Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#044 ストーリーにダイブする感覚を楽しみたい

人類が地球を限りなく汚染しその地に生きられなくなった未来、人間が惑星に住むようになり数百年。先住民と人類の話。 

精霊の木 (新潮文庫)

精霊の木 (新潮文庫)

 

 

上橋菜穂子さんのデビュー作。最所に読んだのは守り人シリーズ。その後も新作が文庫化されるのを楽しみにしていた。本当に久々に上橋作品を読みたくなり、Kindleで手に入るこの作品を購入。

 

イギリスやアイルランドの文学には妖精や目に見えない世界が書かれている事が多い。児童文学だと動物や植物も話をする。上橋作品はケルトの世界のような神聖でありながら人に近く、かと言って悪に牙をむく凄惨さもある。梨木香歩さんと上橋菜穂子さんの作品が好きな理由は英国愛蘭土の息吹を感じられるというところが大きい。

 

いくつかの作品を読んでいくうちに英国愛蘭土の児童文学は妖精→魔法→謎解きの流れで読み進め大きくなるのではないか?という思いが生まれた。木の精、花の精、大いなる自然の不思議に触れた子どもたちは、心の中にもう一つの世界を持つようになる。いつでもどこでもアクセスできる自分だけの世界のようなところを持つことで想像力を育て始める。そのうちその想像力がもっと自分の暮らしの近いところで実現しないものかともう一つの世界を自分に引き寄せる方法を編み出す。夢を実現させる方法、それが魔法ではないだろうか。魔法使いが現れたり、自分が魔法使いになったりという話が多い。そして、その魔法はやっぱり難しいぞとなると、また自分の想像力を駆使して問題を解決する。それが謎解き。探偵がその代表と言え、自ら謎を解く中で子どもたちが正義や勇気や愛情を学んでいく。上橋作品はそれらがすべて網羅されており、大人たちをも魅了する。

 

最近読んだ「日本語が亡びる時」の中にあったが、現代の文学作品の質についての内容があった。著者は決して今の作家の作品がみなレベルが低いということを言いたかったのではない。漱石や川端など、日本の近代文学が世に影響与える時期があった。あの時期のように日本の文学が世界に大きな衝撃を与えるような作品が昨今登場していないという話である。

 

 

確かに東洋諸国で近代文学の分野で脚光を浴びた国は多くはないと思う。あの時代の日本の作品の重厚性とも言える繊細ながらに力強い世界は素晴らしいと思う。そして翻訳も大きな役割を果たした。児童文学も厳選されたものが素晴らしい日本語で翻訳され、宮沢賢治のような名作も登場した。

 

時代が代わり、日本人が求める世界観が変わってきていることもある。読書の媒体だってこれからはデジタルが主流になるという。そのせいか昨今の文学作品は特別感がないというか、隣に住む人が経験していそうな世界が題材となっている場合が多い。だから近代日本文学が世界を跋扈した時代を懐かしむ人がいてもおかしくない。

 

しかし考えてみるとこうも言える。ライトノベルしかり、マンガしかり、小説しかり、没頭できるほどのストーリーを生み出し続けている国もそう多くはないはずだ。そういう意味では上橋作品は世界に共通する力強さがある。ハリーポッターにだって負けないはずだ。

 

上橋作品は読み始めた瞬間、ぽんっと別世界に飛ばされたかのような衝撃がある。読み手を物語の世界に引っ張りこみ、ケルトの小説のように目の前の色が変わり別世界が広がる。海にどぼんと落ち、その青い海を一人で泳ぐかのようだ。読み終わった後、現実に戻るのがこれまた大変でぼーっと日常が自分に近づいてくるのを待つ。それがまた心地よく、またこんな作品に出会いたいと思ってしまう。なんだろう。ネバーエンディングストーリーのような世界を体験できるのだ。

 

上橋作品は自分が体験しているような錯覚を起こすので、後味を楽しむ時間が長い。他の小説ならば3年後に読めば「ああ、こんな内容だったかな?」と詳細を忘れている事が多い。でも上橋作品はストーリーの中に完全に浸ってしまうせいか3年後だと内容がまだ自分の中に残っている。だからもう一回読もうという気がなかなか起きない。守り人シリーズを最後に読んでそろそろ5年が経つ。やっともう一度読もうかなという気分になってきた。