Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#670 気分転換のはずが~「私にふさわしいホテル」

『私にふさわしいホテル』柚木麻子 著

ホテルである必要はあるのかな?

 

なんとなく気分転換が必要な今日この頃。最近読んだ本に感化されどこかに行きたくてたまらない。とはいえ、コロナの状況やどんどん増えてくる外国人観光客で溢れている街並みを見ると「もう少し待とうかな」な気にもなる。

 

 

街に活気が戻るのは良いことだ。ただ、歩きにくいのです。人が多すぎて。カフェなんかもう入れないですしね、いっぱいで。ということで、海外ドラマでも見ながら気分転換しようかなーと方向転換してみた。で、今はHuluでこちらのシリーズを見ている。


50年代のロンドンのイーストエンドの貧民街にある教会が運営する産院のお話。シーズン10くらいまであるので気長にゆっくり見るつもりだが、ドラマって見始めると続きが気になり他のことが出来なくなってしまう。それはよくないぞ、とやっぱり旅行関係の本でも読むかと本書を開いた。

 

さて、タイトルを見て、勝手に旅行エッセイ的な作品だろうと想像していた。もしくはホテルを舞台にした小説かな、と。ところが確かにホテルは出てくるも、ホテルである必然性は薄く、全くもって旅行とは関係のないストーリーだった。そのせいかあまりストーリーに入って行けず、読むのにものすごくものすごく時間がかかってしまった。

 

まず、主人公というか舞台というかストーリーは文壇だ。小説家になりたい加代子が、文芸界でのし上がっていくというお話だが、作家というものはこのくらい独特じゃなくてはならないのだろうか。承認欲求や成功欲強めの登場人物が好きな人にはスッキリなお話かもしれないが、もし周囲にこういう人がいたとしたら相当疲弊しそう。というか、読んでいるだけでエネルギー吸い取られたかのような気分になってしまった。

 

小説家を目指し、加代子はとにかく力の限りもがき続ける。大学の先輩である遠藤が大手出版会社で編集者の仕事をしており、最初は先輩の指導の下で作品を書いていた。加代子がどうにかデビューできたのは、ビジネス系の出版社が初めて実施した新人賞でのことだった。受賞者は2名で、もう一方の新人賞はアイドル出身の作家が受賞、加代子の姿は影にかすんでしまう。その後作品を書いても出版社からは何の連絡もない。

 

全く売れていないスタート期、加代子は文豪が宿泊したことで有名な山の上ホテルにて鋭気を養う。同じ日、上のフロアには大御所小説家が宿泊していた。遠藤先輩の話によると、その大御所は先輩の会社の 雑誌に寄せる作品を書いているらしいが朝9時までに仕上がらなければ穴が開く。その穴を加代子のような新人たちの作品で埋めるわけだが、遠藤先輩はさりげなくそんな餌を巻いて去っていった。そこで加代子が暴れ出す、というお話。

 

加代子の性格はよく言えば独創的なのだが、アグレッシブで自分本位な所がある。読み手は登場人物の誰か(たいていは主人公だろうけれど)に心を重ねて読む場合が多い。本書、個人的な好みの問題であるが、加代子タイプの人間は完全に苦手タイプであったのでなかなか本にコミットできず読むのがものすごくものすごくものすごく大儀だった。普段ここまでのことはあまりないのだけれど、加代子の奔放さに共感できる点が一つも無く、「とりあえず今日は10ページ読むぞ。」「今日はがんばって10分は読むぞ」みたいなノルマを設けてやっと読み終えた。

 

登場したホテルは山の上、帝国、ハイアット、オークラ、パレスなどの高級ホテルがいくつか上がっていたが、ほぼ加代子が訪問するような感じで名前があがるにすぎず、部屋の調度品やホテルの様子がわかるような内容にはなっていない。

 

今はものすごく「がんばって」読み終えました、という安堵感でいっぱい。本当はスキップしてしまえば良いのだけれど、やっぱり縁あって購入した書籍なので最後まで読む。読み終えたという解放感が押し寄せてきて、次に読む作品を決めるだけでわくわくしてきた。

 

ああ、やっぱりどこかで気分転換してきたいなあ。

#669 大作は流れも速い ~「居眠り磐音 3」

『居眠り磐音 3』佐伯泰英 著

故郷へ。

 

現在シリーズで読んでいる作品がいくつかあるが、その中でも最も長い作品。

 

 

まだまだ続くことがわかっていながらも「進むの早いぞ」と思う程にストーリーが走り出している。豊後関前藩に3人の若者がいた。江戸詰めからやっと地元へ戻ったその日に事件は起きる。彼らの和は乱され、3人のうち2人が亡くなった。友に刀を向けざるを得なかった坂崎磐音は脱藩し江戸へと旅立つ。

 

江戸での浪人生活は周囲の善意に囲まれながら、その日暮らしの日々だった。そこへかつての友から、藩の現状がひどいものであるということを知らされ、更には磐音らが藩の未来を背負うものと思われていたのにこのような事件が起きたことは、すべて改革を潰そうとする藩内の勢力にあったと伝えられる。その友人も何者かに消され、いよいよ江戸に居る磐音の周りにも藩の手が動き始める。

 

今、豊後関前藩は宍戸文六という国家老の一派に牛耳られていた。特に財政はこの者たちにより藩を破滅させるほどの借金を追っており、その後始末を今度は磐音の父親になすりつけようと画策している。宍戸派は江戸についてから祝いの席を持ち、参加することが臣下の印と、まるで踏み絵のように江戸詰めの藩士の前に忠誠を突き付けた。情報を得た磐音は、当日その料理屋の前で店に駆け付けたものを全て確認する。

 

中には意外な人物も参加していたが、それは磐音の心に不安を呼ぶものでしかなかった。悩むよりも確認すべし。磐音は実際に本人に会い、話の場を設ける。そこでわかったことは、藩の状況は日ごとに悪くなるばかりだということだった。

 

御直目付の中居半蔵は磐音も一目置く人物である。現在の宍戸派の悪事に目を瞑るつもりがない唯一の人物で、磐音は中居とともに藩の改革に乗り出す。この年、藩主が参勤交代で江戸へ来ることとなり、中居と磐音は殿へ現状を報告し、藩のために新たに動くことを決めた。そして磐音も久方ぶりに故郷の関前へと旅立つ。関前藩のために何ができるか。必死に動く磐音たちは、将来に向かう大きな峠を越える。

 

磐音には許嫁がいた。奈緒は磐音自らの手により命を落とした親友の妹である。騒ぎは結局、友人らの家を取り潰しとする藩の達しにより終わりとなった。磐音は藩を出た後の奈緒を探し求めることに決めた。

 

私の偏見かもしれないが、男性著者の時代小説にはダイナミックな政治の動きがあり、必ずヒーローが現れる。妙にリアルで細部に渡り悪事の芽が仕掛けられている。藩政は現在で言えば企業のようなところかもしれない。集団生活の中で考え得るあらゆる美徳や悪徳は今もそのまま企業に引き継がれているようだ。それが私たち日本人の生き方生き様なのかもしれないが、時代小説の中で描かれる悪事は妙に生々しく感情が煽られる。

 

そのせいか、つい自分の現状に重ねてしまい、ますます時代小説の深みにはまっていくように思う。まだまだ3巻目、大作に圧倒されっ放し。

 

 

#668 神話が現在にリンクする ~「後宮の烏 4」

後宮の烏 4』白川紺子 著

過去が与える影響。

 

年末より読んでいるシリーズものの4巻目。

 

今更なのだがアニメ化されていることを知った。この頃Netflixの押しの強さというか、強引さというか、なりふり構わない必死さというかに辟易し、Huluとアマプラ中心の生活を送っていた。それがNerflixで見ていたドラマの続編が出たことを知り、数か月ぶりにNetflixを見たところ、「新着」の中に本作のアニメ版が。



アニメをBGMに家事をしたり、本書の続きを読んだ。書籍に比べアニメ版はものすごく駆け足で進んでいる所があるが、ひとまず想像したような衣装、建物、人物像で安心しながら続きを読んでいるところだ。

 

さて。4巻目でストーリーの枝葉が急にすくすくと伸び出したような、物語が歩き出したかのような、飛躍のイメージがあった。アニメがあることを知ったからか、いや、それだけではない。もし自分に演技の能力があるのなら「ああ、この人物を演じてみたい」と人物に入れ込んでしまう瞬間が増えていく。4巻目でも後宮に現れた幽鬼や、国の歴史の礎である烏漣娘娘という神の存在が物語の軸にあることは変わりはない。よりストーリーが複雑になったりダイナミックになったわけでもないのだが、なにかが共鳴している。

 

後宮の中、夜明宮に暮らす烏妃は烏漣娘娘という神を祀る特別な妃である。後宮には神官もいるが、烏妃は祀るとは言え、神と一心同体である。新月の夜、烏妃の体内で神が目覚める。空に羽ばたこうと飛来する神は、烏妃の体に耐えがたい痛みを与える。神と共に生きる烏妃ではあるが、この飛来も含め「一体なぜ?」という歴史に埋もれてしまった真実を皇帝である高峻とともに突き止めようとする。

 

高峻は烏妃に自分と似たものを見、どこか自分に重ねてしまうところがある。歴史を紐解きつつ、皇帝と烏妃にも役割があることを知る。夏の王と冬の王、互いが存在していることが国を維持するための条件であることを知り、高峻と寿雪は互いの存在と絆に縛られていく。一つ一つ、烏妃とは、烏漣娘娘とは、その存在意義が明るみに出始めた。

 

本書でも烏妃は後宮内の幽鬼を楽土へ導こうとする。幽鬼には、この世に未練があってどうしても楽土へ渡れない魂だ。何かを悔やみ、何かを憂い、何かを欲し、何かに執着している。まるで哀歌を奏でるがごとく幽鬼は己のかつての姿のままにこの世へ現れる。烏妃の目を通して映し出される幽鬼は、魂を解き放たれ楽土へと旅経つが、その度に烏妃の空になってしまった心をも満たしていく。

 

後宮に暮らす宮女や宦官にも人であり、心がある。今まで烏妃とは遠く、恐ろしく、得たいの知れない存在であったが、幽鬼を救うことで人をも救っていくことから、いつしか烏妃を崇める者が後宮内に増えて来た。それが知らぬ間に独り歩きし、度を過ぎたと感じられる頃には烏妃の耳にもその存在が聞こえて来た。黒い飾り紐を身に着け、「緇衣娘娘」つまり烏妃を崇める者たちがあると言う。烏妃もこの行き過ぎた状況に危うさを感じ、裏の気配を探ろうとする。

 

烏妃は本来一人で暮らすべきであった。宦官を置いてはならない。宮女も必要ない。一人で夜明宮に生きるべきであった。ところが夜明宮に寿雪が救った者たちが集い、いつしか宦官3名、宮女も3人へと増え、もはや一人で生きるには他人と接点を持つことで生まれる喜びを知った寿雪。人との縁を断つことがより難しくなりつつある。

 

同時に、烏漣娘娘の本来の姿が徐々に露わになる。烏漣娘娘は高峻にも烏妃にも神としての存在しか知れている部分はない。ところがかつて王宮にいた巫術師から、思いもよらぬ事実が知らされていく。これを力にできるか、それとも弱点として抱えていくのか、烏妃ではなく寿雪という人としての生き方を望めるのか。

 

物語の深みがいくつにも別れ、絡み、昇華していく。今まで一度しか見たことがないのだが、なぜか京劇のことを考えながら読んでいた。神話が実在した真の歴史として物語を支えている。香港あたりで映画化されないかしら。

#667 デトックスとか、リフレッシュとか ~「ひとり旅日和」

『ひとり旅日和』秋川滝美 著

はじめての一人旅。

 

少しコロナ禍が落ち着いたかと思っていたら、大陸の方ではまたもや新たな種に脅かされていると言う。私が唯一自慢できるのはまだコロナに罹患していないことで、もしかすると知らない間に罹患していて気合で乗り越えていた可能性も否めないが、とりあえず今まで「あれ、体調変かな」と認識するような事態は一度もなかった。よって去年の年末には海外出張も再開しているのだが、こうも新たな危険についてのニュースがあると、やっぱりどこか構えてしまう。

 

この年末年始も移動が多かったが、マスクを外さないように気を付けていた。たいてい機内食は食べないのだが、今回はいつも以上に気にしたかもしれない。国内の移動の時はそれほど気にしないのだが、海外とあっては勝手も異なりより気を付けようと思った次第。

 

さて、本書はそんな「どこかに行きたい」欲が高まっていた時に購入した一冊で、タイトルに惹かれての購入だった。

 

主人公の日和は非常に内向的で、教授からの紹介でどうにか就職した先でもなかなか仕事が覚えられない。上司からも嫌がらせを受け、ますます日々の暮らしが重く感じられる始末だ。ある日、社長から趣味を作るように勧められ、そこで一人旅を提案された。思ったことも口にできない上に、他人との接点を持つことを苦手とする日和だったが思い切って旅に出てみようと考えた。

 

会社の帰りに書店でガイドブックを探していたら、そこへ偶然先輩の加賀がやってくる。加賀も旅行が好きで、次の行き先をさがすのに書店にやってきたとのことだった。加賀からのアドバイスを受け、日和はより一人旅への意欲を固めるというストーリー。

 

まず、本書での行き先は5つ。順に熱海、佐原、仙台、金沢、そして福岡だ。熱海は日帰り、佐原、仙台、金沢は1泊だ。福岡は有休を利用して2泊の旅をしている。今まで一人で何かに取り組むことのなかった日和だが、旅行を通じて自信をつけていく。

 

一人旅にもいろいろなスタイルがある。旅に出てもどこに行くわけでもなくホテルでNetflix見てました!なんていう人もいるし、どちらかというと私もホテルでのリラックスタイムが好きだったりする。一方で「ホテルなんて寝るだけじゃん」とずっと出かけている人もいるが、本書はその中間といったところだろうか。観光を楽しみ、現地の食事を楽しみ、ゆっくりとお風呂につかる、みたいな旅だ。

 

確かに一人旅は行動力を磨くにはもってこいかもしれない。行き場を決め、それぞれの手配をするが、すべて一人で決めなくてはならない。よっぽどお金に余裕があったり、借金するのも厭わないという人以外は、まずは予算を決めるだろう。その予算内でどんな旅ができるのか、そういう一つ一つを決める作業が一番楽しいので(私見です)、自分の旅に責任を持つことで決定力を養うことができるかも。

 

社会人になりたての頃は出張するのもワクワクで何をするにも好奇心でいっぱいだったが、経験を重ねるにつれて食事も「コンビニでいいわ」となり、時間に余裕ができたらここでしか味わえない経験を!と思っていたのに、今や空き時間があるならさっさと終わらせてホテルで報告書書きたいわ、となんとも味気ない。

 

しかしこれが個人の旅となるとまた別だ。積極的にあれこれ見たり食べたりしたくなる。会社へのお土産なんて駅で適当に買ってたけれど、自分用となるとお土産探しもまた楽しい。スーパーで地元の食材を見たり、特産品はこれまた魅力的すぎて何時間も売り場に居座ってしまったりする。

 

日和が少しずつ旅慣れていく様子を読むにつれ、ムクムクと「一人旅したいな」欲求が膨らんでくる。カレンダーを見ながら次の休みを考えるも、旅行は当分先のこととなりそうだ。この頃は連休も外からのお客様の相手で時間の自由が利かないのが残念。日和のように週末を使って1泊でもしてこようかな。

#666 鍋を賭ける ~「大江戸定年組 3」

『大江戸定年組 3 起死の矢』風野真知雄 著

回復後。

 

Kindle Unlimitedでも時代小説が読めるらしいと知り、最初に検索したのが著者の作品だった。年末年始はこのシリーズを楽しみ、本書はその3巻目となる。3巻目までは無料で読めるのだが、2巻目を読み終わりすぐさま3巻目を購入してしまった。

 

 

買った理由はすぐにでも続きが読みたくて、そのままkindleで上がってくる続編の購入ボタンを押してしまったからである。なぜそんなに焦ったのかというと、定年三人組の一人、元旗本の夏木が倒れたからだ。

 

その時三人はある事件がそろそろ解決という段階にあり、いざ現場へと急いでいる時だった。普段元気な夏木が頭が痛いという。直前に囲っていた深川芸者と別れたばかりで、きっと元気が伴わないのであろうと藤村と仁佐も「休んでおれ」と先に初秋庵を飛び出した。

 

しかし、夏木を置いてきたことへの不安が募った仁佐はすぐに初秋庵へと駆け戻る。そして玄関で気を失っている夏木を発見する。ここで2巻目が終わった。そんなの続きが気になるに決まっているというものです。

 

そして本作ではその夏木のその後が書かれている。まず、倒れた理由は中風であろうということ。今で言う脳卒中で、回復しても人によっては体の機能に麻痺を残す場合がある。

 

夏木は医師の指示によりしばらくは初秋庵で昏睡状態にあったが、その後屋敷へと戻された。それでもずっと眠ったままである。医師の言葉を信じ看病にあたる夏木家の面々の心も空しく、夏木は何か月も眠り続けた。そしてある日、突然目を覚ます。

 

それだけで読者は乱舞したくなるわけだが、やはり気になるのは後遺症だ。弓の名人である夏木に麻痺が残るとすれば、今後の生活にも何かと支障が出るであろう。しかし夏木がこぼしていた三男が定年組を何かと支えることとなり、新たな展開が見えてきた。

 

旗本とは言え、長男以外は身の置き所に困ること多々だ。夏木家の三男坊の洋蔵も嫁どころか養子縁組さえ叶わぬ始末で、少し前までは手の付けられないこともあったという。ところが人にはやはり特技の一つや二つはあるようで、様蔵は骨董品を見る目があった。その筋のものも驚くほどの知識を有し、定年組を陰から支える。

 

今回は寝付いた父のもとへ弓の事件の解釈が求められた。夏木は「現場の正確な見取り図が欲しい」と言う。藤村が大体の地図を描こうとすると、もっと正確なものが必要だと言い、洋蔵に見取り図を作らせた。それが細かいところまでしっかりと描かれており、またもや定年組を驚かせる。

 

夏木も体調を回復させるための一歩に踏み出した。まずは自宅の庭で杖を使っての歩く練習から始め、年内には初秋庵に行く!と定年組と賭けをする。夏木が勝てば、定年組はこの冬一か月の間は鍋を食べることができない。なんとも彼ららしいと微笑ましい。

 

そして本作も終わりに大きな事件を残して「続く」の文字が現れた。今回もなんとも気になる終わり方なので4巻目に手が出そう。

#665 己の弱さを強みに替える!~「世話を焼かない四人の女」

『世話を焼かない四人の女』麻宮ゆり子 著

個性を認める。

 

本日より本格的に仕事はじめという方も多いだろう。そろそろ本格的に動いていかなくてはなのだが、体が付いて行かないのはなぜだろう。正月気分から抜け出すために、現代が舞台の作品を読んで気合を入れることにした。

 

本作も年末のキャンペーン時に購入した一冊で、タイトルを見てなんとなく購入したように記憶している。本書は短編が4つ収められており、タイトルにある通りにそれぞれを4人の女性がリードしている。そして、それらの話をつなぐのは、女性ではなく斎木という男性である。

 

1話目の舞台は住宅メーカーで、主人公は総務部長を務める闘子。離婚を経験しており、同業であった夫に自身のアイデアを盗まれたことが原因だった。今はこの会社に全力を注いでいるが、部下たちをまとめることに苦労する。

 

2話目は宅配ドライバーの女性が主人公で、宅配業界の厳しさが垣間見える作品だ。私自身はあまり着払いを選択することはなく、荷物はたいてい宅配ボックスで受け取るのだが、人によっては必ず配達員に接触する手段を選ぶ人がいるようだ。女性の配達員であることから嫌がらせを受けたり、大量の荷物を時間内の運ぶのは至難の業。ソフトボールで鍛えた体力が彼女の仕事を助けている。

 

3話目はドイツパンを焼く女性の話。この物語はどのように記すべきか迷うのだが、全体に流れているテーマを凝縮したようなお話になっている。

 

最後は清掃業者を営む女性の話。夫が20歳も年下の女のもとへ走り、夫に替わり会社を運営する。子供も離れていき、今は会社を育てることにすべてを注いでいる。夫の代わりであった頃には社員からもまともに相手にされなかった。ところが、自ら会社のトイレ掃除を毎日行い、掃除について学んでいく。掃除に心の安定を見出すような面もあるが、掃除を通して人が成長する話でもある。

 

全体を通して根底にあるのがメンタルヘルスだ。言葉選びに慎重になるのだが、とても繊細で鋭敏すぎるが故に、何等かの衝撃に対応できなかったり、とあることには特化した才能を見せるも、それ以外には対応ができなかったり、など。症状を正しく表現する言葉を私は知らないが、以前に社内にこのような方がおられた時、適応障害という言葉を聞いたように記憶している。

 

人と違うということで非難されることも多かろう。騒音が苦手、人込みが苦手、話すのが苦手、とコミュニケーションの手段が独特であることから、何等かの改善法を自ら進んで取っている人もおられるようだ。小説の中では、マスクや耳栓で外界を遮断する方法が書かれていたが、周囲が協力すれば社会生活も十分に送れる。その様子がストーリーの全てに溢れており、社会派とも言われるテーマがあったことを知らずに読んだ私は、本書で知ったことが数多かった。

 

心の病を抱える人が身近にいた頃、私は全くその方の行動が理解できなかった。そして今でも疑問に感じていることが多い。当時は知識がなかったからだと思っていたのだが、本書を読んでまた新たな疑問を感じている。詳しくは語らないが、もう少し心理面についての書籍も読んでみたいと思えるようになった。読了後にタイトルの意味について考えたのだが、世話を焼かないというのは、彼らの個性を受け入れているからと理解した。本人も理解し、周囲も理解する。

 

本書の四人の女性は自分の弱さを受け入れているからこそ、強さが発揮できている。自分を知り、受け入れること。そこからがスタートなのかもしれない。

#664 追手の思惑~「居眠り磐音 2 寒雷ノ坂」

『居眠り磐音 2 寒雷ノ坂』佐伯泰英 著

藩が迫り来る。

 

年末にたくさんのシリーズものを購入した。本書は50巻を超える大作で、そう簡単には終わらないぞという安心感があることから、早いペースで読んでいくことにした。

 

 

2巻目の巻末に著者の対談があり、お相手は俳優の谷原章介さんだった。読み進めると、なんと本作は映画化されていたらしい。

 

 

確かに私も時代小説を読みながら映像化にあたっての配役なんかを妄想したりすることは多々ある。本作も映像化にはぴったりで、2巻目にして豊かな妄想タイムをむさぼっていたのだがすでに映画化されていたとは!

 

豊後関前藩の若者三名が江戸のお役目を終え故郷に帰った日、いきなりそれぞれの人生が狂ってしまった。慎之輔はあんなにも思っていた妻を不貞があったと成敗し、その妻の兄である琴平はそれに怒り慎之輔だけではなく相手と噂された男や、その噂を流したものを亡き者にする。磐音はその事態を収めるべく、親友である琴平に対峙し友の命を絶った。この事態を苦に、磐音は藩から去った。

 

2巻目は江戸での生活を始めたばかりの磐音のその後がつづられている。浪人らしく両替商である今津屋の用心棒の仕事などで口に糊する磐音であったが、戦いの場で傷を負ってしまった。休んでいる間にあっという間に持ち金も底をつく。水を飲んでどうにかごまかしていたところへ、今津屋で出会った浪人、品川柳次郎からの誘いで用心棒の仕事を探すところから物語はスタートした。

 

磐音は柳次郎をすでに友人とみなしており、信頼もしている。そして、同じ独り身の浪人であることから共に職探しをしていた。この日も深川を出て新宿まで出向くのだが、結局磐音の懐が暖まることはなかった。近所の子供である幸吉に世話してもらった鰻をさばく仕事も再開はしたが、それでも家賃をため込んでしまう始末だ。しかし、こうして新宿に出向いたことで、磐音の人脈も広くなってくる。今回は南町奉行所の与力、笹塚孫一との縁故が出来た。きっとこれからも何等かのつながりが出てくるのでは?という予感が止まらない。

 

磐音は基本的に浪人として小さな仕事を請け負うことが多いのだが、その場では敵を倒したとしても、報復を目論む輩も多い。磐音は自身の周囲へ敵の怒りが及ぶことを数度経験することとなった。その中には命に係わるものもあり、磐音は心を痛め復讐を誓う。

 

磐音が脱藩したキッカケとなった事件は、もちろん江戸の豊後関前藩の屋敷にも届いていた。まだ磐音らが江戸に居た頃、藩の未来を憂い、磐音は若者たちを集めて修学会という学びの場を立ち上げた。実際に藩の財政は厳しく、修学会の提案にて利益を生む道を得たこともある。ある日、磐音の長屋に何者かが押し入った。貧乏浪人の長屋に残される金目のものなど何もないが、磐音は藩とのつながりを感じる。

 

そしてその後、実際に藩の人間が長屋へやってきた。それは修学会の仲間、上野伊織。身分は磐音よりも劣るが、勘定方としてしっかり活躍をしていた。伊織は国元で起きた磐音に関わる事件について疑問を抱いており、仕組まれたことではないかと磐音へ告げる。一方の磐音は自身が藩を離れたことですべてが片付いたものと考えていたのだが、藩を出た後にも事件はまだ脈々と息づいていたことを知る。やはり藩には何か隠された事情がある模様だと知った二人は、秘密裡に事を運ぶこととした。

 

藩で起きた磐音の過去、今まで口に出すことはなかった磐音だが、両替屋の主、番頭、そして女中であり長屋の主の娘おこん、友人の柳次郎、与力の笹塚には自ら状況を説明した。そして他者から見ても磐音に対する藩の悪意はまだ終わっていないとの意見に、みずから藩政へ一歩近づく。そして読者は許嫁であった奈緒へも近づくことを祈りたくなる。

 

力強い作品の風格と、磐音の人柄に読み手も元気が出てくる。

ところで、谷原章介さん、今津屋の主の役だったんですね。私ならあの方をとまたも一人妄想が続いている。