納得してから読み進めた。この作業のおかげで調べた内容は頭の中に定着したし、そもそも辞書の使い方も知らず知らずのうちに身に付いた。そのうち感情や行間に秘められた作者の意図を感じられるようになり、書籍全体を鑑賞できるようになった。読んで初めて「おもしろい」「ためになる」「くだらない」を自分で判断すればよいわけで、大人から頭ごなしに「読むな」とか「価値がない」と言われることに納得がいかなかった。

 

こんな風に口答えをしてはまたお小言を言われていたので、小説ばかりマンガばかり読むことが続くともっと「ちゃんとした」本を読まなくちゃと思ってしまうような大人になってしまった。謂れのない罪悪感。なんともやっかいなことだ。「ちゃんとした」ってなんだろう。仕事の本、勉強の本、小説は小説でも国文学史に出てくるような大作なら良いのだろうか。もちろん文学史に記されるような作品は思わず唸ってしまう程の感動をくれるし、学びの本も実生活に応用が利き非常にためになる。子供の頃に植え付けられてしまったものは頭ではわかっていてもなかなか体から抜けず、異様なマイナス感情を引き起こし無駄に心を痛めるので自分の機嫌は自分で取れてこそ大人なのだと言い聞かせなくてはならない。また葛藤の繰り返しである。

 

時代小説を読むようになり、ストーリーの面白さに引き込まれているというところも大いにあるのだが「学び」という意味でも子供の頃に戻ったような楽しい読書となっている。子供の頃、ドイツの文学全集を好んで読んでいたのだが、時代小説の読み方はあの頃と全く同じように進んでいく。例えば、地名を調べること。昔は地図帳を出してきて熱心に街の名前を探したけれど、今はGoogle Mapで簡単に調べることができる。ただ、江戸の町の名前となるとそうはいかない。伊三次たちが住んでいる佐内町、日本橋に近いというがこれをネットで調べても地図には記されていない。だから探す。

 

6冊目に入り、同心不破の息子が見習いとして働き始めた。1年は無給で仕事の内容を学んでいく。同期は6人で、そのうち一人は商人の出で武士に養子入りした者もいる。14歳の龍之介は龍之進と改め、お役目につく。妹の茜は元気すぎて親を困らせるほどで、たまに妹の我儘を叱る龍之進に「ああ、大人になってきたな」と成長を感じ入る。

 

伊三次の息子の伊与太は龍之進の妹とは正反対で大人しく良い子良い子と可愛がられている。6巻目は世の不可思議がテーマとなっており、少し神がかりな内容になっている。伊与太は麻疹で苦しむ。一時は命の危険があったのだが、伊三次の祈りが届き無事に回復する。こんなところからも江戸の生活を垣間見ることができ知りたいことが増えていく。時代背景、この頃何があったのか、調べていくことが楽しくてたまらない。江戸がとても魅力的すぎて、深川や本所が憧れの土地となりつつある。三代続いて江戸生まれでなくては江戸っ子とは言えないそうだ。3代続いてとなると100年程かかるわけで、子供、孫、ひ孫はまだ江戸っ子ではない。根を張るまでに3代。今の東京人とは気合が違う。そう、気合なのだ。生きていくための心根の潔さがかっこよい。

 

今年はコロナ禍で世界が揺れた。伊三次のように祈りが届けばと思わずにはいられない。来年はどうか平和でありますように。良い本に巡り合えますように。今年読んだ本のおかげで楽しい時間を過ごせたことに感謝。