Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#526 そんな、急に英語で会議とか言われても!!~「英語のWeb会議 直前3時間の技術」

『英語のWeb会議 直前3時間の技術』柴山かつの 著

Zoomなどを使ったオンライン会議のための英語。

 

連休前最後の出勤日、そして4月最後の営業日の本日、今ものすごく焦っている。なぜなら、昨日帰りがけに海外とのオンラインミーティングに参加するよう要請があったからだ。しかも時差も加味した上で遅めの夕方に実施と完全にGW前の楽しい気分が一瞬にして遠のくような指令である。

 

ああ、困った。このところメールのやり取りはあるとは言え、英語を話す機会がとんと無かったので言いたいことが言葉になって出てこない。しかも担当分野と言えば大枠で言えば担当なのかもだけど、今まで全く接点のなかった分野のお話を聞くらしいので、いつもの焦りより数倍わわわわわわわわわわ、となってしまった。日頃、地道にコツコツと勉強すべきだった!とこういうことがある度に激しく反省するのだが、とりあえずは迫りくる目の前のオンラインミーティングをどうすべきか。そこで、帰りに書店に駆け込み、本書を購入した。

 

本書は3時間でどうにかオンライン絡みの言葉を覚えましょうという設定になっており、カウントダウン方式で本番3時間前、2時間半、2時間、というように30分刻みで何を覚えるべきかを紹介してくれるという優れモノだ。しかも音声ダウンロードもできるのでより一層便利。

 

さて、毎度とっさに出てこないのがオンラインミーティングにつきものの「ハウリングしてて聞きにくい」とか「お声が途切れてますよー」とか、「画面オフになってません?」みたいなちょっとした言葉だ。オンラインの時はなぜか別の緊張感があり、対面でのやりとりの方が楽に感じることもある。慣れれば違うのかもしれないし、それこそ海外とのやり取りが日常茶飯事であればこんなに「困った!」となることもないのだろうけれど、英語で話すということが私の場合、相当な圧力になっているのだろう。

 

そんな、とっさの言葉が巻頭に整理されており、後半に行くにしたがって実際の会話文章でより深い説明が続く。これは会話を前提としているので、具体的な文法の説明などはないけれど、とりあえず丸暗記すれば応用が利くものが多い。

 

私はこれを昨夜3時間、音声とともに一通り練習し、移動の際など隙間時間をつかって耳で覚えようと思っている。ただ一回り声に出してリピートしたしただけなのに、日頃自分が言えずにいた文章がなんとなくイメージとして頭に残ったので嬉しい限りだ。

 

スキットは社内の会議、社外の会議、面接などがあり、大体は小売業が設定となっているので製造業の技術部門さんや専門分野の会議に参加する場合には少し物足りないかもしれない。しかし本当にたった3時間でなんとかなりそう感が出てくるのはすごいと思う。

 

一先ず、付け焼刃でどうにかしたい人は必ず自分でも声に出して文章を読むこと。同じ文章が何度も出てくるので知らず知らずのうちにちょっぴり身につくから不思議だ。ああ、これ使いたい!と思うものには私はマーカーで線を引き、必要文章をあとでまとめようと思っている。

 

私が言いたかった文章だが、「皆さん、発言中以外はミュートにして頂けますか?」と表現すれば良いようだ。ちなみに、Can everyone mute your lines when you're not speaking?で、書き起こしてみるとなんとシンプルな文章だろうと驚いた。やはり相手はお得意先だったりするので頭の中は丁寧な日本語を心がけるように脳が動いている。その普段より丁寧めな日本語を英訳しようとするから言葉が出ないのかもしれない。

 

とりあえずあと数時間。がんばって勉強します。

#525 時代小説「あるある」のワナに落ちました😢~「鬼を待つ」

『鬼を待つ』あさのあつこ 著

弥勒の月シリーズ、第9弾。

 

週末ゆっくりというか、ぼんやりしすぎていたせいだろうか。なんとなく今週は力が入らない。すでに5月病の気配が漂っているが、やっぱりGW前のせいでなんとなくやる気が整わないのだろうか。とはいえ、やっぱり月末の業務はあるわけで、明日一日しか営業日がないとなると急ぎでやるべきことは山とある。なのに、なんでしょうね、この気の抜けっぷりは。

 

そんなぼんやりが読書にまで伝染し、またやらかしてしまった。私的には「時代小説あるある」なのだが、シリーズものの巻数がわからなくて読む順番を検索する必要がでてくる。Kindleは最近とても親切なので「次に読む」として次号を教えてくれるシステムになっているものがある。が、このシリーズに関しては第5号あたりからお知らせが出てこなくなった。

 

で、この頃このシリーズのことをすっかり横に置いて他の作品を読んでしまったので続きを読もうとKindleのリストの一番上にあるものから読んだのが間違いでした。なぜなら、これ第9巻目。私が最後に読んだのがこちら。


「地に巣くう」は第6弾。7と8を飛ばしてしまった…。ああ、なんともったいないことを!しかも読み終わるまで気が付かなかったのがこれまた何とぼんやりなことか!!!

 

本シリーズは1冊で1つの事件を扱っているので、まあ読み切りと言えばそれまでなのだが、要は1冊でストーリーが完結している。ただ、登場人物の背景などはずっと継いで来ているものなので、そこだけはシリーズを追ってこそ蓄積される読書経験値となる。

 

きっと7と8を読んでいないので見落としている部分がたくさんあるはずなのだが、とは言えやはり本作も唸るほどの面白さだった。

 

今回も伊佐治親分が健在なのが何よりも嬉しい。人の心をふと温めてくれるような何気ない言葉遣いは見習いたいものだ。そして信次郎は相変わらずな自由っぷりだが、今回ばかりは狙った事件の謎が多く、少し控えめ。

 

さて、今回の事件はなんとも恐ろしい。まず、事件の発端は自ら命を絶った男から始まる。よくありがちな酒の上での喧嘩から始まり、相手に致命傷を負わせたと誤解した酔っ払いが自らの行いを悔いてのことだと事件は幕を閉じた。ところがそこから見えない糸がするりと伸びるかのように、次の事件が信次郎たちを引き寄せる。

 

まず、事件は類似性を秘めており、残虐性が見て取れる。「だれが」「なぜ」を追っていくと、やはり今回も馴染みの小間物屋、遠野屋の主である清之介に行きついた。実は清之介は事件の数日前に被害者の家を訪れていた。というのも、大型の注文があったからだ。番頭の信三を伴い向かったわけだが、その場で異様な取引を提示される。

 

清之介の出自は複雑で、武士の妾腹であったことから影の存在として育てられた。父に引き取られてからというもの、頼れるのは兄と台所を取り仕切る婆だけの寂しい生活で、婆からは耐えることを学ぶ。ところが、闇に生きる覚悟を植え付けるため、父はその恩人を切れと命ずる。そこから清之介は氷のような冷徹さで日々を耐え、一方で愛とともに生きたいという願望も膨らんだことだろう。

 

清之介が江戸に出て来たのは兄の手引きがあったからなのだが、兄は今や政にどっぷりとつかり、以前とはすっかり変わってしまったことに時の流れを感じざるを得ない。そんな清之介も今やすっかり影の存在から大店の主として商人の道を懸命に生きている。

 

しかし9巻目ともなると信次郎と清之介の信頼感も強固となり、そこに安堵するようになったのはシリーズが成熟しつつあるからだろう。とくに本巻は清之介の傷をえぐるような、弱みをついた相手の作戦に読む側も「なんと卑怯な!」と思わず声が出そうになってくる。なんだろう、ちょっと伊佐治親分が乗り移ったかのような遠野屋への肩入れっぷりがあふれ出るストーリー。

 

ああ、これもう逆順だけど7と8を早く読まなくては、ですね。いつも通りにネットで読み順を確認しなかった自分が悪いのはわかっているのだが、やっぱり並び通りに呼んでこそ!ああ、なんともったいない!これからも時代小説を読むときは順番に気を付けなくては。

 

#524 隠し味を当てる楽しみ~「口福のレシピ」

『口福のレシピ』原田ひ香 著

引き継がれたレシピ。

 

ゴールデンウィークが近づいてきたので、あれこれ何をやろうかなーと考えている。ゆっくり時間が取れるタイミングでやっておきたいことと言えば、大掃除と衣替えと包丁を研ぐこと、そして最後に断捨離がある。なかなか進まない断捨離だが、なんとなくとは言え、道が見えて来たような気がする。新しいものを買わず、まずは在庫を消費することが大切なようだ。思い切って捨てるのも手だが、なんでも簡単に捨てることにも抵抗がでてきた。当分の間、断捨離とは「簡単に買わない」がテーマとなりそうだ。

 

そういえばこの頃料理の本を読んでないなと思い、本書を読んだ。こちらもKindleのセールの際にまとめて購入したうちの一つで、タイトルの「レシピ」に惹かれた。この頃食べること、作ることがテーマの小説を楽しく読んでいるので期待しつつ読み始める。

 

主人公の留希子は長く続く料理学園の家に生まれた。今は祖母が会長、母が社長として学校経営に携わっており、以前にお世話になった食品会社の社員を引き抜き理事長の席を与え、現在は3人態勢で運営しつつもそれほど上手く行っているとは思えない。

 

一方の留希子は親に敷かれたレールを歩くような人生を否定し、現在は友人と共に都内で暮らしている。親の希望で家政科に進んだが、せめて何か技術をと卒論でアプリの製作に携わったことから、卒業後はSEとして就職した。今はそこを出て、フリーランスとして前の会社から仕事を引き受ける傍ら、和食を中心としたメニューを紹介することもやっている。

 

留希子の家というか、学園には一つ表に現れない歴史があった。昭和初期のその時代の出来事と今が行き来する設定は以前に読んだ著者の書籍に似ているかも。

 


さて、肝心のレシピだ。留希子がレシピを公開するようになったのは、SE時代に食が疎かになり体調を崩したことから、自分を鼓舞するためにも作った料理をSNSにアップすることから始まった。それが反響を呼び、いつしか数万人ものフォロワーが付くようになる。

 

留希子には家庭の味というものがわからない。というのも、父は幼い頃に他界し、母は祖母とともに学園経営で忙しくいつも一人で食事をとっていた。とはいえ、作ってくれていたのはお手伝いさんなどで、むしろ食事の内容は大変に豪華であった。お手伝いさんもやはり学園に関わりのある人で、スタッフとも言える。よって作られていた料理は学園で教えるもので、言わば留希子の家の味に違いない。とは言え、留希子は家の仕事にはかかわりたくないと距離を置く。それがある日、理事長からの連絡で留希子の人生に「家」の一部が食い込んでくる。

 

そのキーとなるのが留希子の家のレシピだ。思い出のレシピ、絆のレシピ。今ではどの家庭でも作られている「豚の生姜焼き」、それが家族を繋ぐ。確かに、生姜焼きってそれぞれの家でいろいろな工夫があると思う。どのタイミングで生姜を入れるかもそうだし、生姜を擦るかスライスにするか、甘みを何で出すか、肉の厚みで焼き方だって変わってくる。料理を習うとき、かなり初期に習うけど結構奥深いと言っても良い。

 

留希子の家の隠し味に「ああ、なるほど!」と思う。これは良くあるパターンだろう。私が今までに美味しいと思ったのは柚子を使ったレシピだ。多分ママレードとかでもいけるはず。これは本当に滋味とも言えるようなふんわりした美味しさだったので家でもたまに作ることがある。

 

ああ、やっぱり料理の本を読むと心が上がってきますね。連休が楽しみ。

 

#523 幸せの国を旅する~「未来国家ブータン」

『未来国家ブータン高野秀行 著

雪男はいるのか!?

 

週末は3回目の接種の後、久々に何もせずにぼんやりと本を読んだ。今まで運よく感染することなく過ごしているけど、今までのように旅行や外食を楽しめる日はいつくるのだろうか。海外ではマスク着用義務が解除されたなどのニュースもあるけど、個人的にはまだ早いのでは?と思ったりもする。

 

なんとなく開放的な気分になりたくて本書を読んだ。著者は世界各地の秘境を巡る書籍が多く、数多い書籍の中から本書を購入した理由はたしかKindle本のセールだったからだと記憶している。

 

旅は2010年4月に始まり、約1か月をかけて首都ティンプーを北上し、それから東へ移動する。旅の目的は結構学術的で、「生物資源を調べる」というものだ。秘境探検家である著者がなぜ?実は著者が顧問を務める会社から依頼されての探査であった。

 

ブータンといえば、幸せの国として知られる他、素敵な国王ご夫妻のイメージが強い。場所はなんとなくヒマラヤ山麓チベットの南、インドの北かな?というくらいで国の大きさや正確な位置など、改めて地図で調べるほど情報を持っていなかった。そんなゼロ状態で読み始めたので驚くべきことがあまりに多く、最後まで好奇心に満たされつつ一気に読み終えた。

 

まず、生物資源について、これは私も大変興味深い。依頼主は植物の持つ効能に注目しており、中でもまだ世に知られていない、例えば現地の伝統的な治療法など、それをブータンで探そうというわけだ。確かにヒマラヤの麓であれば、高山植物など人々が知りえない種目も多いだろう。ハーブなど、とてもとても魅力的!と、前のめりで読んでいるのだが、著者はというと神秘を探すことで頭はいっぱいのようだ。それがまた笑えてくる。

 

著者が関心を持っているのは「雪男」だ。イエティとも言うらしいが、どうやらヒマラヤ山麓の各国で雪男目撃情報があるらしい。著者の旅にはブータンの公務員の方が同行しており、通訳など大変活躍されている。その方々も最初は「え?雪男?そんなのいるわけないじゃないですか!ワハハハハハ」みたいな感じだったのに、著者とともに過ごしているうちにどんどんと神秘に引き寄せられているから楽しい。きっと著者はものすごくパワフルな方で、知らないうちに周りを説得してしまうような魅力のある方なんだと思う。

 

そして著者のキャラクターのなすところが大きいと思うのだが、人々のふれあいの中でブータンの伝統や文化について、一般人が接することができないようなことまでが記されている。きっとここまでのことを聞きだし、調べるには大変なご苦労があったはずだ。とくに祈祷など、秘められがちな文化に接近するには危険すらともなったかもしれない。民俗学的にも学びが多い。

 

不思議な植物探しは結構難航したようだ。これは使えるぞ!と思うと、すでに政府の農林省で情報を集めていたりと新しいものには出会えない。しかし生産者側に立った政府の対応や、徹底的に環境を守り抜くための政策には感心した。著者の分析によると、ダライ・ラマが提唱していた環境を保護する政策に酷似しているという。きっとダライ・ラマの考えを知った国王が政策に取り入れたのでは、ということだ。環境保全を2010年にすでにここまで徹底しているということは、むしろ未来を先取りしていたと言える。

 

仏教にも宗派があり、チベット仏教ブータンの仏教は微妙に異なる宗派となるらしい。とは言え、同じ仏教ということで、ブータン国民のダライ・ラマに対する尊敬心はかなり熱いそうだ。現ダライ・ラマは14代で、調べてみると1935年生まれとのことだ。きっとチベットのみならず、周辺国の仏教徒ダライ・ラマに特別な気持ちを持っていることだろう。

 

人々の心根がものすごく優しく謙虚で、一つ一つのふれあいのシーンが素晴らしい。幸せの国として注目されるようになり、今では多くのブータン関連の本が出ている。中でも本書はかなり早い段階でブータンを探索しているので、これから旅行する人にも楽しめると思う。

 

特に巻頭にある写真がものすごく美しいので一読の価値あり。

#522 働く同心妻!~「うちの旦那が甘ちゃんで」

『うちの旦那が甘ちゃんで』神楽坂 淳著

同心の妻が夫の仕事をサポート。

 

実はこの頃、サブスクを少し整理しようと検討していたところへNetflix業績悪化のニュースがあった。まさにそのNetflixをどうしようか悩んでいたので動向に注目している。

 

見たいジャンルの好みによってNetflixの使用率が一番高い!という人もいるだろうが、私の場合はアマプラとHulu利用率が圧倒的に高い。友人の中にあまりHuluの利用者がいないことから「何を見てるの?」とよく聞かれるのだが、私は主にCNNやBBC、そしてTV5Mondeというニュースチャンネルを見ている。あと海外ドラマを出し惜しみせず、シーズン1からしっかり流してくれているのも嬉しい。シーズンが10を超えるものなど、Netflixだと数シリーズ分の配信が無かったりするのだが、Huluは太っ腹でそれがない。全部のシリーズを見ることができる。

 

あまりに見ない日が続きうっすら存在すら忘れていた折、出張先のテレビのリモコンにNetflixボタンがあったことから久々にちょっと見てみることにした。で、結局見たのがこちら。



この作品は超絶癒されるのでおススメです。りらっくま、かわいい♡

しかし「積極的に見たい!」と思うのがこの作品のみというのはどうだろう。しばらく見ていなかったので何か新しいもので面白そうなあるはずだという期待感があったのだが、結局何度も見た本作品にしか食指が伸びなかった。確かにNetflixでしか見られない作品だけれど、このために月々約1500円というのはどうかなー。利用者が何十万人単位で解約しているのは、コンテンツに魅力を感じられないからではないだろうか。チェックしてみると北欧や南米発のドラマには少し惹かれるものがあるのでGWに一気見し、それから検討したいと思っている。

 

さて、Kindleの小説をどんどん読んでしまおうと本書を読んだ。こちらももし1巻が面白かったら続きを買おうと思っていた1冊。

 

主人公の沙耶は、同心同士親交のあった親が決めた婚姻で月也のもとへ嫁いだ。月也はぼんくらと言われているが、心根が優しく犯人にも温情を感じてしまうのが玉に瑕。同心にも多くの種類があるのだが、月也は風烈廻り同心という役職で、少ない人数で単独で活動している。風烈というからには、恐らく風が強い日に見回りを行い、火事の被害など起きないように当たるものだったと思われる。火付盗賊改のように放火犯などの巨悪犯を捕まえるための役割もあったのだろう。ただ、月也はおっとりと暮らしており、なかなか手柄を挙げることができずにいた。

 

そんな様子なので、同心の世話をする小者がいない。実力なしと判断され、あっさりみきりを付けられてしまい、何度も小者が入れ替わりしている様子だ。そこで妻である沙耶が月也を支えようと小者になる、というお話。それにしても同心妻が働いているというのも面白いが、外に出て夫を助けるというのも斬新に感じられた。

 

沙耶は機転を利かせて策を練り、最後に月也が犯人を捕まえる。沙耶は情報収集に岡っ引きではなく、街の女の力を借りる。夜鷹蕎麦屋や銭湯、高利貸し、辰巳芸者などが沙耶に力を貸し、その様子は元気いっぱいで楽しい。

 

とは言え、今まで読んだ時代小説とちょっと違うなーと感じた設定もあった。例えば、岡っ引きの扱いだ。本書では、

岡っ引きはだいたいのところがほとんど博打うちかヒモと言っていい。もともと犯罪者に顔が利くから岡っ引きになっている。だからガラが悪い。

と、ある。今まで読んできた作品には同心と一心同体で働く岡っ引きの親分がたくさんいた。伊佐治親分なんてブレインであり、機動隊であり、秘書であり、親代わりなどなど、信頼関係が完全に築けていた。


あと、親世代の存在が出てこない。同心は一代限りとはいいつつも、実際には世襲の側面が強い。沙耶の年齢は22歳とのことだから、恐らく親世代もまだまだお役目についていることだろう。夫妻はもともと同心の家の子供なのだから、親世代にゆかりのある人や、親自身が登場してもおかしくないのに生活の中に親世代の姿は見えない。

 

そして犯人が簡単につかまりすぎる(笑)捕まってもすんなり自身の罪を認めたり、月也が温情深いキャラクターであるせいか、善の目的での悪事だったりするのでお裁きの結果も緩い。そして犯人が早々に想像ついてしまったのは、きっと捕物物語の読書数が増えたことで経験値が少しあがったからだと信じたい。

 

そこが少し違和感ではあったが、まだ1巻だしこれから沙耶が陰に日向に活躍し、月也を盛り立てていく話なんだろうなと思う。コミックにもなっているようなので、時代小説の入り口としては楽しく読める作品のはずだ。

 

さて、3回目接種を受けなくては。週末はまったり読書もしくはNetflixでフランスのドラマの見納めかな。

 

#521 京野菜以外にも関西由来の野菜ってたくさんあるんですね~「すかたん」

『すかたん』朝井まかて 著

大阪で野菜を扱う。

 

昨日読んだ本の余韻のせいか、朝井まかてさんの本を読続けて読みたい気分になった。


著者の時代小説は登場人物がどれも魅力的で、人柄自体が面白い。今回の作品は大阪の天満が舞台だ。天満と言えば、高田郁さんの「みをつくし料理帖シリーズ」を思い出す。そういえば大阪に出張に行く機会はあっても天満あたりって行ったことが無かったかも。次回はぜひ大阪天満宮に行かなくては。こうして小説から行き先を選ぶことが増え、旅に楽しみが加わった。やっぱり読書っていいなあ。

 

さて、その天満に野菜を一手に集める青物問屋がある。太閤秀吉の時代からというからかなりの歴史を誇るが、中でも河内屋は市場の纏め役を担う大店だ。そこに、清太郎という息子がいる。いい年になっても家業を継ぐことよりも野菜作りのほうが楽しいようだ。

 

一方で主人公の知里は武士の夫について江戸から大阪にやって来るも、夫が突然他界する。もともと夫の縁者たちからは結婚を反対されていたので、夫亡き今は自分で生活を支えなくてはならない。そこで子供たちに字を教える仕事などをやってみたのだが、それも長くは続かなかった。文化の違い、言葉の違い、水の違い。もともとは饅頭屋の娘だったので身分の垣根はさほどないとは言え、それでも大阪は世界が異なっていた。

 

知里が教え所をクビになった日、なんと長屋に泥棒が入った。なにもない知里の家とはいえ、どうにか残してあった現金と夫がくれた簪だけは大切にしまってあったのにそれも取られてしまう。こんな時なのに大家は家賃を払えと言う。困った知里になぜか河内屋への奉公の話が舞い降りて来た。江戸へ帰るお金もないし、知里は大家とともに河内屋へ挨拶に行く。

 

老舗の河内屋には、それはそれは厳しいしきたりがある。加えて、ただの奉公かと思いきや、知里はなんとお家はん付きの奉公であった。言葉の問題だけではなく、一つ一つの所作や仕事に神経を注がなくてはならない。しかし、その厳しさから多くのことを学び、知里は成長していく。

 

さて、タイトルのすかたんだが、これはちょっと間の抜けた人のことを指した言葉のようだ。では、だれがすかたんなのか。そこがこのストーリーの面白い所だと思う。能ある鷹は爪をかくすではないが、真に世の中を見通すにはすかたんでもよいのかもしれない。

 

からっと明るく、楽しい話で大変良い気分転換になりました。とにかく野菜の知識が増えたのも良かったし、今まで関西ならではの野菜と言えば京野菜に限定されるものと思っていたけれど、昔は難波で葱が取れたのか!と久々に野菜の産地について調べたい気持ちになった。今一番気になっているのは勝間南瓜!いったいどんな味なんだろう。本書で若旦那が「うまいで」と言っていたのでぜひ食べたくなった。芋栗南瓜は積極的に試したい。ああ、久々に市場に行きたいなあ。

 

 

#520 見送る側も、見送られる側も ~「銀の猫」

『銀の猫』朝井まかて 著

老いと向き合う江戸の人々。

 

この頃すっかりネコ派になり、暇さえあれば子ネコ動画を見て喜んでいる。もともとは柴一択で「飼うなら絶対柴!」と思っていたはずなのに、ここ数年でネコ度が勝るようになった。とはいえ、今住んでいるところはペット禁止で、むしろ都内でペットOKな賃貸物件なんてそう簡単には見つからないはず。ネコと暮らしたいがために家を買うという選択すら「ありだな」と思えるようになってきたので、転勤族としてはどうなんだろう…。日本にはネコいっぱいの島があるというし、在宅勤務の際にネコが邪魔するんです!!!というのを一度でいいからやってみたい。

 

さて、本書は完全なるジャケ買いで、猫(しかも灰色というかシルバー)+朝井まかてさん=間違いない、という判断力が働いた。そしてその勘に間違いはなくものすごく素晴らしい作品だった。

 

本書は江戸時代の老後に焦点を当てた作品で、介護をする側される側、双方の心が見える。親孝行の「孝」は親の老後をみることであり、それが子の務めであったという。本当にこんな仕事があったのかはわからないが、主人公のお咲は口入屋の鳩屋から「介抱人」として仕事を請け負っている。介抱人はふつうの通い奉公よりは給金も高く、大工ほどの金額になるという。

 

お咲が介抱人の道に入ったのは、離縁された養父の看病をしたことにあった。夫だった男の家は長屋などを管理する実入りの安定した家だった。茶屋で見染められたお咲は、養母の反対はあったとはいえ結局そこに嫁いだのだが、夫もすぐにお咲に飽き、養母もつらくあたってくる。唯一優しかった養父の傍で介抱を通して心が温まる時を過ごせたことが、お咲には宝として心に残っている。

 

お咲の母、佐和は妾奉公をするほどの美貌ではあるが、着飾る以外に家のことは一切やらない。佐和の実家はそれなりに財のある家だったが、両親が他界し、そんな折にあっさり騙されて無一文となる。お咲は祖父母のもとで働いていた老夫婦のもとで育てられ、佐和とは年に数度会う程度だった。

 

お咲の離縁のきっかけは佐和にあった。派手好きの佐和は金もないのにあれこれ買い込む。妾としても放り出されてしまうほどに金を使うくせに、それ以外のことには一切かかわろうともしない。そんな性格だから後先考えることもなく、誰彼にでもたかるのだ。その相手が娘の嫁ぎ先の舅であろうとも、佐和は無心した。これが露呈し、お咲は離縁を言い渡される。どんなに養父が「あれはあげたのだ」と言ってくれても、お咲は家から出される運命だったのだろう。

 

養父はお咲が家を出てから1年ほどで他界した。最後まで看病できなかったという思いがお咲を介抱人にしたのだろう。常に養父から譲りうけた銀の猫の根付をお守りとして肌身離さず持ち歩いている。養父の介抱をするつもりで、行く先々で病気の人を助けてきた。お咲の介護はされる側が心地よく過ごせることはもちろん、でしゃばることなく、親身に尽くす。お咲の心根が届くのか、評判が広がり町人からお武家まで、お咲の介抱の手は伸びていく。

 

介護は、時代に関係なく、考えると重い気分になる人もいるだろう。いつまで続くかわからないケア、24時間いつ何が起こるかわからない緊張感と数多くのケアの手を必要とする病人に寄り添うことで、看病する側の心身も蝕まれていく。それは江戸時代も同じことで、むしろ病院や施設への入院ではなく、自宅でその時が来るまで床につく。自分の親の世話を他人に頼むなど考えられないことであったのならば、今よりも酷な環境だったかもしれない。お金が無ければ治療もできず、落とす必要のない命が無残に消えたこともあったかもしれない。

 

介護される側も思うところがあるだろう。できるならば周りに迷惑かけたくないと誰もが思うに違いない。もしくは、意趣返しでとことん嫌がらせしてやろう!と思う場合もあるのかもしれないが、どちらにしても自分の体の自由が利かなくなれば、どうしたって人や物にあたってしまうこともあるだろう。今であれば施設があり、幾分看病する家族の手は楽になるかもしれないが、看病される側は寂しさや痛みや苦しみとの闘いの場に愛する家族さえいてくれれば耐えられるのにと思うかもしれない。いずれにしても、その立場にならなくてはわからないし、人の数だけパターンがあるのが介護というものだろう。

 

終始、ぐっと引き付けられるストーリーだった。お見送りすること、お別れすることとはどういうことであるかを考えさせられたし、特に愛する人を送ることへの想いがとてつもなく切ない。残される側はどうしたって寂しさも募るし、不在を思い涙するだろう。そしていつか自分も送られる側になる。最後に往生訓として鳩屋監修で読み本を作るシーンがある。1日でも多く、1度でも多く、互いに笑顔を浮かべて見送り見送られるるようにという言葉に、いつか自分がその立場となったなら、温かいもの失わず、心通う時を一瞬でも共有できるように楽しく養生させてあげたい。おもしろかった!と読み終わった本を閉じるように人生を終えたい。お咲の住む長屋にも猫が現れる。一つ一つのふれあいが多くを象徴していることも見逃せない。

 

このところ、偶然とはいえ生死に関わる小説を続けて読んでいる。こちらは生から命のつながりについてを感じられる作品だ。

 


著者の作品は本書で5冊目くらいかな?今までで一番感動した作品となった。