Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#914 今年の目標は見た目に気を使う!です。~「そうです、私が美容バカです。」

『そうです、私が美容バカです。』まんきつ 著

鏡。

 

ここ数年通っている美容室の担当の方が海外へ転居されることとなった。この方は見た目もお人柄も明るく美しく、きっと海外で活躍されること間違いなし。今後の成功を日本から応援するとともに、凱旋帰国を楽しみにしている。

 

そして、この方の移転により私は美の知識を失うことに今更ながら気が付いてしまった。そもそも美容室の鏡というのは真実を映し出すというか、美しい人はより美しく。そうでない人の場合は余計に粗が目立つという悲しい事実を露呈させる魔法のアイテムである。しかしこのおかげで私にほんの少し美容への関心が芽生え始めた。ドレッサーに腰を掛けると、「今日はどうなさいますか?」と担当さんが後ろに立たれる。すると善悪というか美醜がくっきりと映し出されるので「これはまずい!」と自分の姿を修正しなくてはという圧迫感に襲われる。美容室には定期的に通うことは、美を維持する必須条件だと思うに至ったのは全てその担当さんのおかげです。

 

ということで、4月より美のメンターを失うことが確定している私としては、今後どうするべきかを考えなくてはならない。新しいサロンを探すべきか、または違う担当者さんにお願いして様子を見るべきか。とはいっても彼女レベルの方は現れないと思うので、年内は模索が続くことと思われる。

 

しかしそんな悠長なことを言っていられない雰囲気もあるので、まず手始めに化粧品を見直すことにした。お土産で頂いたものやサンプルなど、古いものをまず処分。今私にとって最も必要な化粧品はなんだろうと検索してみたら、なぜか化粧品より先にこの本が目についたという次第。やっぱり本か。本は健康と美容の素なのですね。

 

学ぶべきこと多々!まずこれ欲しいと思ったのがリバーサルミラー。

確かに鏡で見る顔と写真に映る自分って何か違う。鏡だと左右逆に映るせいもあるだろうが、恐らく顔の左右対称の歪みなんかが普段見ている鏡と異なる形で映し出されるのが原因だろう。そういえば美人の条件は顔の黄金比+左右対称度の高さと聞いたことがある。

 

さっそくAmazonでリバーサルミラーを検索して驚いた。数々の機能性ミラーの存在だけではなく、購入評の多さにもびっくり。そうか、世の美しい女性はリアルを知る努力をしつつ、メイクの質を上げているということか。本書では眉毛などのバランスを解いているが、白浮きしたり、毛穴落ちだったりも鏡一つで防ぐことができるのか。というより、普通の女性はもうこんなことは当たり前であって、知らないほうがおかしいのかもしれない。長く醜の側にいるせいで基本情報すら整っていないことに気が付く。

 

著者のすごさは美容のために徹底した情報収集を疎かにしないところだ。もう迫力すら感じるほどに美に対して貪欲。いや、美しい人はみな美に対する関心が高く、本書はそれを大げさに描いているにすぎないのかも。今、美容施設は数多く、受けることができる施術も日に日に増えている。加えて医師の力量などは今後の生活にも大きく影響を与えるだけではなく、美容施術ともなると費用負担も大きいので確かに事前にできる限りの情報を得ることは利にかなっている。

 

著者はネットで情報を得ることが多いようだが、その調べっぷりが半端ない。納得いくまで熱心に掘り下げ、調査し、時間をかけて精査し施術を受ける。私は業務上調べものは良くする方だとは思うが、こんな熱心に調べることなどまずない。関心がある分野を調べることは苦にならない場合も多いので、きっと楽しんで調べておられると思うのだが、施術の場合は理解するためのその分野の知識も必要なはずだ。きっとそういったことを学びながら、一つひとつ美の知識を増やしておられるのだろう。

 

普段、調べもせずにランキングで1位のものとか、周りの人から頂いたものなどをありがたく使わせて頂く日々だったが、これからはもっと見た目に意識を集中させなくては。とにかく、24年の目標は海外のビジネスウーマンと並んでも「仕事できそう!」に見える女性になることである。

 

本書、続編希望。

 

 

#913 大陸もの、ワクワクしますよね!~「司書正 1~2」

『司書正 1~2』丸山薫 著

蔵書楼の知識。

 

お腹がすいているわけではないのに、お付き合いでもりもりのランチを食べていたら急激に体重が増えてしまった。コロナ禍も終わりずいぶん経ったというのに全く体重が減ってくれない。これは本格的に動かなくてはと思った途端に花粉の時期となり、散歩に行くのもままならない。

 

私の花粉症は目や鼻の症状は弱く、その代わり肌のかゆみが止まらない。今年は少し早いタイミングから症状があり、これからGWくらいまで体調管理もしっかりやらなくては。

 

この頃は大陸が舞台と思われる作品が増えているなーと思いながらAmazonを見ていた時、おススメとして本書が出て来た。現在2巻まで出ているようで、ちょうど待ち時間があったので早速購入する。

 

結論から、とても面白かった。3巻目はいつ出るのかいまから楽しみである。

 

ある国に司書正という役目がある。王のみが利用が許されている蔵書楼に司書正はおり、王の知性を支えることが仕事だ。司書正には王室の血筋のある者が代々就いており、そのサポートをする側女と共に蔵書楼に暮らしている。

 

キビはある日この蔵書楼にやってきた。突然やってきた迎えに連れられ、自分が側女となることを知ったのはここに到着してからのことである。前任者よりたった一日の引継ぎを受け、キビは役目につくこととなった。

 

キビは蛮民と呼ばれる部族の出身である。褐色の肌と大きな瞳からキビが他とは姿が異なることはすぐにわかる。キビは祖母に育てられたが、祖母が他界した後、売られて街へ連れてこられた。まだ幼いキビは街で下女として働いていたのだが、こうして今は司書正を支えている。

 

司書正は実は自分の意思では息を吸うくらいしか自ら行動することがない。キビは食事、沐浴など司書正の命を支えることが仕事である。司書正とは、この蔵書楼に収められたすべての書籍を体に蓄えるものである。王がその知識を引き出したい時にのみ、司書正の中に閉じ込められている知識を取り出すことができる。そして、その王のみが司書正を動かす鍵の言葉を持っている。またキビのように決められた者以外が司書正に触れると、司書正の体はダメージを受ける。そして、一度司書正になるとその命は長くは持たない。

 

キビの可愛らしさと物語の不思議さにどんどん引き込まれあっという間に2冊を読み終えた。

 

キビの部族は時に生き物の心を読めるものが生まれてくる。キビもまさにその力を有するのだが、使い方を教わる前に祖母は他界してしまった。これからこのキビの不思議な力が物語を大きく動かすことが予想されるが、この司書正が王の血筋のものであることから、政治の話も中心になるはずだ。

 

これはきっとアニメ化+映画化されるだろうなという予感に満ちた作品。絵も美しく、大変迫力がある。世界観が「後宮の烏」にもちょっと似てるかな。

#912 人生を重ねる歌とは~「夜叉萬同心 8」

『夜叉萬同心 8』辻堂

辰巳。

 

どういうわけだか紙の本の読書が全くもって進まない。絶対にKindleが体に馴染過ぎているからだと思うのだが、Kindle Scribeを購入してからというものその勢いに拍車がかかっている。でも、読みたい本や欲しい本は紙のものも多く、早い段階で読んでいこうと思っているものの、なかなか進まないという悪循環。

 

ますます断捨離が必要と考えている。目に入って来る情報を一つでも少なくしたい。そのためには紙の本を減らす必要があるのだが、それがままならないせいか余計にストレスがたまる。ストレスがたまるのでショッピングしたくなる。キッチン道具や紙の書籍がさらに増えるばかりで断捨離は一向に進まない。4月は絶対に自制しなくては。

 

この頃は移動時間が多いので、どうしてもKindleでの読書が増える。今、味わいながら速度を落として読んでいる作品がこちら。


8巻目は辰巳芸者の話だった。辰巳芸者とは江戸にあった花街のうち、深川で芸を売っていた芸者のことを言う。江戸時代、唯一政府公認であった遊郭が吉原である。一方で非公認の岡場所も多々あった。深川も非公認のうちの一つで、遊女だけではなく芸で身を立てる芸者を辰巳芸者と言い、吉原とはまた異なる人気を得ていたそうだ。

 

辰巳と呼ばれる理由は、江戸の地図を見た時、深川の位置が東南にあることが理由である。

 

東西南北の方位と干支や方位神との関係を表している図です。

上は国会図書館のHPで公開されているものだが、下が北になっているのちょっとわかりにくいかもしれない。左上の東と南の間が辰巳である。

 

辰巳芸者のエピソードが好きで、浮世絵などでも描かれているのでつい文具などに描かれていると購入してしまう。辰巳芸者は吉原の芸者とは異なり、芸の質の高さと心意気が魅力だ。粋でかっこいいのだ。

 

江戸の職人や商人が贔屓にした理由は、辰巳芸者の生き方の潔さだと思う。芸は売っても色は売らないといい、吉原が華美に着飾り女らしさをアピールするなら、辰巳は男物の羽織を身に着け、薄化粧にくすんだ色の着物を身に着けた。外側を飾るのではなく、身から出てくる美を磨く。情に熱く、誇り高い辰巳芸者は名も男名を名乗っていた。

 

本書のタイトルであるお蝶と吉次は表紙のイラストにもあるように両方とも女性である。吉次は黒い羽織を着て川辺に立っている。本書はこのお蝶と吉次の物語である。二人は姉妹で、姉のお蝶は鍛冶屋となり、妹のお花は辰巳芸者となった。二人がこの道を進むには母親の影響が大きい。

 

母親のお笙は幼い頃に豊後節の師匠に売られ、その後豊後節の語りを厳しくしつけられた。師匠とともに日々芸を売り、どうにか暮らすことができていた。豊後節は風紀を乱すという理由で上演を禁止されていたのだが、お笙の師匠は頑なに豊後節にこだわった。

 

豊後節浄瑠璃で、心中を扱う内容が多いとのことだ。お笙は後に縁に恵まれ二人の娘を産む。お蝶とお花はともに愛らしく、夫も優しく幸せの中にあった。母親になってからは三味線を手にすることもなく、家族のために生きていた。ところがある日夫が事故で命を落とす。二人の娘をたった一人で育てなくてはならなくなったお笙は、再び豊後節を謳った。夫を亡くしたお笙が豊後節にこだわった理由がなんとなく心に浮かぶ。苦しさと寂しさを豊後節にぶつけていたのかもしれないと思うと、今度は豊後節を聞いてみたい気持ちになる。

 

他のものであれば舞台にだって上がることができる。そうすればもっと稼ぎも増えるはずだ。しかしお笙も師匠同様に豊後筋以外を演ずることはなかった。二人の娘もいつしかお笙に並び豊後節を演じるようになり、加えて二人の美しさは評判となる。

 

美しく育った娘はお笙の手を離れ、今はだた一人、夫と暮らしていたその家に居続けた。しかし一人になってからは痴呆の症状が出始め、通いの手伝いが来ているのにも関わらず、気が付くと一人で家を出ていなくなることもあった。いつものようにお笙がいなくなったあくる日、お笙は河原で倒れているところを発見されるも、すでに息はなかった。

 

同じ日、水戸藩では侍が一人いなくなるという事件が発生していた。水戸藩ではこれを秘密裡に調査するとし、江戸の下屋敷に水戸の本家より一人の武士が現れた。江戸の土地勘も人脈もなかったことから北町奉行所の奉行へ力添えを求める。お奉行の指示は七蔵へこの事件を決して表に出ることのない様に、絶対に町方が調査しているという噂が流れてはならぬというもので、七蔵は密に聞き取りのために深川を訪ねた。

 

ストーリーはいつもの北町奉行所のメンバーが中心となる調べものと、お蝶と吉次姉妹の過去に触れるものが交互に現れる。どこかで通ずる部分がありそうではあるが、なかなかうまくつながることなく進む。しかし映画を2本見た後のように、大きな嵐が去った後の余韻がいつまでも続く。

 

本シリーズも手元に残るのはあと1冊。ゆっくり味わいたい。

 

#911 遠くの世界~「聖☆おにいさん 21」

聖☆おにいさん 21』中村光 著

平和。

 

読書スピードと記録を残すスピードが全くリンクしない今日この頃。週末しっかりまとめようと思っているのに、その週末すら仕事に出ざるを得ないのでプライベートが荒んできています。

 

ということで、ちょっと癒されたい気分でマンガを読んだ。シリーズもののマンガ類は書き残さなくても良いかな?と思ったのだが、今日はちょっと思うところアリなので残して置きたい。

 

 

本シリーズを始めて読んだのは海外に在住していた頃だった。それほど宗教の規律の厳しい国ではなかったけれど、真摯に信仰に身を寄せている人が読めば大騒ぎとなるのでは?と思うくらいにギリギリのラインで宗教上の人物を登場させていたので「これは八百万の神がおわす日本ならではだわ」とちょっぴりハラハラしながらも新刊が出る度に読んできた。この頃は日本のマンガも外国語に翻訳され、海外でも販売される時代になった。加えて本シリーズはアニメや実写版の映像化された作品もあるので、海外でも知っている人が多い作品の一つだろう。

 

主人公のイエス・キリスト仏陀は、宗教の垣根を越えて現在日本でバカンスを楽しんでいる。畳に押し入れタイプの立川にあるワンルームアパートに暮らし、周囲の人々に溶け込んで楽しく暮らしている。見方によっては、外国人が日本で暮らし始めてからの「日本なにこれ」的な困ったエピソードを語る作品とも言えるが、登場人物が聖人なので現代の事情に付いていけないという点と海外生活という2重のギャップがある。

 

たまに天界から他の聖人も降りて来て、二人の生活をサポートしたりするところはとても微笑ましいし、聖人が聖人らしからぬ態度なのも面白い。

 

今回は実家のwifiの危機にて、父が天界からやってきた。イエスの父といえば神なわけだが、下界へ来る際には鳩の姿に扮してやって来る。

 

 

聖書にも表れる聖人もキャラクターにクセがあり、それぞれ聖書にある記載に基づいたトピックを誇張して表現されているので、オーバーではあるけれど納得できてしまう点もあるが、聖人だって元は人なのだ!と改めて思わされるところもポイント。

 

ところで、今回読みながら思ったことがいくつかあった。まず本書、登場人物がキリスト教と仏教が中心だが、それは日本による解釈が中心となっており、細かな流派などについては大まかに描かれている。そしてモスリムの登場がほぼ無い。これはどう考えても「触れられない」からだろう。

 

例え2つの宗教が中心であったとしても、その二つは天界においては宗教の垣根を越え、仲良く交流しているという設定がなんとも素敵。神話や偉人も含め、みなさんとても温和で和気藹々と楽しそうなのだ。天界がそうであるならば、地上もそうであって欲しいなあというのが今日書き残しておきたかったこと。

 

この頃、宗教が武器そのものになっているような事件もあり、そこに無力な人々が影響を受けざるを得ない環境にあるわけだが、それが今や普通に公の場に配信される時代となった。しかも見る側の痛覚が鈍ってきているのか、「ああ、やってるわ」と現実のこととして捉えてはいてもどこか冷めている人すらいる。世界がどんどんと身近になった一方で、あまりに簡単に残酷な様子が自分の意思に関わらず目に入る様にもなった。現実でありながらもやはり遠くで起きている事件は自分事ではないからこそ、見えてみても心が動かないのかもしれない。見える時代になったからこそ、それが目の前に置かれた理由を、見ている自分も関与していると思えるように心を動かせるようになりたい。

 

仕事のおかげで海外に知り合いが増え、実際に彼らの生活に触れる機会を持てるようになると、画面の向こうにある切り取られたシーンがぐっと身近に感じられるようになる。または実際に自分が海外に出てみると、自分のテリトリーが増えることを実感できる。コロナ禍もあり、余計に画面の向こうの世界に触れる機会が増えたわけだが、実際に接する機会を持ち、想像力を鍛えることは大切であると感じる今日この頃。

 

 

#910 1枚の写真で気が付いた体調不良。でもこれで改善します。~「白崎茶会の癒しのスープ」

『白崎茶会の癒しのスープ』白崎裕子 著

健康のために。

 

この頃あまり料理に力を入れていなかったというか、どういうわけか食べることに対する欲が薄くなり「とりあえず食べられればよい」と何のこだわりもなく目に付くものを食べて冬の間を過ごしていたような気がする。

 

ヨーロッパでは冬になると日照時間が劇的に短くなるせいもあり、気持ちが沈みがちになるというが私は至って平気だった。しかしこの冬は東京に居たにも関わらず、しかも2月くらいまでは暖冬が続いていたにも関わらず、気持ちが沈んだままだった。というのも、目に見える形でストレスが押し寄せ二進も三進もいかない日々が続いていたからだと思われる。

 

自分のことなのに「思われる」というのもなんだが、昨日やっとそれを確信する出来事があった。外国からのお客様は得意先に訪問すると会った人と写真を撮りたがる。たいてい後ほどSNSなどでシェアして下さるのだが、送られてきた1枚を見て愕然とした。私の顔と体がぱんぱんにむくみ、目は死んだ魚のようだし表情が全体的に暗い。というか一緒に映っている周りの人が元気すぎというのもあるが、自分が想像していた自分の姿と全く異なった人物がそこにいた。

 

休みがないと人は壊れる。私の場合、基本的に土日祝日は休みなのだが、海外から人が来ると業務担当上、彼らのケアをしなくてはならない。例えば飛び石連休のような時、間に1日に有休を当てて4連休にしたいと思っていたとする。ゆっくり体調を整えようとその連休をオアシスだと思いながら「あと少しで連休だ」と頑張るのだが、突然その日程でお客様が来日するという連絡が入る。そこで受けるストレス、これが本当に本当に大きくて、結局その期間中に出勤の必要が無かったとしても全く疲れが取れないどころかストレスが肥大するだけである。これが年始からずっと続いており、実際に今年のGWも休めないことが確定している。世界のカレンダーを見てみるとわかるのだが、祝日って何気に重なっていることが多い。あちらの国が祝日の時、こちらも祝日であることが多く、この頃のインバウンド人気のせいもあって休めない率が異様に増えた。しかも、それに慣れつつあった。

 

一枚の写真のおかげで異変に気付けたことを「良かった」とし、デトックスを始めようと思った時、そういえば年末に料理本を買ったんだ!とやっと購入してあった本書のことを思い出した。もう数か月前に買ったことすら忘れていたぐらいだから、いかに料理から遠ざかっていたかが思いやられる。

 

白崎茶会のレシピはオーガニックを基調としており体に優しいことが特徴である。そして初心者でもトライできるシンプルなレシピである。温かいスープで心身温めようと購入していた書籍なのに、もうすっかり春になってしまった。

 

購入した理由は、これを作りたかったからだ。

しいたけ水のスープ献立

しいたけをつかったスープ。きのこは免疫に良いと聞いてはいるが、そもそも私はきのこが好きだ。お味噌汁には絶対に舞茸を入れるし、和風パスタは大量にきのこを入れる。そして食感も好きである。きのこと一口に言っても、しいたけ、まいたけ、えのき、エリンギ、しめじ、きくらげなどなど、スーパーで簡単に手に入るきのこ類は加熱するとそれぞれの良さがぐっと出てくる。ガツンと歯ごたえのあるきのこもあれば、しゃきしゃきとした咀嚼が楽しいものもある。この頃あまりきのこを食べていなかったので、まずはこのレシピから作ってみたい。

 

そしてこの頃は出汁の素朴な味から遠ざかっていたなあと思い、まずは出汁から改めようと思うに至った。今、出汁は顆粒から液体のものまで数種があり、とても手軽に料理ができる。でも、この頃は海外でもDASHIの魅力に取りつかれた人がしっかりと手作りで出汁を取っている姿を見かけることが増え、可能な限り健康を追及するならば手作りにしたいところだ。

 

出汁と言えば、昆布としいたけと鰹節だろう。本書では昆布としいたけがピックアップされており「昆布水」として紹介されていた。

 

予約のとれないオーガニック料理教室・白崎茶会が贈る、からだにもこころにも美味しいスープの本『白崎茶会の癒しのスープ』が発売です。 |  株式会社NHK出版のプレスリリース

 

作り方は至って簡単。昆布を水で戻すだけである。これを余すところなく使い切るところが白崎茶会の醍醐味であり、健康へ寄与することも可能だろう。

 

この昆布水のようにしいたけも乾燥しいたけを水で戻して出汁とするのだが、本書ではそれらを使った数々のレシピを紹介している。

 

白崎茶会の癒しのスープ | 白崎 裕子 |本 | 通販 | Amazon

 

これは茄子のスープだが、まさに滋味という言葉がぴったりで、レシピを読むだけで味が想像でき、加えて健康になりそうな気がしてきた。

 

体調復活のため、このスープのレシピにそってしばらく生活してみたい。まずはむくみデトックスだな。

 

#909 ミッション・コンプリートなんだけど~「夜叉萬同心 7」

『夜叉萬同心 7』辻堂魁 著

過去を打つ。

 

どうにかして家の中を片付けようとしているのだが、この頃は転勤が決まった友人の話を聞きながら、自分がその立場になったつもりで処分を進めている。やっぱり問題は本の量で、Kindleの便利さに慣れてしまうと紙の書籍が面倒になってしまって未読の本が全く減らない。重さ、ページをめくるという作業、テーブルに置いて読もうとする時に何等かの支えが必要なことなどが面倒に感じるなんて、自分でもちょっと驚いているのだが、Kindleがそれだけ便利だということなんだろう。空き時間に何か読もうと思う時も真っ先にKindleを手に取るようになっているが、紙の本を読んで書店を支えたいという気持ちもあるので、やっぱり紙の本もしっかり読んでいきたい。

 

とはいえ、読みたいのはこの頃楽しく読んでいる時代小説で、やっぱりKindleを手に取ってしまった。この頃読んでいるのはこちら。

 

 

萬七蔵は今は隠密方同心として活躍しているが、隠密方に任命される前は定廻り同心であった。七蔵の昇進は早かった。そもそも定廻りも随分若いうちに抜擢されており、周囲からはやっかみもあって嫌な噂を流された。当の七蔵は周りに何を言われようと気に掛けることもなく仕事に集中していたのだが、お奉行が七蔵の腕を見込んでいるなど、気に入らないことはあるのだろう。ごますりがうまいだの、袖の下をたらふく受け取っているなど、全てが嫌な話である。

 

それはまだ七蔵が定廻りについて数か月経った頃だった。与力の家に勤める下働きの侍の事件で七蔵だけではなく北町奉行所を悩ませた大事件である。その侍は三一と言われ、身分も高くはなく与力の家での下働きをする男だった。見た目は品の良い青年ではあったが、いつも病を持つかのように青い顔色でよく得たいのしれない人物として八丁堀の中でも知られている。親しい者もいないようだが、身分の低い者へはものすごい勢いで怒りをぶつける男として嫌煙されている。

 

七蔵はお奉行より町内で起きた事件を任されていた。町民がいきなり斬られるという事件で、なかなか解決へとつながらない。手下総動員で動いていたにも関わらず、お奉行から言われた百日以内の解決は難しいと思われていた頃、七蔵の家で働くお梅が近所から聞いた噂話だと岡っ引きの嘉助へ耳打ちした。

 

なんでも八丁堀で猫が斬られるという事件があり、その犯人が与力の家の三一だという。七蔵は今扱っている事件との関係を疑いつつ、より事件を深く追おうと毎日手下たちと調査の報告を兼ねて集まっていた。

 

知恵を絞っている間にも次の事件が発覚する。そして七蔵の地道な調査は徐々に犯人へと近づいていたのだが、思わぬ方向へ事件が広がってしまう。与力の家の三一がやはり気になる七蔵は、すぐに男を追ったが結局北町奉行所は三一を逃してしまい、それが奉行所へいつまでもしこりとして残っていた。

 

三一は逃げ延びていた。再び現れたとの通報があり七蔵は捕獲に向かうのだが、やはり一筋縄ではいかない闇の中にその男は潜んでいた。

 

過去へと話題が飛びその事件を追うところから物語は始まる。そして今の隠密方へと戻りいつもの手下とともに事件へ立ち向かうのだが、七蔵の成長の様子が伺える楽しみがあった。今も昔も真直ぐな七蔵だが、やはり隠密方になってよりハードボイルドな感じがする。

 

加えてこの三一とその周りの人々の心理というか、心の動きに何とも言えない寂しさがある。寂しさが悲しみとなり、怒りとなる。またはその怒りの中に寂しさがあることを見抜く者もいる。人の心の繊細さが事件の奥に隠れていて、それが時に現れたかと思うと鬼のような顔を見せて遠くへ行ってしまう。ただただ不幸。

 

#908 おやつとは。~「美食探偵 明智五郎 2~10」

『美食探偵 明智五郎 2~10』東村アキコ 著

せんべいか大福か。

 

ものすごく大福が食べたい。つぶあんよもぎ大福が食べたい。関東暮らしで思うことは、これ!という和菓子屋さんが少ないことだ。大福もまだ夢の一つを見つけられずにいるのだが、最近大福もネットで購入可能ということを知った。というより無理と思っていた和菓子が結構な割合で冷凍配送が可能らしく、北海道から九州まで、お気に入りのお店の商品が簡単に手に入る時代となり嬉しい限り。もちろん現地でのみ購入可能な商品も山ほどあるので、今後はそれを楽しみに旅に出たい。

 

さて、この間読んで楽しかったので続きを全巻購入。大福片手に楽しく読んだ。


明智五郎は江戸川探偵事務所を運営する探偵である。百貨店を築いた一族の長男で、小さな頃から祖父とともに美味しいものを食べ歩いた。祖父は食に対する思い入れが強く、美味しいお店を見抜く力があった。

 

そんな江戸川探偵事務所の前にはいつもイチゴデリというキッチンカーのお弁当屋さんが店を開いている。小林苺という仕出し屋の娘が運営しており、明智さんはちくわの磯辺揚げが大好物。小さな頃から料理に親しんでいたため、味はなかなかのものらしい。

 

明智さんはいつもこのイチゴデリでお昼ご飯を調達している。そしてなぜか苺のことを小林一号と読んでいるのだが、読んでいるうちにどんどん違和感が無くなり、小林一号と呼ばれる度に苺が「苺です!」とツッコミいれてる感じがちょっと平成、いや昭和?っぽくって面白い。

 

そして明智さんは自分が生み出してしまった犯人を追っている。名をマリアと言う。マリアは明智さんに探偵の依頼をしてきた人物だ。夫からスパイスのような匂いがすると浮気を疑い、調査を依頼してきた。しかし夫は料理家を目指す知り合いが「味の感想を聞きたい」と昼に自宅でランチ替わりの味見を受けていただけだった。

 

しかしマリアには大きな裏切りである。なぜなら夫はいつも決まったものしか食べないので、たまに肉が食べたいといっても拒まれる。毎日魚を焼き、みそ汁を作る生活が何年も続いていた。それなのに、他人の作った料理、しかも焼き魚以外のメニューを食べている。

 

マリアは結局、自らの手で夫を亡き者とした。そして逃げ切ってしまう。明智さんはマリアを追うが、最後に彼女は海に身を投げたにも関わらず、その後マリアからはがきが届く。

 

このマリアがなんとも怪しい妖艶さというか、底が知れないところがある。謎めいた人のほうが魅力的に見えるというがまさにそんなタイプである。明智さんもマリアに惹かれているのだが、マリアの持つ悪の世界に身を落とすことができるかどうかが明智さんの未来を変えるだろう。

 

洋服も着物もマリアは美しく着こなしている。

 

豊かな黒髪がマリアのトレードマークで、堂々としていながらも品がある。マリアはその後、人の憎しみに手を貸すようになり、マリアに魅せられた人がどんどんと側に寄って来る。明智さんはそれを止めようとするが、マリアは強く己の道を進んでいく。

 

ところで、本書にはおまけのページがあり、著者の日常について描かれている。その中でこのお話がちょっと気になった。

 

著者は宮崎県のご出身で、食のこだわりなどについて描いているのだが、気になっているのはおやつの内容である。

 

なんと九州の方はあまりおせんべいを食べないらしい。そしてお餅系のおやつを食べるらしい。そういえば宮崎空港にもあるからいも団子は私もものすごく大好きでデパートの九州展などがあると必ずチェックしている一品だ。確かに九州はどこに行ってもお餅系のおやつが美味しい。

 

周りに九州の方が何人かおられるので、この件ちょっと追求してみよう。