Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#928 大阪は京橋~「グランドシャトー」

『グランドシャトー』高殿 円 著

昭和の大阪。

 

今、2台のKindleを愛用している。普段持ち歩いているのはPaper White、大き目画面のScribeはマンガや洋書を読む時に利用中。そろそろScribe内の整理もせねばとあれこれチェックしていたところ、なぜか本書がマンガの並びに紛れ込んでいた。恐らく表紙の絵にマンガだと錯覚したのかも。まあ、せっかくだからと読み始めた。

 

まず、グランドシャトーは戦後に大阪でスタートしたキャバレーだ。キャバレーとは、フランスのムーランルージュのように舞台があってショーが披露されるのが特徴である。日本の場合も同様に広がっていったそうなのだが、本書によると大阪がスタートとのことだ。

 

グランドシャトーは大阪の京橋にある。戦後、日本人の生活は困窮していた。例え商いの町、大阪であってもそれは同じことで、グランドシャトーのある京橋付近は爆撃により跡形もなくなったらしい。戦後、グランドシャトーは遠目には豪華客船にも見える明るいネオンと大きな佇まいで大阪でも知る人のいないキャバレーとなる。

 

このキャバレーに流れ着いたのがルーだ。ルーの本名を知る者は誰もいない。ただ、悲しい過去があるというのみが知られている。大阪に出たルーはなかなか仕事も得られず、キャバレーで働き出すもうまくいかなかった。気性が激しく、すぐに争ってしまうのだ。そんなある日、グランドシャトーの前で出会った不思議な女性に引き込まれ、その建物へと足を向ける。

 

出会った女性は真珠と言い、グランドシャトーのナンバー1だった。真珠は大企業の管理職の月給以上を一日で稼ぐほどの人気であった。最初ルーはグランドシャトーの寮で暮らしていたのだが、喧嘩で寮を追い出された。そして真珠と二人での長屋暮らしが始まる。

 

本書の時代設定は昭和20年代から平成10年くらいまでだろうか。その情景が浮かぶような暮らしに関する描写がなんとも切ない。水商売というだけではなく、戦争を乗り越えてすぐの人々の心の様子が明るくふるまう中でも、ふと寂しさとして読者の心にも影を落とす。決して知りえない戦後の日本の様子なのに、気が付くとまるで自分の過去に触れるかのように感情移入していた。

 

高度経済成長期の日本の様子、バブルがはじけた頃の様子、それがルーの目を通して描かれている。負けず嫌いで、サバサバした大阪のおばちゃん風なルーではあるが、真珠を守ろうとする姿、故郷が無い者への行き場所を作ろうと思う優しさが交互に見えてくるところが本書の魅力。そして、この小説をもし英語に翻訳するならば、フェミニズム小説として分類することもありうるなと思えてきた。戦後の混乱の中で、女性がどのように生き抜くか。性と生のゆらぎに立たされている側の気持ちはストレートには語られていない。しかし登場人物はキャバレーで暮らす源氏名で生きる人々で、自分の本名を名乗っていた頃の辛さを隠蔽するかのように、最後まで正体がよくわからない。そのグレーさがフェミニズムとも言えるような気がしている。日本語で読むと、テンポの良い大阪弁がコミカルに読めてしまうが、多言語に置き換えることを考えると「女性の生き様」はもしかすると別のメッセージを含むかもしれない。

 

なんだろう、成功モノではないけれど、大阪舞台の朝ドラ見たような気分になったかな。もう少し読みたいと思わせるところも似ているかも。

 

#927 マンガでも深みを知れる建築のお話~「一級建築士矩子の設計思考 2~3」

一級建築士矩子の設計思考 2~3』

亀戸。

 

この間読んで面白かったマンガの続き。

 


2巻目と3巻目は素人目にはより建築に近い内容となっており、1ページあたりの情報量がとにかく多い!下地の白さがめったに見えないほどにぎゅっと内容が詰まっている。

 

建築士になるには国家試験を受けねばならず、独学でがんばる人もいるが多くは学校で学ぶことを選択するようだ。大学の学部にも建築学科はあるしね。しかも試験は2度行われ、座学と実技に分かれている。実技というのは実際に図面を引くもので、この段階で落ちてしまう人もいる。

 

1級建築士ともなるとその倍率も非常に高く、しかも実地経験が伴って初めて「一級建築士」を名乗ることができる。

 

最初は「いつか家を持つときのための予備知識を得たい」くらいの気持ちで読みはじめたが、2~3巻は圧倒的に建築の知識を持っているor日々建築に熱く思いを寄せている人こそ読んで楽しい内容だろう。

 

たとえば、マンションのリモデリング管理の問題。消防関連の決まり。家を建てる時の法律などなど。マンガでありながらも結構なエリアまで突っ込んだ内容となっているので、1冊読むにも時間がかかるし得るものも大きい。

 

矩子は亀戸に事務所を構えているのだが、このエリアでの食べ歩きの情報もなかなか興味深い。亀戸は時代小説での登場も控えめというか、あまり舞台として選ばれることが無かったように感じるが(私がそういった作品を読んでいないだけの確率も大)、今の亀戸は本書を通してみる限りお酒好きの方なら楽しめるエリアと言えそうだ。東京にもクラフトビールがこんなにあるとは知らなかった。

 

少しずつ読んだ本の内容を記録したいのだがなかなか進まないのでGWに一気に書き残す作戦に出ようと計画中。

 

 

 

#926 全方向に謎が。得体の知れない世界観に好奇心が疼く~「三体」

『三体』劉慈欣 著

中華SF

 

いつの頃からだったかはっきり思い出せないが、地名や人名はできる限り現地の言葉で表記しようという動きが始まった。例えば、中国語の固有名詞を現地の読み方に合わせる。しゅう・きんぺいではなく、シー・ジンピンのように母語音に歩み寄った表記を選択することとなる。

 

普段中国語の音に慣れていれば、さっと変化に対応できたであろう。ところが私にとっては大混乱以外の何物でもなかった。まず、中国の音読みをアルファベットで表記する場合、香港がHong Kongとなるのはわかる。上海がShang Hai、これも想定内だ。だが山東はどうだろう。私はこの地名をサントウと読んでいた。しかし新表記ではこの地名はシャンドンとなり、英語表記ではShan Dongである。私の混乱のもとはこの英語表記で、既知の知識がまっさらになったも同然。

 

本格的に危機感を感じたキッカケはXianであった。まず、発音できない。中国語のアルファベット表記には子音が多くあり、日本では使わないXなども多用される。Xianも頭の中に音が浮かばなかった。かろうじて前後の文脈から地名であることはわかったが、話はどんどん進み、結局半分以上理解することが出来なかった。Xian、西安である。

 

もうずっとずっと前のこと、アメリカの書評サイトを読んでいて本書が大変面白いという記事があった。世界観が変わるというコメントに早速英語版を購入しようとAmazonでサンプルを読んで「ああ、忘れてた」と一気にトラウマの世界に引き戻された。中国独自の表現が英語になった途端、難易度が何倍にも膨れ上がり、最終的に日本語翻訳を待とうと決めたわけである。

 

翻訳版は思ったよりも早い段階で販売された。アメリカでもかなりの話題になっていたことや、中国語だけではなく英語版からも和訳作業に迫れることからか、作業ピッチも速かったと推測される。確かコロナ禍の頃、早速Kindleで購入したのだが同時にものすごい量の書籍を購入していて、本書もKindleの海のどこかにひっそりと沈むこと約3年。このほどNetflixでドラマ版が放送されたと知り、早速書籍を読むことにした次第である。

 

これは完全なる偏見だが、漢字で本確定なサイエンス・フィクションなんて無理に近いと勝手に想像していた。漢字は美そのものと考えているし、その表現力は唯一無二の豊かさがあると信じている。その信念がむしろ1文字の漢字が想像力を高めすぎて読者に深読みをさせるのでは?という懸念につながっていた。英語でrightと言われて、「右」や「権利」くらいの想像は可能だが、「陽」という一字に、漢字を使う人ならば次々と頭の中に言葉やイメージが浮かぶだろう。

 

加えて、最新の科学はカタカナ語が多い。つまりは外来語なわけで、西周が外来語を日本語に置き換えたように、令和の今も誰かが新たな和語を作る作業は行われない。秒単位で新しい知識が生み出される今では、その作業をしている余裕もないだろう。

 

しかし、本書はもうその漢字があるからこその深みが「謎」を圧倒的なwonderの世界に導いていた。そもそも三体とはなんだろう。英語タイトルはThree Body Problemで、この三体が問題であることまでは想像がついた。

 

時代は文革。圧制により弾圧された中国の知識人、葉文潔は幼い頃に物理学教授であった父が学内で弾圧により惨殺される場を目撃している。母親と妹は父親の側に立つのではなく、保身のために父を弾圧する側に加担していた。文潔の心は崩れ、すべての希望を失う。そしてその汚れた考え方を修正すべく、軍政府の北部開拓団へと送られた。

 

もともと文潔は天文学を専攻しており、すでにいくつかの論文で知られる存在であった。その知識が、彼女を過酷な労働から天文学の世界へと引き戻す。そう、宇宙開発である。北部の開発知識には一際大きな施設があった。なにか不気味な音を立て、その音が鳴り始めると鳥が一斉に森から離れて行く。文潔はこの施設に連行された。そして施設のプロジェクトの名を知る。ここは紅岸基地と言い、宇宙に他の文明や生物が存在するのかを探るために日夜研究に勤しんでいると言う。文潔はここのメンバーとして働き、一歩も外に出ることが許されずに一生を終えると思われていた。

 

しかし時の流れに従い、文革の力は和らぎ、この研究自体にも重きが置かれなくなる。そして今、40年後の文潔は老年となり父が務めた大学で教鞭をとっていた。

 

前半は文潔の歴史である。この人物がどのように学問を納め、研究を進め、今こうして北京に戻ってきているのか。数十年を経て、彼女は何を得、何を捨てたのか。

 

文潔が戻った街では、汪淼という学者がナノマテリアルの研究を行っていた。彼も若き日の文潔のように研究に人生を捧げていた。それがある日、唐突に謎の世界へと導かれる。自らとは関係のないはずの事件のはずが、どんどんと深みに引き込まれていく汪淼。

 

この文潔と汪淼が主人公となり、三体とは何者であるかが解かれていく。その過程がハリウッドなどの西洋を背景にしては決して描かれることなどないであろう壮大な世界観を与えている。光と闇ではなく、陰陽のようなもっとどっしり重くて謎めいたもの。

 

まだNetflix版を見ていないのだが、本書はシリーズ3までが書籍版として発売されているはずなので、映像より先に書籍を楽しむことにしたい。これは単なるワクワクではなく、不安と期待が共生するダイナミックな好奇心。

 

#925 いつかは自分の城を持つ!~「一級建築士矩子の設計思考 1」

一級建築士矩子の設計思考 1』鬼ノ仁 著

家について。

 

4月は異動の時期であり、移動が増える。会社によって内示のタイミングは異なるし、最近は敢えてこの時期の異動を避ける会社もあると聞く。しかし公務員の方々はたいてい4月が人事の時期だからやっぱり4月は人が動く。日本の場合、本腰入れて仕事に掛かる体制が整う頃にゴールデンウィークがある。転勤してきた方もやっと一休み付けるタイミングかと思うが、今年はコロナ禍の反動もありGWは賑わいそうな予感。

 

この頃「将来どこに住む?」という話をする機会が増えた。本当は若いうちにがんばって家を買っておくべきなのかもしれないが、転勤族はそれがなかなか儘ならない。持ち家があることで転勤対象から外れるように配慮してくれるなんてことは無いし、持ち家があるためにフットワークが重くなる場合もあるだろう。しかし、この頃は家があればなあ、なんてことを考えるようになった。

 

そもそもは周囲の外国人が立て続けに家を買ったことが持ち家を考えるキッカケとなった。日本に住み始めてからの期間も長く、すでに永住権を取得し、着々と準備を進めていた人も多く、日本人の私がいつまでも賃貸で良いのかな?など考え始め、今まで支払った家賃だけでも結構な金額だったりするぞと俄然持ち家が欲しくなってきたのだ。ローン組むならやっぱり若いうちだなーとか、東京もどんどん地価あがって来ているしやっぱり今か!など買うべき理由も多々あるのだが、「どんな生活がしたい?」が具体化していないせいで二の足を踏んでいる。

 

それにしても、日本はものすごく簡単に永住権を与えるようだけれど、それでいいのか?という別の問題で悶々としている。というのも、どう考えても不正しているような人があっさり「永住権持ってます」と言うのを聞き、国益になる人物かどうかをもっとしっかり調べて欲しいと切望する。

 

持ち家について考えていた時、たまたま本書が目に入った。今なら1巻目が無料で読めるとのこと。早速ありがたく拝読。

 

主人公の矩子は一級建築士の資格を取得し、今まで勤めていた建築事務所から独立した。もとは飲食店だった所で建築事務所兼立ち呑み屋を運営している。事務所のお隣にはスナックがあり、たまにマダムが遊びに来る。まずはこのマダムの弟さんの物件の話からストーリーはスタート。

 

弟さんは地元に家を建てる予定があり、図面が上がったと姉に連絡をした。なんとなくその話を矩子に伝えると、ぜひ図面が見たいという話になり、さっそく披露することとなった。その図面を見た矩子は、この物件の危なさを建築士の立場から具体的に説明し、マダムはそれに大変驚く。

 

このマダムの服装といい、むやみに汗だくなところといい、なんとなく内容に期待できない感を抱いていたのだが、読み進めるうちに理由がわかった。服装はスナックらしさだけれど、この汗だくな理由はマダムが地震を経験していたことに由来する。住んでいた家屋が倒壊し町が廃墟に化した記憶が、矩子の言葉に「危険な家」を連想させたからだろう。

 

家はまず安全であるべきで、そのために多くの決まり事がある。建築だけではなく管理についても紹介されており、内容は結構重厚だ。そして建築家ってかっこいい!なイメージがますます高まるストーリーとなっている。

 

家は一生ものの買い物である。高額だし簡単に買い替えることができない。万が一リフォームで心機一転を図ろうとしても、掛る金額は数百万ならまだしも、数千万掛かる場合が殆どだ。建築について知っていれば、自分が家を持つときに避けるべきことや加えるべき点が見えてくるだろう。そんなさわりを知るにふさわしい一冊。

 

#924 わっぱに憧れます~「まんぷく弁当瞬間ダイエット」

まんぷく弁当瞬間ダイエット』松田リエ

弁当。

 

代謝の悪さを実感する今日この頃。思えばコロナ禍から体重は増える一方で、この体重の増加に反比例して体を動かす時間が減っている。お天気も良くなり、そろそろひのき花粉も遠のいてくれるはずなので、GWあたりからは意識して外に出たい。いや、出かけなくてはならないほどに体調が悪い。

 

不調はいろいろなところに現れており、自己診断すると全てが太り始めてからのことである。ネット情報を鵜呑みにしてはいけないが、代謝が悪いことで自律神経にも悪影響を与えているようだ。全ての悪循環の根源は体重増加。ということで、本書を読んだ。

 

本書を購入した理由は、以前に呼んだ献立関連の内容が良かったからだ。

 

 

↑ こちら、大変学びが多かった。なにを食べるべきか、何を食べてはならないのかがよくわかる。ただ一つ欠点があるとすれば、生活パターンによっては著者の提唱するプランは実現し難いということだ。

 

早朝出勤を心がけているので、たいてい5時台には家を出る。始業前の時間は集中力も高まり、この数時間だけでかなりの業務をこなせることから本当はもっと早くに出勤したいくらいだ。5時台に家を出るので4時台には起きるけれど、どんなに朝型とは言え、この時間に何かを食べたいとはどうしても思えない。しかも↑で紹介されているような立派な朝ごはんを作る余裕+食べる余裕を作るために3時台に起きることも考えたけれど、なんだかそれも非効率的な気がして断念。

 

そして夜。遅くに帰った日には作る気力が皆無なことも多く、一度作り置きなんかも試してみたけれどなかなか減らない。著者のレシピは料理に慣れていない人でも十分簡単に作れる内容になっているが、例えそうだとしても、家で食べることすら叶わない場合も多く食材が無駄になってしまう。

 

そこでランチに適用できるものがあればいいのに!と思っていたら、本書が登場!きっと同じ様な考えの人が多かったんだろうなあ。

 

本書は前半に読みものとしてダイエットに必要な食べ方を教え、それから見開きでお弁当の写真とともにレシピを公開している。

 

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このようにお米と3種程のおかずが1つのお弁当箱にキレイに盛り付けられている。こちらは著者のHPからのお写真だが、実際に書籍で見ると丁度真ん中のお弁当の写真のところが見開きの中心にあるので、お弁当箱全体があよく見えないものもある。

 

とはいえ、掲載されているレシピは1週間 x 3パターンなので、内容は他のお弁当レシピ本よりも多いかもしれない。あとは時短+エンゲル係数低めというのもありがたい。

 

さて、ここで私が問題とするのは手持ちのお弁当箱である。わっぱ、憧れるけれど扱えるかなあ。あとレンジできないしなあ。と今後のお弁当箱そのものについても考えなくてはならない。

 

そろそろランチ外食減らしてお弁当に戻すとするか!

 

#923 ローカル飯と聞いて最初に頭に浮かぶはやはり魯肉飯!~「行かなくちゃ、台湾」CREA 2024年春号

『行かなくちゃ、台湾』CREA 2024年春号

台湾。

 

春になると人の移動が多いことに加えて、そこに海外からの旅行客もやって来ているので、この頃はいつもより多めに待機時間を取っている。例えば、外出の際に手土産用のお菓子を買う時。買う物はいつもたいてい同じなのだが、レジまでたどり着く時間がかかってしまったり、そのいつもの品が売り切れていて急遽別のお店に走ったり。とまあ、人が多いのです。

 

しかし皆さん本当に日本を楽しんでおられる様子で、そんな旅行客を見ていると自分も旅に出たくなった。先週末は月曜日に出張予定があったので、土曜日から現地入りして少しだけゆっくりすることができたのだが、できれば海外に行きたいなあ。

 

そんな思いで書店をふらふらしていた時に本書が目に入った。すぐに購入しようと思ったのだが、荷物が重すぎて断念。改めてAmazonでチェックしてみると、なんとKindle Unlimitedでも読めることがわかり、さっそく読み始める。

 

それにしてもCREAの写真は本当にきれい。より台湾熱が高まるというものです。

 

さて、こういう雑誌が有難いのはやはりなかなか知り得ない現地のショップ情報があることで、SNSでの情報よりもなんというか「王道」感がある。あまりハズレが無いし、こうして雑誌に出ることで実際に行ってみた人の投稿も増えるので、初期の情報は雑誌を選ぶことが多い。

 

今回も食品は抑えておきたいよね、ということでいろいろ見ているのだが、今回に至っては掲載されている店舗全部行きたい!!!先ほども書いたばかりだが、写真がどれも素晴らしくて全ての食事が輝いている。

 

これは個人的な好みでもあるが、ローカルフードの紹介の中で魯肉飯vs牛肉面の対決があった。麺より米が好きなことと煮卵の存在の大きさに1票ということで、私は俄然魯肉飯派である。見てください、これ!

 

 

この1ページのためだけにでも魯肉飯派なら本書をお手元におくべきと考える。

 

台湾を訪れた回数はそう多くはないが、それでもいつも必ず押さえておきたいショップは多く、そう考えると3泊とか4泊では回り切れない。これ、どうしたら良いのでしょうね。

 

台湾から受けている多くの友情を何等かの形でお返ししたいので、台湾で最初に覚えた言葉は多謝。コロナ禍以降、一度も訪れることができずにいるが、この上半期にどこかのタイミングで訪れたい。今から計画しなくては!

 

 

#922 エッセイの女王(マンガ作品もおもしろいよ!)~「貧乏ピッツァ」

『貧乏ピッツァ』ヤマザキマリ 著

イタリア。

 

たまにエッセイを読みたくなることがある。エッセイの良い所は4コママンガのように短いストーリーではありながらも水面下で綿々と舞台がつながっているところだろうか。そこだけ読んでも面白いけれど続けて読むともっと面白い。そして1章完結なところが乗り換えの多い移動にはもってこいだ。短期集中型で読み進められるので、気持ちが書籍から離れることなく楽しく読み続けられる。

 

没頭できる小説を読みながらの乗り換えの多い移動というのは苦痛そのもので、話に集中すれば乗り間違えるし、乗り換え駅を気にしていると走り読みしてしまってせっかくの楽しいストーリーなのにもったいなく感じてしまう。

 

ということで、本書を読みながら実に4回も乗り換えのある距離へと出かけて来た。食のエッセイをお供に電車に乗るのは大変楽しい作業である。自分が住む地域とは異なるエリアへ出かける楽しみの一つに食があり、おいしい食事との出会いのおかげで旅や出張がより充実したものとなる。そんな期待を込めつつ読んだ本書は過激な食レポぐらいのインパクトがあった。

 

本書を読む前に、こちらにも目を通しておくとより本書の満足度が高まるだろう。


著者はイタリアで絵を学び、現地に長く滞在していたことで有名だ。イタリアをテーマにした作品も多いし、イタリア人のご家族のお話が描かれた作品は本当に笑えるので私のお気に入りの一冊だ。今日本で「イタリア」と聞いて連想する人ベスト3に著者が入っていると言っても過言ではないだろう。

 

著者は漫画家としてデビューし、その間に綴っておられたブログを読んでいたことがあるが、それは衝撃的なほどに面白かった。漫画家さんなのに文章も最高に面白い。「テルマエ・ロマエ」が大ヒットとなった後エッセイなどでも活躍するようになられたが、あのブログを読んでいたファンとしてはもう当然至極である。

 

物を見る視点と考察が独特で、それを文章にするという能力がまた素晴らしい。誰もが著者=イタリアという関係性を知っている中で「パスタ嫌い」「貧乏ピッツァ」とどこかイタリアの代表的な食事をディスるようなタイトルではあるが、決して辛辣ではなくどこかにユーモラスを秘めたブラックジョーク的なタイトルもまたすごい。

 

ということで、貧乏+ピッツァという単語2つが何を表すかというと、まずPizzaはピザではなくピッツァであり、地理的に南北に細長いイタリア半島では地域によってこのピッツァに違いがあるというお話だった。アメリカに渡ったイタリア人がピッツァを広め、今やアメリカ人の国民食的な立場にあるが、あの厚めのクラストで「シカゴ」の名前を背負ったボリュームたっぷり感はイタリア南部でよく見るタイプとのことだ。南部は比較的貧しいらしく、小麦粉をパンのように厚めに作ることで満腹感を与える。一方で北へ行くと薄いクラストに取って代わる。更には具材もより高級感が増す。北部では具材を楽しむための受け皿的な役割に過ぎないクラストは、厚くなればもそもそと具材の邪魔をするので、耳の部分も食べない。

 

著者は絵を学ぶ学生時代、生活するにも一苦労だったそうだ。一人でも大変なのに詩人の彼がいて、これまた自称「文化人」あるあるだが一切働かない。学費の捻出、生活費の捻出も大変だっただろう。そのうちに著者はイタリアでの生活苦を乗り越える貧乏飯に行きつく。それが具がほぼ無いニンニクとオリーブオイルと塩だけのパスタだったり、お腹にたまるピザだったりするわけだ。

 

日本に帰国した著者は、日本のイタリアンの価格に驚く。ご自身がイタリアでお金が無くて食べていた具無しのスパゲティが単価の数十倍で売られており、それを恭しくありがたがって食べる日本人。そのうちテレビに出るようになり、ご自宅で簡単に安く作れるイタリアンを紹介するが「これは〇円で作れます」と種明かししてしまうので、イタリアンのシェフから「金額言うな!」とクレームがあったそうだ。

 

本書はちょうどパンデミックの頃にかかれているが、ほんの数年前のコロナ禍がすでに遠い昔のように感じられた。

 

小学生の頃に学校で読んだ米原万里さんのエッセイに惚れ、彼女の作品は全て読んだ。米原さんこそがエッセイの女王と思っていたが、このところヤマザキマリさんが迫って来て同点首位に付きそうな勢いである。二人の共通点はお名前が「まり」さんであることで、仕事で「まり」さんにお会いするとどうしても「この方も絶対面白さを秘めてるに違いない」と邪推してしまう。著者の作品、もう少し読みたくなってきたのでAmazonへ行ってきます。