『居眠り磐音 36~38』佐伯泰英 著
和歌山での返り討ち。
51巻の長編も残すところあと少し。シリーズものは終わりに近づくとどんどんと寂しくなるので40巻手前のうちから読む速度をスピードダウンして、噛み締めるように読んでいる。
江戸の武士社会は現在の企業構造とはもちろん大きくことなるが、「組織」という意味では共通するところがいくつかある。もちろん時代小説を読んで感じることであるから、現代を生きる著者の意識の中にある企業組織の図が内容に反映している可能性もあるだろう。この33~35巻はまるで「島耕作」とか「半沢直樹」風な組織の歪みや、現状打破や、腐敗の存在などなどがもりだくさんで読み応えがある。
磐音とおこん、そして忍びの二人 弥助と霧子は悪の老中田沼の追手から逃れるために江戸を出た。目指す先は磐音の養父であり佐々木道場の先代である玲圓の菩提寺である。しかし、田沼の追手は佐々木家の家系図に目を付け、磐音らが菩提寺のある尾張に向かうはずと予測を立て、磐音を追い続ける。
尾張で出会った尾州茶屋は磐音らを助けようと京都の本家へ逃げる手立てを企てるも、茶屋に迷惑がかかることを懸念した磐音は、己の力のみで生きるべきと京都へ向かうことを選択せず、霧子が提案した紀州へと足を向ける。
霧子は幼き頃に暮らしていた姥捨の郷に向かうことを提案した。そこは高野山の麓にあり人の手の届かない山奥にあるとのこと。忍びの一族が今も静かに暮らしており、和歌山藩すらたどり着けない場所だと言う。身重のおこんも臨月が近づき、産み場所を探さなくてはならない。安全に暮らせる場所を目指し命を賭けての移動が始まった。途中歩けなくなったおこんを背負い、危険な山道を進み、姥捨の郷に着いた4名だが、意外な理由から大歓迎を受ける。かつて霧子の居た忍び衆が姥捨の郷を襲ったこと、その衆を磐音らが取り押さえたことに恩を感じていたからだ。
おこんは子を産んだ。男の子で名を空也と名付けた。すくすくと育つ空也だが、磐音とおこんには江戸を思う気持ちがある。と、そこへ懐かしい顔ぶれがやってきた。尚武館の門弟で修行の旅に出ていたでぶ軍鶏とやせ軍鶏の2名だ。二人はすっかりと武士らしくなり、磐音を支える役割を自ら指南する。
和歌山に来ても磐音の周りから田沼の影は消えない。ついには打倒磐音の舵を取る田沼意次の側室おすなが女人禁制の高野山へ老中代行として参詣にやってきた。参詣は口実で、磐音の首を刈らんというのが本当の目的だ。磐音はこの策略に載ることなく無事に敵を欺き、そしてついに江戸への帰京となるまでが38巻までのお話。
組織の中に身を置くものとして、自分は自分と周囲に惑わされないことほど大切なことはないと認識。