Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#683 先生、奉公に出る~「居眠り磐音 9」

『居眠り磐音 9』佐伯泰英 著

深川の師匠、奉公に出る。

 

コロナ禍以降、ものすごく体調に気を付けていたので、ここ数年一切病気らしい病気をしていなかった。それがみるみるうちに喉が腫れ、鼻と咳の症状(つまり風邪です)に体がついていかずあまりの辛さに昨日は早退、今日は病院に行こうと思っているところだ。ああ、風邪ってこんなにしんどかったかしら。今日は節分らしいし、豆まきしたら風邪も去ってくれるだろうか。

 

さて、この頃読んでいるシリーズもの。

自分を鼓舞するために続きを読んだ。9巻目も安定の面白さである。

 

江戸時代は小学校を上がったくらいの年で、早い子なら小学校高学年のうちに商家に奉公に出た。丁稚として店の雑務を務め、徐々に経営や運営に関わる仕事を担う。

 

磐音が地元の豊後関前藩の政治に巻き込まれ、友を亡くし、江戸は深川に身を落ち着けた時、磐音には「深川での生活とは」を教えてくれる先生がいた。それが鰻採りの幸吉だ。幸吉は近くの長屋に住んでおり、幼馴染のおそめちゃんとともに、あれこれと磐音に江戸での生活について教えてくれるよい先生だ。

 

磐音は日々の暮らしのため、宮戸川という鰻屋で毎朝鰻をさばいている。磐音の地元でも鰻をよく食したし、魚をさばくのも得意な磐音はあっという間に宮戸川で一番のさばき手となった。その宮戸川に幸吉も鰻をおろしている。なかなかの腕で、大人に負けないほど質のよい鰻を採って来る。それを宮戸川に売り、家族を助けている。つまり幸吉の家では働き手が父と幸吉の二人ということになる。

 

その幸吉もそろそろ奉公に出る年ごろになったと二親は幸吉の未来について考え始めた。幸吉の父親は大工の下請けのような仕事をしており、息子にも同じ職を与えようと知り合いに奉公を打診した。ところが幸吉本人は「もっとでかい事がしてえ。」とばかりに、棟梁になるような仕事なら考えてやってもいいが、自身の性格には全く合わない気がすると言う。

 

ある日、いつになく深刻な顔をして磐音を訪ねた幸吉は、こんな話を磐音に相談した。すると磐音は丁寧に幸吉と話をし、何がしたいのか。どんなことが好きなのか。どこで働きたいのか、などを聞き出した。そして最終的に出た回答が宮戸川で働くことだった。磐音は幸吉の父親も説得し、宮戸川の親方にも話を通し、そして幸吉の願いを叶える。

 

幸吉は大人のような口を利くし、もともとがとても賢い。時代が違うので比較にはならないが、小学生のうちに将来進むべき道を選べる人はほんの一握りではないだろうか。何をしたい、何になりたいなんていうのは、世の中にどのような仕事があるのかを知っているから言えることで、子供は話題になっていることに注目するので大体が同じような夢を語る。しかし江戸の子供は親がどんな奉公先を探してくるかで未来が決まってしまうし、むしろ幸吉のように周りの大人が真剣に話を聞き、支え、その時のベストを尽くして未来を選べるのはラッキーなのだろう。

 

今こんな大人になってすら、「この仕事は私に合っているのだろうか」とか「本当はああいうことがやりたかった」など無いものねだりしつつ、今までの来し方に疑問を持ってしまうような私には、江戸時代のようにいつまでも子供でいさせてくれない、早く一人前になる必要のある社会で果たしてやって行けただろうかと一人妄想していた。

 

私が江戸に生きていて、やってみたいと思える仕事はやっぱり料理に関わる仕事で、小さな釜でごはん炊いたり、お味噌汁作ったり、季節を感じる小鉢なんかを作ったり、今の趣味に関連することになってしまう。ただ、それで稼げるのかというのはまた別の話で、とにかく「幸吉、がんばれ」な読書であった。