Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#043 直訳より意訳すべき時とは?

 シェークスピアの専門家による日本語と英語の発想の違い。

英語の発想 (ちくま学芸文庫)

英語の発想 (ちくま学芸文庫)

 

大型書店に立ち寄る時は必ず学芸文庫や新書のコーナーからチェックする習慣がある。お気に入りはちくま学芸文庫岩波文庫。電車の吊り広告は大抵小説の新刊案内だったりするので学術系の文庫は書店で実際にチェックするより他ない。

 

著者はシェークスピアの研究家で翻訳はイギリスのピーター・ミルワードの作品が多い。私の手持ちのものは2006年の第二刷で恐らく10年ほど前に著者の他の作品とともに購入した。

 

ところでちくま学芸文庫をチェックするようになったきっかけは最初フミの辞典である。私が持っているのはこの2冊。

 

日英語表現辞典 (ちくま学芸文庫)

日英語表現辞典 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:最所 フミ
  • 発売日: 2004/01/11
  • メディア: 文庫
 

 

英語類義語活用辞典 (ちくま学芸文庫)

英語類義語活用辞典 (ちくま学芸文庫)

 

 

学生時代、図書館でアルバイトをしていた時にこの本を初めて見て驚いた。辞書や辞典というのは立派な表紙でどっしり重いものと思っていたからまさか文庫版の辞典なんて想像したことすらなかった。他の辞書で見つけられない表現をこの辞典に助けられたこともある。読み物としても楽しいので時間を見つけてじっくり頭から読みたいと思いつつこれも10年以上経っている。読みたい本が多いというのは幸せなことだ。

 

さて、「英語の発想 」に話を戻そう。昨日読んだ本に思うところがあった。10年前に比べて日本に居ながらにして英語環境を作り出すことはさほど難しいことではなくなった。言ってみたいフレーズも日本語で検索すれば英訳した文章がずらっと出てくる。確かに便利。けれども読了後、なんとなくモヤモヤが残る。このやり方では英語地頭は鍛えられないだろうと感じたからだ。Youtubeやブログで英語学習法を紹介しておられる方は多くいつも参考にさせて頂いているのだが、実際英語で話しておられる動画や英作文を読み「ビジネスレベル」と思う人はみな、文法の必要性と語彙強化について語っておられる。昨日の本にはそこがすっぽり抜けているのでちょっと物足りなく感じてしまったのだろう。

 

日本人が初めて本腰入れて学ぶ外国語は英語だと思うのだがなかなか身につかない。早いところでは高校から、一般的には大学で第2、第3外国語を否応無しに学ばされる。なかなか身につかないとは言え、英語を学んだ経験を用いてその他外国語の学習に務める。語学の達人たちのYoutubeを見ているとモチベーションが上がり、紹介されるテキストなんかも購入したくなるし、実際に英語の勉強が楽しくなる。やり方一つでこうも変わるのか!と驚くばかりなのだが、何がすごいかと言うと英語以外の外国語の学習にも大変役立つということだ。やっぱり語学について語る本については、土台を固める部分について重きを置くものであって欲しい。

 

英語と日本語では文章の構造が異なる。互いの言語を自然な表現方法で翻訳するのは至難の技だ。この本のテーマはいかに自然な翻訳文を生み出すかについて、裏技紹介しておきましょうというものだ。よく意訳はよろしくないというような意見があるが、だからといって直訳そのままでは全く文章として成り立たない。そもそも根本的な発想や認識の方法が日英では異なるのだから、自然な文章にするには意訳に近くならざるを得ない。それを理解するには文法を理解していなくてはならない。やっぱり文法がわからなければ心を込めた外国語なんて話せないのだ。とっさに話せるように準備しておくというのはよい着目点だとは思うが、伝えたいという気持ちにもう少し配慮を込めるならば構造の違いからくる発想の差は絶対に知っておくべきだろう。

 

例えばここにこんな英文がある。

 

The force of the smell brought him back to the real world.

 

これを直訳と自然な訳(意訳)とで読み比べる。

(直訳)その臭いの強さが、彼を現実の世界に引き戻した。

(意訳)その臭いがあまりに強かったので、彼は現実の世界に引き戻された。

 

さて、どちらが読みやすいか?というのを追求するのがこの本だ。上の例だと人が主語ではない場合、どう訳すべきかという例の一つとして挙げられている。主語がポイントで、日本語の文法は<もの>を主部に置くことはあまりないために直訳の文章だとすんなり頭に入ってこない。

 

英語の場合、感情に関する単語が難しい。annoyとかexciteとか。-edと-ingどちらだったか迷うことがある。英訳するのも迷いがあるのに、これを自然な日本語にするにはどうすべきか。「なる」系のものbeとかbecomeとかgetとかhaveも難しい。

 

自然な和訳のための参考として日本語文法の書籍が紹介されているのだが、「日本語の文法を考える (岩波新書)」は読んでみたいと思った。本書では有名な作家の文章の英語→日本語、日本語→英語の例文を検証し、その差異についての詳しい説明がある。今まで気にもかけていなかった日本語の文章が時制の上でこうも英語と違うのか!と驚いた。発想の違いとして詰まる所、日英にはこんな違いがあるとして説明がある。

 

英語は情況を捉えるのに、<もの>の動作主性に注目して、因果律的に解析し、概念化してゆく傾向が強いのにたいして、日本語は情況をまるごと<こと>として捉え、その<こと>と人間とのかかわり方を、人間の視点に密着して捉える傾向が強い。

 

これは翻訳の上ではキーとなるべき部分で、例えば日本語にない無生物主語の訳し方や、英語ではありえない自動詞の受動態など、感覚としてどういう理論のもとに言葉と感覚をつなげているのかがよくわかる。例文として「私は五つの時、母に死なれた。」という文章がある。これを英語にする時、文章に込められた母の死による寂しさ、何か自分とは遠いところで起きているような感覚をどう表現するべきなのか。

 

翻訳に躓いた時の解決法のヒントがあった。やはり先人がみな仰るように翻訳には日本語が上手くなくてはいけないようだ。