Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#520 見送る側も、見送られる側も ~「銀の猫」

『銀の猫』朝井まかて 著

老いと向き合う江戸の人々。

 

この頃すっかりネコ派になり、暇さえあれば子ネコ動画を見て喜んでいる。もともとは柴一択で「飼うなら絶対柴!」と思っていたはずなのに、ここ数年でネコ度が勝るようになった。とはいえ、今住んでいるところはペット禁止で、むしろ都内でペットOKな賃貸物件なんてそう簡単には見つからないはず。ネコと暮らしたいがために家を買うという選択すら「ありだな」と思えるようになってきたので、転勤族としてはどうなんだろう…。日本にはネコいっぱいの島があるというし、在宅勤務の際にネコが邪魔するんです!!!というのを一度でいいからやってみたい。

 

さて、本書は完全なるジャケ買いで、猫(しかも灰色というかシルバー)+朝井まかてさん=間違いない、という判断力が働いた。そしてその勘に間違いはなくものすごく素晴らしい作品だった。

 

本書は江戸時代の老後に焦点を当てた作品で、介護をする側される側、双方の心が見える。親孝行の「孝」は親の老後をみることであり、それが子の務めであったという。本当にこんな仕事があったのかはわからないが、主人公のお咲は口入屋の鳩屋から「介抱人」として仕事を請け負っている。介抱人はふつうの通い奉公よりは給金も高く、大工ほどの金額になるという。

 

お咲が介抱人の道に入ったのは、離縁された養父の看病をしたことにあった。夫だった男の家は長屋などを管理する実入りの安定した家だった。茶屋で見染められたお咲は、養母の反対はあったとはいえ結局そこに嫁いだのだが、夫もすぐにお咲に飽き、養母もつらくあたってくる。唯一優しかった養父の傍で介抱を通して心が温まる時を過ごせたことが、お咲には宝として心に残っている。

 

お咲の母、佐和は妾奉公をするほどの美貌ではあるが、着飾る以外に家のことは一切やらない。佐和の実家はそれなりに財のある家だったが、両親が他界し、そんな折にあっさり騙されて無一文となる。お咲は祖父母のもとで働いていた老夫婦のもとで育てられ、佐和とは年に数度会う程度だった。

 

お咲の離縁のきっかけは佐和にあった。派手好きの佐和は金もないのにあれこれ買い込む。妾としても放り出されてしまうほどに金を使うくせに、それ以外のことには一切かかわろうともしない。そんな性格だから後先考えることもなく、誰彼にでもたかるのだ。その相手が娘の嫁ぎ先の舅であろうとも、佐和は無心した。これが露呈し、お咲は離縁を言い渡される。どんなに養父が「あれはあげたのだ」と言ってくれても、お咲は家から出される運命だったのだろう。

 

養父はお咲が家を出てから1年ほどで他界した。最後まで看病できなかったという思いがお咲を介抱人にしたのだろう。常に養父から譲りうけた銀の猫の根付をお守りとして肌身離さず持ち歩いている。養父の介抱をするつもりで、行く先々で病気の人を助けてきた。お咲の介護はされる側が心地よく過ごせることはもちろん、でしゃばることなく、親身に尽くす。お咲の心根が届くのか、評判が広がり町人からお武家まで、お咲の介抱の手は伸びていく。

 

介護は、時代に関係なく、考えると重い気分になる人もいるだろう。いつまで続くかわからないケア、24時間いつ何が起こるかわからない緊張感と数多くのケアの手を必要とする病人に寄り添うことで、看病する側の心身も蝕まれていく。それは江戸時代も同じことで、むしろ病院や施設への入院ではなく、自宅でその時が来るまで床につく。自分の親の世話を他人に頼むなど考えられないことであったのならば、今よりも酷な環境だったかもしれない。お金が無ければ治療もできず、落とす必要のない命が無残に消えたこともあったかもしれない。

 

介護される側も思うところがあるだろう。できるならば周りに迷惑かけたくないと誰もが思うに違いない。もしくは、意趣返しでとことん嫌がらせしてやろう!と思う場合もあるのかもしれないが、どちらにしても自分の体の自由が利かなくなれば、どうしたって人や物にあたってしまうこともあるだろう。今であれば施設があり、幾分看病する家族の手は楽になるかもしれないが、看病される側は寂しさや痛みや苦しみとの闘いの場に愛する家族さえいてくれれば耐えられるのにと思うかもしれない。いずれにしても、その立場にならなくてはわからないし、人の数だけパターンがあるのが介護というものだろう。

 

終始、ぐっと引き付けられるストーリーだった。お見送りすること、お別れすることとはどういうことであるかを考えさせられたし、特に愛する人を送ることへの想いがとてつもなく切ない。残される側はどうしたって寂しさも募るし、不在を思い涙するだろう。そしていつか自分も送られる側になる。最後に往生訓として鳩屋監修で読み本を作るシーンがある。1日でも多く、1度でも多く、互いに笑顔を浮かべて見送り見送られるるようにという言葉に、いつか自分がその立場となったなら、温かいもの失わず、心通う時を一瞬でも共有できるように楽しく養生させてあげたい。おもしろかった!と読み終わった本を閉じるように人生を終えたい。お咲の住む長屋にも猫が現れる。一つ一つのふれあいが多くを象徴していることも見逃せない。

 

このところ、偶然とはいえ生死に関わる小説を続けて読んでいる。こちらは生から命のつながりについてを感じられる作品だ。

 


著者の作品は本書で5冊目くらいかな?今までで一番感動した作品となった。