Dahlia's book log だりあの本棚

読書で得た喜びをここに記録として残します。 こんな本を読みましたという備忘録として。

#641 食を巡る旅 in ヨーロッパ(40年前)~「ヨーロッパ横丁たべあるき」

『ヨーロッパ横丁たべあるき』田辺聖子 著

昭和半ばに歩く、イタリア、スペイン、フランスの旅。

 

最近知った野菜に「ラディッキオタルティーボ」というものがある。イタリアンのメインディッシュにひっそりと添えられていたのが初めての出会いだった。見た目のインパクトと食感にすっかり夢中になり、どこかで購入できないものかと日々恋心を募らせている。

 

大きさは5~10センチほどで、すっと茎がのびており、先がゆるくカールしている。ぜんまいのようなぐりぐりのカールではなく、ゆるふわな感じ。ほうれん草の茎よりちょっと太めでしっかりしている。葉はなく茎の部分だけを生で食べた。

 

まず、色が鮮やかだ。ワインレッド、紅色、冬薔薇のような赤さは、紫キャベツや紫玉ねぎより濃淡がハッキリしている。その鮮やかさを内側に、外側は純白でみずみずしさが見て取れる。色の変わり目のコントラストが飴細工のようで可愛らしいく、とにかくお皿に映える。

 

チコリの仲間とのことで、食べると白菜のようなみずみずしさと爽やかな甘みが広がる。滋味深く、ほんの少し口にしただけでも「野菜食べました」な満足感があり、メインディッシュのお肉の油をすっと消し去ってくれるような、むしろこちらがメイン的な存在感があった。私の文才では説明できないので、お姿はこちらです。

 

海外の珍しい食材を日本でも食べられるような時代になって久しいが、まだまだ知らない食材があるものだと急に気持ちが海外へ向いてしまった。そういえば長く海外行ってないなあ。

 

ということで、本書を読んだ。しばらく前に何かのセール時に購入したもので、たしかコロナ禍でどこにも行けずに悶々としていた時期だったような気がする。

 

本書、最後にあとがきが2つあり、出版された当時のあとがきには昭和54年春とあった。1979年ですよ。つまりもう40年以上まえの旅行記ということだ。行き先はイタリア、スペイン、フランスで、5都市を訪れている。この頃の著者は50を過ぎたばかりだそうで、添乗員さんを連れての旅だった。18日間の長旅の思い出が面白可笑しく詰め込まれた旅行記エッセイである。

 

旅行記の最初は「おせいさん(著者)」と「カモカのおっちゃん(著者のパートナー、医師の川野純夫氏)」との対談から始まる。これがものすごくおもしろい。大阪風のテンポ良い言葉のキャッチボールが続く。

 

訪ねた町はローマ、ヴェネチアマドリッドバルセロナ、そしてパリ。お酒を嗜む方であれば、「なるほど、これはワインの旅か」とお思いになることだろう。実際おせいさんも、カモカのおっちゃんもお酒がいける口らしい。そもそも今回の旅の目的は「海外にも屋台はあるのか」という大衆食堂を探すことである。79年頃の日本の様子を調べてみると、経済成長の恩恵で日本が豊かになり始めるあたりの頃で、まだまだリアルな「戦後」を知る人が多く生きていた時代だとわかる。読むにつれて、むしろその時代の「庶民の味」というものは一体どんな味だろう?という疑問が湧いてきた。ものすごくシンプルにおでん?著者は関西の方だからやっぱり粉もの系?それらを普段食べていた方がヨーロッパのテーブルに着いた時、きっと私が「ラディッキオタルティーボ」に受けた感動よりも、もっと派手にびっくり!だったのではないかと思う。

 

対談の後に著者による旅行エッセイが連なる。この旅の中、ワインについての考察が極めて面白い。これまた想像というか妄想にすぎないが、赤玉ポートワインを「ワイン」と思っていた人が、海外で白やロゼや赤のワインが産地によってそれぞれ強い特徴を持っていることに出会い、相当驚いたのではないだろうか。実際カモカのおっちゃんも「イタリアのあれはうまかった」など、それぞれの食堂で飲んだ思い出を語っている。

 

日本から同行している添乗員さんに加え、現地でも在住邦人のガイドに「屋台に連れて行って」とお願いするも、結局ヨーロッパには赤ちょうちん的な屋台は存在せず、主に学生が行く大衆食堂へといざなわれる。とはいえ、安くシンプルなお料理が妙に印象に残っていたり、安酒のはずが滅法美味しかったりと、関西弁にのせられて読み手までもその味わいが恋しくなる。

 

最後のパリだけは別格で、一応高級レストラン的な所でお食事をとホテルで予約をお願いするも、「予約は承っておりません」と追い出されてしまうなどの洗礼を受けてしまった。だが、それがパリだと開き直っているのもまた良い。むしろイタリアやスペインの距離感(近すぎる!)より、パリくらいの放っておかれるくらいが丁度よいとのことだ。

 

旅自体にはいつも美味しさが詰め込まれていた。それは誰かと食べることで数倍美味しくなるという、相手への想いが食へのスパイスとなっている部分も否めないが、スペインのシンプルな小海老の料理などは間違いなく美味であろう。

 

昔、祖父母によく聞いた話を思い出す。昔の日本には「大人の場所」というものがあったそうだ。例えば日が高いうちであれば子供が同席しても構わないレストランも、夜には大人の場所として、大人だけが心地よく過ごせる場があった。高額なので若者には敷居が高いという事情もあったにせよ、大人をリスペクトする文化があったのだと思う。

 

それがいつしか若者が成功して小銭を持つようになり、堂々と出入りするようになった。お店側としては「こちらは大人オンリーです。」とも言えないし、むしろ大枚叩いてお酒を飲み、食事をしてくれるというのだから断る理由がない。しかし常連さんとしては、その落ち着いた雰囲気が乱されることへの不満が湧き始めていたのだろう。おせいさんもカモカのおっちゃんも、そしてこの旅自体にも大人の愉しみを望む気持ちが記されているが、今や銀座の一流のお店にドレスコードも無視した外国人がテーブルの半数を占めているなどと知ったら、お二人なら何というだろうか。

 

食のエッセイは時代が昔のものこそ面白い。どうせまだまだ海外にも行けないだろうし、少し旅行エッセイを探してみよう。